会員のカトケンです。
横浜市の最も南に位置する金沢区は、風光明媚な地として鎌倉時代から多くの人に親しまれてきた場所です。
京急線の金沢文庫駅を降りて能見台方面に戻り、山側へ鉄道をくぐってやや登ったところに太寧寺という小さなお寺があります。
ここに徳川吉宗の時代に無宿人やお金がなくて医者に通えない人のための病院(施薬院)設置を建言した小川笙船の墓があります。
笙船の建言は小石川養生所の開設により実現し、それ以来、小川家は代々院長たる肝煎を務めました。
その初代笙船が晩年3年間を過ごしたのが金沢です。「山にいるときは海を語り、海にいるときは雲を語った」と伝えられ、病を得て再び江戸へ戻りますが、金沢に葬って欲しいと遺言したことから、この太寧寺に「雲語子之墓」と刻まれた墓があるわけです。
正確には、笙船の歯を埋めた墓と言われています。しかしながら、戦争の際にお寺が今の場所に移転して墓がわからなくなっていたところ、最近になって笙船の末裔の方が墓の一部を探し当て、平成13年に再建の運びとなったものです。
また、笙船は山本周五郎『赤ひげ診療譚』の主人公赤ひげのモデルとされています。
笙船は幕府の医官の役職には遂に就かず、結局その子孫もお目見え以下にとどまりました。
そんなところに現代にも笙船を偲ぶ余地があるのかもしれません。
来たる日曜日(5月30日)、当会の催す巡墓会にて雑司ヶ谷霊園にある笙船の本墓を紹介しますので、お楽しみに。
太寧寺の山号は海蔵山。同寺は源頼朝の異母弟で鎌倉時代の武将 源範頼自害の地にして、範頼のものと伝わる墓もあります。
(横浜市金沢区片吹61-5)
横浜市の最も南に位置する金沢区は、風光明媚な地として鎌倉時代から多くの人に親しまれてきた場所です。
京急線の金沢文庫駅を降りて能見台方面に戻り、山側へ鉄道をくぐってやや登ったところに太寧寺という小さなお寺があります。
ここに徳川吉宗の時代に無宿人やお金がなくて医者に通えない人のための病院(施薬院)設置を建言した小川笙船の墓があります。
笙船の建言は小石川養生所の開設により実現し、それ以来、小川家は代々院長たる肝煎を務めました。
その初代笙船が晩年3年間を過ごしたのが金沢です。「山にいるときは海を語り、海にいるときは雲を語った」と伝えられ、病を得て再び江戸へ戻りますが、金沢に葬って欲しいと遺言したことから、この太寧寺に「雲語子之墓」と刻まれた墓があるわけです。
正確には、笙船の歯を埋めた墓と言われています。しかしながら、戦争の際にお寺が今の場所に移転して墓がわからなくなっていたところ、最近になって笙船の末裔の方が墓の一部を探し当て、平成13年に再建の運びとなったものです。
また、笙船は山本周五郎『赤ひげ診療譚』の主人公赤ひげのモデルとされています。
笙船は幕府の医官の役職には遂に就かず、結局その子孫もお目見え以下にとどまりました。
そんなところに現代にも笙船を偲ぶ余地があるのかもしれません。
来たる日曜日(5月30日)、当会の催す巡墓会にて雑司ヶ谷霊園にある笙船の本墓を紹介しますので、お楽しみに。
太寧寺の山号は海蔵山。同寺は源頼朝の異母弟で鎌倉時代の武将 源範頼自害の地にして、範頼のものと伝わる墓もあります。
(横浜市金沢区片吹61-5)