探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

高知の華族墓調査

2017-08-30 00:20:28 | 会員の調査報告
会員のクロサカです。
前回予告した高知編について紹介します。

高知市内の調査には、駅前の観光協会でレンタサイクルを借りました。
このレンタサイクルの利用は無料で、電動自転車も無料で借りられるのが利点なのですが、17時までに返却出来ない場合は、次回以降利用できないというペナルティがありました。
このペナルティがあとで悲劇を生むのですが・・・。

まず、最初に向かった華族墓は板垣退助伯爵の先祖乾家の墓所でした。
しかし、墓所があるとされる薫的神社付近の旧瑞応寺福泉院墓地が見つかりません。
天候もあまり良くなく、今後の調査にも影響が出そうだったので早々に諦めました。
ちなみに薫的神社は、山内忠義の戒名騒動で失脚した僧侶薫的の墓所で他にも高知藩の上級家臣百々家の墓を見つけました。
その後、一路久万山に向かいます。
ここには、子爵を授かった谷干城夫妻とその息子で夭逝した乙猪などの墓所があります。
ちなみに乙猪夫人と子孫の谷子爵家の墓所は谷中霊園です。


                          谷干城夫妻の墓

この時点で小雨が降っており、谷家とその近くにあった郷土史家平尾道雄の墓だけで撤退しました。
続いて、薊野にある板垣退助伯爵の墓所に移動します。
岡田以蔵などの墓のある真宗寺山にも行くつもりでしたが、雨が強くなってきたため、板垣の墓所へ急ぎました。
途中最初の雨のピークがあり、雨宿りもしつつ、向かいましたが、板垣の墓所は非常にわかりづらい場所にあります。
事前に入念に調べていたので迷うことなく、到着できました。
この墓所は板垣家もとい乾家歴代の墓所で当主や正室の墓碑に小さな立て札があり、非常に助かりました。
ここにある板垣退助伯爵の墓碑は後に建てられた分骨墓で隣には3人目の妻小谷氏と並んでいます。


                          板垣退助夫妻の墓

ここでも土砂降りでしたが、母と合流するために高知城に向かい、急いで高知城歴史博物館に入り、ちょうど山内家歴代展を開催していて多くの史料を見ることができました。
その後も雨が非常に強く、大手門近くにある初代藩主山内一豊の銅像の写真も上手く撮れませんでした。
大手門から入城するも、雷が鳴り、雨もピークになり、大手門を入ったところのテントで大勢の人が身動きができない状態でした。
そんななか、返却時間が迫ってきており、土砂降りの中移動をしなくては間に合わなくなりそうだったので城内を見ることも出来ずに帰ることになりました。
そして急いでテントを飛び出した瞬間、砂利に足を取られ、転んでしまいました。
それでも身体を引きずり、自転車に乗りますが、自分が方向音痴であったので駅の方向とは反対側に向かっていることに気づき、余裕もなくなってしまい、急いで自転車を飛ばしていたのですが、途中濡れた路面で滑り、3回ほど転んでしまい満身創痍でなんとか10分前に着くことが出来ました。
ホテルに帰り、確認してみると両肘、両膝が大きくアザになり、尾てい骨も強打していました。

しかしそんな身体でもなかなか来られない場所なのだからと、次の日も調査に向かい、返却が間に合っていたので、難なく自転車を借りることができました。
さて、二日目の目的地は高知のメインディッシュでもあった筆山と山内家墓所です。
まず、筆山に向かいます。昨日と打って変わって、太陽が照り付ける暑い日でした。
ここでは、永野修身海軍元帥と地元で有名な医者近森虎治などを見つけました。
実はさらに奥地にある皿ヶ峯に森赳陸軍中将と下村定陸軍大将を探したかったのですが、移動が大変そうだったのと満身創痍が重なっていたので、最優先対象の山内侯爵家と分家の子爵家、家老の男爵家を探しに向かいました。
途中山内家の菩提所要法寺と真如寺に立ち寄り、要法寺では一豊の弟で土佐藩の基礎を固めた山内康豊の墓を見つけました。
山内家墓所は真如寺の目の前にありますが、非公開です。
しかし近年国指定史跡となったため、公開に向けて準備の最中とのことでした。
手前左にある子女墓地は調査可能だったのでこちらは調査してきました。
その後、電動自転車のパワーを使い、筆山の中腹付近にあった山内家の分家墓地に向かいました。
ここには、山内容堂の実子で分家し、男爵⇒子爵となった山内豊尹子爵とその子孫、分家の墓があります。


                       山内豊尹子爵と山内子爵家の墓

さらに上っていくと、土佐藩の家老を務めた南邸や東邸の墓所がありました。
そのうち、南邸当主山内豊積は男爵を授けられています。


                      山内豊積男爵の墓

同じ墓域内には次代の山内豊政男爵夫妻の墓碑もありました。
豊政男爵の墓は青山霊園にもあり、そちらは豊政以降累代の墓碑となっています。
南邸・東邸ともに江戸期の墓碑は倒壊していたり、横たわっている墓碑も多く、国史跡に指定されている本家に比べて、少し残念な気もしました。
その後は市内にある史跡を巡ったり、東京ではあまり見かけない牛もつつけ麺を食べ、ホテルへ戻りました。

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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ
参加申込みは下記フォームよりお願いします。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ申込みフォーム
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愛媛の華族墓調査

2017-08-26 12:19:36 | 会員の調査報告
会員のクロサカです。
この夏休みに当会のカトケンさんと入れ違いに高知・愛媛旅行に行ってきました。
我が家では家族旅行とはいえ、各自単独行動なので存分に墓調査が出来ます。
ほぼ予定通り、多くのお墓に巡り会うことができました。
今回は愛媛編としまして、松山・大洲で調査したお墓を簡単に紹介します。
近いうちに高知編も紹介します。

まず、旧松山藩主の久松伯爵家の墓です。



江戸時代を通じて松平を名乗っていましたが、明治期に最後の藩主久松勝昭によって久松に改姓されました。
勝昭を含めた歴代藩主は東京三田の済海寺を葬地としていますが、大正期に亡くなった久松 定謨からは松山市古町の大林寺に代々の墓所を設けています。
もともとこの大林寺は松山藩主の菩提寺四ヶ寺の一つに定められていたお寺で、松山藩主だった蒲生忠知の墓所もあります。
久松家墓所の墓域内には合祀された松平家関係者の石甕と墓誌が一緒に残されていました。

次に道後温泉近くにある鷺谷墓地に向かいました。
ここには華族の白川義則男爵のほか、陸軍大将秋山好古と両親、河東碧梧桐、川島義之陸軍大将、桜井忠温陸軍少将などのお墓があります。
写真は秋山好古陸軍大将と白川義則男爵のお墓です。





秋山大将の墓は青山霊園にもありますが、鷺谷にあるお墓は地元の人々によって分骨されたものです。
ちなみに弟真之海軍中将の墓も青山霊園にありましたが、移転して鎌倉霊園にあります。
秋山大将の墓域には、秋山家の先祖墓もあり、もともと同じ松山市内の法龍寺にあったもので、墓地整理の際、こちらに移されたものだそうです。
この法龍寺は、俳人正岡子規の先祖墓もありましたが、こちらも同市内の正宗寺に移転しています。
秋山大将の墓所から20~30mぐらい後方の傾斜地には、秋山兄弟の両親である秋山久敬夫妻の墓碑もあります。
白川男爵の墓所も同じく青山霊園警視庁墓地にありますが、出身地にも分骨墓が建てられています。
秋山大将と白川男爵のお墓は近くにあるのですが、若いころから親交があったそうで、そのために近くに建てられているのだと思われます。

最後に大洲曹渓院にある旧大洲藩主加藤家墓所です。



加藤家は華族令で子爵となっています。
この建物群は加藤家の霊屋で中には五輪塔や祠型の墓碑がありました。
加藤家墓所内には初代貞泰(写真右奥の赤い建物)のほか、5人の藩主の墓があり、一般墓地にも1人の藩主が埋葬されています。
なぜ一人だけ別なのかは不明です。
6人以外の墓所は川の対岸にある如法寺にあります。
最後の藩主泰秋は大正期に亡くなり、貞泰の霊屋左隣に五輪塔を建立し、代々の墓としました。
最近明治期の新聞で泰秋夫人が谷中霊園に埋葬されたとあったのですが、こちらに改葬されたのか、まだ現存するのか、はたまた無縁廃棄されたのか調査中です。

高知編を含め、こちらで紹介できなかったお墓については今後、『歴史研究』上のリレー連載「皇室の藩屏」で紹介予定です。

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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
詳しくは下記開催要項をご覧下さい。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ
参加申込みは下記フォームよりお願いします。
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お盆休み〆はふるさと a Shizuoka

2017-08-26 00:28:01 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

この夏休みの〆は地元へ帰って、丸1日身体が空いたので、おふくろの車で東へ。

まずは県立図書館。なんでも、底が抜けたとかで一切本は見られない。これでは意味がないからと、さらに東へと車を走らせる。

清見潟まで来て元勲の別荘を廻る。例の雷親父のところは埋蔵文化センターになっている(=写真)



閉まっていて世外公の座像は見られなかった。

続いて坐漁荘へ。4年前の東軍慰霊祭以来である。西園寺公の杖に目をやると、何やら漢字が彫られている。

いくつかの漢詩だそうで、ボランティアの方が親切に教えてくださる。

それからはかつてこの辺りが海岸だったことなどを教えていただき、幼い頃の思い出を聞き、のどかだった頃に思いを馳せる。かつてリゾート地だったこの辺も最近では空き家ができ、ご年配の方ばかりになっている由。静岡市といえども課題が多いと実感。

2階から公望公が客人を招いた絶景を想像する(=写真。現在はこんな具合)。



改めて外から建物を眺め(=写真)、粋な造りを堪能しつつ、絶筆の書の碑(=写真)を見てここを後にした。





解説で教えていただいた井上馨の実子で伊藤博文養子である博邦の別荘(=独楽荘)跡地へ行くと柑橘類の農業実験所になっていた(=写真)。



そこから今度は由比宿を巡って、薩唾峠を少し味わってから(あいにく富士の山にはお目にかかれなかったが)一気に沼津へ。

明治史料館で同通信を一つ一つ拾う。またこの作業が楽しく、今回も同じ寺院の異なる墓が縁戚であることを知り、新たな系図づくりや文筆の種を植えることができた。

最後に好きな場所、原の松蔭寺へ。白隠禅師や玄峰老師の新たな発見、また今回は白隠禅師の生誕地碑を初めて訪ねた。

史跡整備の途中のようで、工事現場の囲いに覆われていた。白隠禅師で街おこしでも企てているのだらうか。

母の帰りに合わせて静岡駅へ迎えに。親友と清里へ行ってきて3人で晩飯を食おうと約束していたのだ。

御門台のカトウ家御用達ラーメン屋で土産話に花が咲いた。これでまた仕事をがんばらうと思えるのだ。ふるさとはまだまだ発見が引きも切らない。

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探墓巡礼顕彰会では11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催します。
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今夏四国での取材で感じたことども

2017-08-23 23:14:51 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

前回記事でJさん宅との表題を掲げながら、まったくその方に触れていなかったので改めて書きたい。

Jさんとは子孫の会や春廼舎で交流させていただき、今年久しぶりにお目にかかり、高松におじゃまする運びとなった。

高知で散々Tさん宅を好き勝手に使わせていただきながら、なおこの上高松でもこうしてよそ様のお宅に居候する。なんと厚かましい人間かと思う。

だが、お話をすると我々世代にも伝えておきたい、話しておかなければならないことが多々あるようで、こちらもついそのペースにつられて耳を傾けているとそこに自らが調べるきっかけやヒントがポンポンと出てくる。

これを繰り返していると、たった一言をヒントに自分で調べる余地が生まれてくる。苗字だけでもいいし、「旗本」とか「幕臣」という肩書きが出てくれば見つけものだ。

幕臣なら自分でいくらでも調べられる。それをきっかけにさらに墓所や親戚関係から資料があるべき場所へ足を運んでいく。

また図書館や文書館を駆使し、別のご子孫や古文書が見つかれば金鉱を掘り当てたが如くあとはとことんそれと向き合っていく。この繰り返しだ。

Jさんの場合、大学に古文書を持ち込んで解読してもらっているといい、史料が豊富に存在するのであろう。

順天堂の佐藤・林一族だから、香川県知事をやった林 董をはじめ榎本武揚も絡んできてますます話は膨らむ。

榎本と林は外交畑でともに活躍しているから、この方面の研究者はいないか事前調査をしたら、既にご他界されていたり、西軍方の研究者であったりして、自分がまだ研究できる隙間があるのではないかと、Jさんに思いの丈を述べていたらつい長居をしてしまい、

ご飯を食べさせていただいたばかりか、Jさんの同級生の方が料理を持参してくださり、旅先でも家庭の味を堪能させていただくというこの上ない旅となった。

そのご厚意に甘えるばかりではいけないと、3日目は自分の足で現地調査を行い、一定の成果が得られた。

ある書籍をヒントにその掲載写真から現地で同じ建物が残っているか、無ければどこにあったか聞き込みを続けた。最初怪訝な顔をされていた取材先も最後には打ち解けて和気あいあいと話すことができた。

最後に調査対象人物が見て育ったであろう風景の写真を撮って旅の土産とする。

そんな恵まれた取材旅であった。思えばこの何年か高知の帰りには必ず高松に寄って来た甲斐があったといえよう。

最後になってしまったが、Jさんはじめ高松に集まってくださった方々に心より感謝申し上げたい。

この調査結果を生かし、なんとか形にしなければとまた一から探索が始まる。東京に戻ってできることも多い。

巡墓会とは別に様々なテーマを用意しておくことも、自分がものを書く上で必要不可欠なことだろうという思いをかみしめる。

この夏は今までやりかけていたもの、放ったらかしにしていたものをもう一度見つめ直してみたくなった。自分の凡庸さと闘いながらーー



(写真=もうひとつ記念になった琴電きっぷ)

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第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」開催のお知らせ

2017-08-22 12:33:06 | イベント
会員のクロサカです。
探墓巡礼顕彰会では、第15回目となる巡墓会を11月12日(日)、大圓寺と豪徳寺にて行うことになりました。大圓寺と豪徳寺に眠る幕臣、薩摩藩および彦根藩の人物を中心にその事蹟を解説します。
皆さまのご参加をお待ちしております。

開催要項は以下のとおりです。

■開催要項
★日時 平成29年11月12日(日)雨天決行
12:30 京王井の頭線永福町駅前交番裏付近にて受付開始
13:00 大圓寺へ移動後、開会式
      探墓巡礼顕彰会幹事より挨拶
      巡墓会開始
      大圓寺での解説終了後、豪徳寺へ移動
      京王井の頭線永福町→京王線明大前→東急世田谷線下高井戸→宮の坂駅
      ※乗り換えは幹事が誘導しますので、はぐれないようにお願いします。
      交通費は別途参加者の負担となります。
[ICカード268円、現金280円]
      途中、集合写真撮影・トイレ休憩有り
16:30 豪徳寺より宮の坂駅前の宮坂区民センター付近に移動し解散式
      探墓巡礼顕彰会幹事より挨拶
      東急世田谷線宮の坂駅から下高井戸駅まで電車移動
17:00 下高井戸駅近辺の居酒屋にて懇親会

★集合場所:京王井の頭線永福町駅前交番裏付近
【交通】京王井の頭線 永福町駅(京王線明大前駅で吉祥寺方面へ乗換1駅、または井の頭線渋谷駅から7駅)




★講師:探墓巡礼顕彰会幹事

★巡墓寺院
大圓寺(杉並区和泉)、豪徳寺(世田谷区豪徳寺)
※寺院への問い合わせはご遠慮下さい。

★主な巡墓人物
土方勝政(幕臣、勘定奉行)
西郷午次郎(西郷隆盛三男)
大山彦八(大山巌元帥父、西郷隆盛叔父)
横山安武(森有礼実兄、明治政府に抗し憤死)
益満休之助(薩摩藩邸焼討事件、江戸開城仲介者)
井伊直弼(大老、彦根藩主)
井伊直孝(豪徳寺の中興開基、招き猫伝説)
日下部鳴鶴(彦根藩士、桜田事変殉難遺子、書家)

★参加費用:1,500円(資料代含む)
(定員20名~30名程度・参加費は当日受付にて)

★解散後、希望者で懇親会を行います。
(3,000円程度/場所:京王線/東急世田谷線下高井戸駅近辺にて)
※懇親会場へは解散後、幹事メンバーと一緒に移動します。宮の坂駅より3駅となります。

懇親会不参加の方⇒山下駅[小田急線豪徳寺駅]は下高井戸方面へ・三軒茶屋駅[東急田園都市線・半蔵門線]は三軒茶屋方面へ

参加申込みは下記フォームよりお願いします。
第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」-申込みフォーム-

【大圓寺・豪徳寺巡墓会開催における注意事項】
※寺院での開催となりますので、本堂へ参拝の後、墓地巡拝となります。解説の前に墓所への合掌をお願いいたします。
※墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外・柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
※墓地内は一部、段差やぬかるみなど、足下が悪い場所がありますのでお気を付け下さい。
※ペットボトルなどのゴミはお持ち帰り下さい。
※急に体調が悪くなった場合は幹事へ早急にお申し出下さい。
※震災によって傾いたり、倒壊した墓碑や石灯籠がありますので、不用意に近寄らないで下さい。
※大きな地震が起きた際は、墓碑や石灯籠が倒壊する恐れがありますので、速やかに離れて下さい。
※急な天候の変化によって本巡墓会を中止する場合がありますのでご了承下さい。
※雨天または雨天後の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。
※本巡墓会では電車移動もあります。道路や駅での一般の歩行者の方はもちろん、墓地内の墓参の方の妨げにならないよう、幹事メンバーの引率に従っての移動をお願いします。
※少人数の幹事での運営となります。参加者の中にはご年配の方・お子さまもおり、利用者の多い駅や車の往来が多い道もありますので、なるべく引率のお手伝いもお願いします。
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