探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

続・谷中霊園の改葬危機の墓所

2019-12-31 23:32:44 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
昨日、染井霊園の改葬危機の墓所について書きましたが、谷中霊園でも改葬危機が迫っている墓所が増加しています。
谷中霊園の改葬危機の墓所についは今年5月に下記の記事にて紹介しました。

谷中霊園の改葬危機の墓所

今回は2ヶ所紹介します。

小倉敏晴
『人事興信録』第4版に京橋区銀座の資産家として記載があります。





森野森吉
同一人物か不明ですが、『昭和新修華族家系大成 上巻』に真田幸治伯爵の子幸長氏の夫人の父に森野森吉の名があります。





共に明治期の自然石墓です。現在ではこのような自然石墓はなかなか新設できないでしょう。

前回の記事で年末の挨拶をさせて頂きましたが、改めて今年もご覧頂きましてありがとうございました。
来年も様々ことをお伝えできればと思っておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
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近況と年末ご挨拶

2019-12-31 00:02:30 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
9月以降、多忙のためほとんど投稿をしていませんでしたので、駆け足で振り返ります。

9月

・戎光祥ヒストリカルセミナー「戦国大名伊達氏の魅力に迫る!」へ。演題は新進気鋭の研究者の方々による「郡主・国衆からみた戦国大名伊達氏」「戦国大名伊達氏の魅力に迫る!」。政宗以前の稙宗-晴宗-輝宗時代の伊達氏に焦点を当てた内容で、伊達氏が政宗一代で飛躍したイメージがありますが、それ以前の胎動期があってこその飛躍であったように感じました。二本松畠山氏に関しても少し言及があり、大変勉強になりました。

・大崎図書館分館で歴史講座「江戸時代の大崎ってどんなところ?」を受講。品川歴史館の学芸の方による講座。地元品川区の郷土史は私のワイフワークの一つでもあり興味深く拝聴しました。。戦災による被害が大きい地域ながら意外と古文書が残っていて、農村地と武家屋敷地がある大崎の多面性がよく分かりました。



・雑司ヶ谷みちくさ市のモロ古書店さんにお邪魔しました。我々とはお付き合いの長い幕末維新の貴重本の蒐集家である茂呂さんの古書店で、毎回貴重な本が出品されています。『探墓巡礼』のプロデューサー森重さんや当会のクロサカさんも来ていました。昨年の流星忌にお越し頂いた「幕末諸隊研究」の吉野式さん、常盤海さんにもやっとご挨拶ができ、良い機会を得ました。



・市川市の木内ギャラリーで行われていた「木内重四郎展」へ。重四郎の姉の子孫で実家を継承されている木内昭博氏による講演「木内重四郎の活躍を励みに生家を守って」と芝山町学芸員の方のギャラリートークを聴きました。木内重四郎については以前、染井霊園での巡墓会で三菱関係者を案内した際に岩崎弥太郎一族の系図を作成した時から関心を持っていました。弥太郎の娘婿には加藤高明や幣原喜重郎といった総理大臣がおり、それに比べると木内重四郎は地味な存在となっていますが、展示と講演からは重四郎は非常に優れた人物であったことが分かりました。また、実家のご子孫のお話ともあって、私が興味を持っていた芝山町の木内家のこともよく分かり、とても良い機会となりました。
尚、重四郎の長男良胤の妻淑子は枢密顧問官関屋貞三郎の長女であり、関屋貞三郎は栃木県生まれですが、関屋家は二本松藩医の家系で、貞三郎の大叔父の娘が声楽家の関屋敏子となります。





近くの弘法寺にある松平直基の墓

10月
・ある仕事の関係で、お客様と佐野市へ。お寺や図書館などを巡った後、佐野市郷土博物館企画展『中根東里展-「芳子」と門人たち-』を見学。事前に博物館の方と連絡を取って説明をして頂きました。中根東里は磯田道史先生の『無私の日本人』で知られるようになった陽明学者ですが、幕府や大名家に仕官せず、生涯民間に身をおき、その名を残さぬよう、自分の足跡をほとんど残さなかった人物です。数少ない資料からを集め、この企画を実現させた博物館の方々の執念のようなものを感じました。図録もとても力の入ったものでした。
実はこの1週間後、佐野市は秋山川の大洪水が発生したため、博物館が休館となってしまい、企画展はそのまま閉会してしまいました。幻の企画展をみれたことは奇跡的でした。





東光寺に移設された佐野陣屋の大手門

・ある仕事の関係で千葉方面へ。初めて市営桜木霊園へ行きました。霊園内には千葉市内で市街地の開発で移転した寺院の墓地もあり、所々千葉の旧家の古い墓石がありました。その後、市原市八幡の飯香岡八幡宮や小弓城跡などを巡りました。
この時は台風15号の爪痕が随所に残っており、台風の威力の恐ろしさを感じました。





・即位礼正殿の儀は一部始終テレビの生中継をみました。礼砲が撃たれると、テレビの音とは少しズレて外からも音が聞こえました。その瞬間がその日一番の感動でした。

・ある仕事の関係から、お客様と平島松尾顕彰会で知り合った漬物研究家の方と三人で千葉県旭市での大原幽学記念館の企画展「あさひ 羽ばたいた人々」へ。
戸田伊豆守氏栄の五男で萬歳村花香家の養子となり、自由民権運動に身を投じた花香恭次郎を初めて取り上げたということで見学。萬歳にある花香家の墓所へも行きました。
花香恭次郎は福島新聞の記者となり、福島事件で投獄され、その後大赦で釈放されたものの間もなく35歳で死去しました。江戸で生まれ、民権運動では福島で活動したため、花香家の実家がある旭市ではほとんど紹介されていませんでしたが、ご一緒したお客様のご尽力により今回の展示に繋がりました。私にとっても大変喜ばしい出来事でした。





東福寺の花香恭次郎顕彰碑

11月

・国立公文書館で資料閲覧後、1Fで開催されてた「行幸-近現代の皇室と国民-」を見学。
大正天皇が皇太子時代の東北行啓のスケジュールが書かれたものがあり、二本松で下車したことが書かれていて、興味深くみました。後で『大正天皇実録 第3巻』を確認すると、双松館製糸工場に行啓していたことが分かりました。



・品川歴史館特別展「中世寺院と品川-妙国寺の歴史と寺宝-」へ。これも地元の郷土史。妙国寺は現在天妙国寺といい、初代蝦夷奉行羽太安芸守正養の菩提寺でもあります。今回の展示は中世にスポットを当てたものですが、伝加藤清正の手形など珍しいものをみることができました。羽太安芸守正養については以下を参照。

初代蝦夷奉行羽太安芸守正養の墓



・都立中央図書館で資料閲覧後、4Fで開催中の「木子文庫に見る御大礼」を見学。
会場内で上映されていた平成の御大礼の映像を食い入るようにみました。これはリアルタイムでもみていたので、懐かしさなど様々な想いが込み上げました。
木子家は京都の大工棟梁でしたが、近代以降の墓所は青山霊園にありますが、この見学の後、訪れると、墓石が新しい現代風のものに変わっていました。



・「祝賀御列の儀」へ。13時頃から赤坂御所前にスタンバイし、15:20に両陛下のお姿を拝しました。2時間以上待った割には本当にあっという間でしたが、この場に居合わせたこと自体が私にとって大きな意味を持つものとなりました。
その後、青山一丁目駅で足止めされ、パレードを見れなかった墓マイラーカジポンマルコ残月さんと、当会のクロサカさんと合流して青山霊園を散策した後、飲み会をしました。カジポンさんとは同じお墓を対象とする活動をする仲間として様々な意見交換をして有意義な時間を過ごせました。
帰りは東京タワーの祝賀ライトアップをみました。













・三春町へ。小雨の降る中、法蔵寺、紫雲寺、北野神社、光岩寺、天沢寺、法華寺を巡りました。そして目的であった三春歴史民俗資料館特別展「武士の時代の終わり-三春藩から三春県へ」の展示解説へ。昨年も特別展の「戊辰・明治150年 三春藩の選択」の展示解説を聴きに行きましたが、今年は天候が悪かったためか、私を含め3人ほどのお客さんしかいませんでした。そのおかげもあって、終わってから館長さんとゆっくりお話する時間ができ、有意義な時間を過ごせました。
私は二本松側の人間で、二本松といえば、三春は裏切り者、父母や祖父母の時代には「三春から嫁を貰うな」ということが言われていました。そんな私ですが、よくよく調べると二本松と三春は非常に密接な関わりがあることが分かり、両者の関係を深く調べたいと思うようになりました。2年連続の三春訪問となりましたが、やはり双方の人の往来が多かったことが分かりましたし、戊辰戦争での行為を果たして本当に「裏切り」という言葉で片付けてよいのか、という疑問がますます深まってきました。
一つの事象をみる上では双方の置かれた立場を知ることが大切だと思います。



加波山事件志士遺徳顕彰碑「自由の魁」





紫雲寺の墓地

・皇居東御苑で公開中の大嘗宮を見学。天気が良かったこともあり、人出が多く、宮殿前は写真を撮る人がなかなか動かず大混雑。平成の大嘗宮は小学生の時に見学していたので、今回は2回目。私の世代で2回目というのもなかなかいないかと思います。
その後、新橋で土佐史談会関東支部例会へ出席し、当会幹事のカトケンさんの講演を拝聴。演題は「青山霊園に眠る近代土佐人群像について」。カトケンさんのワイフワークともいえる土佐出身者の墓所調査の発表で、人と人との繋がりがよく分かる内容でした。私も青山霊園は結構行っていますが、土佐出身者の墓については知らないものも多く大変勉強になりました。









12月

・前日の大嘗宮見学に続き、國學院大學博物館企画展「大嘗祭」へ。江戸時代の大嘗祭の史料などが展示されていましたが、大嘗宮自体は現在よりも簡素なものでした。伝統的な儀式ですが、その仕様については時代によって変化している様子が分かりました。



・釣洋一先生主催の「江戸史談会」へ。今回は12月ともあって、半分は赤穂浪士のお話し。討ち入りの日である12月14日は現在の暦に直すと、まだ川崎の平間村軽部五兵衛宅に到着した日ということで、この日を赤穂浪士討ち入りの日とする暦に対する無神経さには驚愕の一言というレジュメの一文が印象的でした。
平間村の軽部五兵衛ですが、私が以前住んでいた川崎市幸区南加瀬の了源寺に墓所があり、そのことも過去に記事にしています。五兵衛の邸宅は下平間にある称名寺の向かいにあったそうで、現在はマンションが建っています。
史談会の後は忘年会で、釣先生奥様よる久々のピアノ演奏と歌も聞け、参加者の皆さんと楽しい一時を過ごしました。

軽部五兵衛の墓

・森鴎外記念館特別展「荷風生誕140年・没後60年記念 永井荷風と鴎外」へ。荷風の鴎外への敬愛がよく分かる展示でした。荷風は『下谷叢話』で鴎外の『渋江抽斎』のスタイルを踏襲するなど、所々で鴎外へのオマージュを見せています。荷風が死亡した際、部屋には読みかけの『渋江抽斎』があったという話には感銘を受けました。図録はデザインが洗練されていて、とても良かったです。
森鴎外記念館へ行く前に向丘の蓮光寺に久々に行きましたが、幕末の二本松藩とも関わりが深い大垣藩主戸田家の菩提寺ともあって、大垣藩士の墓も数多くあり、戊辰戦争に出兵した人の墓もあるのではないかと思いました。また前述の花香恭次郎の実父でもある戸田伊豆守氏栄の墓碑もあり、没年月日が本人の個人墓、新しく建てられた墓誌、ウィキペディアの記述でそれぞれ異なり、検討の余地があるなと思いました。





忙しい中でしたが、以上の通り様々な講演や展示をみることができ、また歴史的な代替わりに関する行事などもみることができ、充実した日々を過ごせたと思います。

今年は自然災害も非常に多い年でした。私が訪問した千葉県や佐野市、そして私の郷里福島県でも馴染み深い本宮市が大きな被害を受けました。報道のたびに馴染みある風景の変わり果てた姿をみる度に心が痛みました。
被害を受けた方々にお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復興を願っております。

今年は幹事メンバーの「ソロ活動」ということで、会としての活動は流山市立博物館友の会催行『板橋・巣鴨をめぐる歴史探訪』のボランティアガイドのみとなりました。
幹事メンバーは各自でさまざまなイベントにお邪魔しましたが、一昨年発売となりました『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の宣伝の場を設けて頂くなど、各関係者には大変お世話になりました。
この場を借りて改めて御礼申し上げます。

来年の当会の活動については未定ですが、引き続き皆さまにはご支援ご鞭撻の程お願い申し上げます。
来年も皆様にとって、よいお年でありますよう願っております。
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【追跡】染井霊園の改葬危機の墓所

2019-12-30 00:40:06 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
3月に「撤去危機になっている江戸幕府最後の大老酒井忠績の墓」と題し、改葬危機が迫っている酒井忠績の墓所や山内豊城家の墓所・水戸徳川家分家徳川圀禎家の墓所を紹介しました。

撤去危機になっている江戸幕府最後の大老酒井忠績の墓

昨日、久々に染井霊園を訪れ、その後の状況や新たに立札が建てられた墓所を確認しました。

酒井忠績の墓所は期限付きの立札ははずされたものの、現在はこの立札になっています。



改葬危機の状態には違いありませんが、お花が供えられていました。
この状況を知った方によるものでしょうか。

山内豊城家の墓所も変わらずで、期限付きの立札となっています。危機状態です。



徳川圀禎家の墓所は立札が撤去され、改葬危機を脱しました。



霊園内を結構歩きましたが、立札の数が増加しているように感じました。
その中でも経歴等が分かる人物を紹介します。

足利衍述
一種イ9号2側
愛媛県宇和郡伊賀上村出身の日本儒学史研究家。



寺見機一
一種イ9号5側の辺り
岡山県出身の外交官。ロシア公使館書記官。
明治11年(1878)榎本武揚シベリア横断に当時留学生だった寺見が随行。他に市川文吉・大岡金太郎が随行。





結城素明
一種ロ6号12側
日本画家。聖徳記念絵画館蔵の「江戸開城談判」を描く。







林唯翁
一種ロ6号9側
経歴不明。墓碑裏面に「徳川幕府籏下林唯翁」とあり。







鈴木定津
一種ロ16号の辺り
支那事変戦病死者。左側面に撰文あり。



これらの墓もご縁者が現れ、管理料が支払われない限りは無縁改葬される運命にあります。
以前も書いた通り、少子化の影響や価値観の変化に伴い、無縁墓が増加することは仕方のないことであり、墓所は基本的にご子孫の祭祀の場である以上、個々の事情によって墓所が消滅することはやむを得ないことであります。
個人的には、墓碑は歴史的な価値があるものと考えており、後世に残されるべきものだと思っていますので、ご縁者が現れ、これらの墓所が残されることを願っております。
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青山霊園の土佐の墓まとめ

2019-12-21 00:26:58 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

11/30土佐史談会関東支部にてお話させていただくに当たり、夏ころからコツコツ回って様々な墓に遭遇。

まだ見つからない墓もありますが、一先ずご報告まで。

○千頭清臣(1種ロ25号2側=写真)
博文館から出た『坂本龍馬』の著者とされるが、実際は山内家史料編纂所の田岡髪山が著したもの。千頭は新潟、鹿児島などの県知事から貴族院議員となった人物。
 妹が土佐の刀剣家秋山久作の息に嫁ぐ。秋山の墓は1種イ2号13側にあり、大久保利通や斎藤茂吉の墓に近接。



○澤本孟虎(2種イ9号13側=写真)
長岡郡介良(現高知市)の出身。新聞記者から田中光顕の秘書になった人物。



○山中安敬(池 大六。1種イ1号19側=写真)
佐川出身。勤王志士の見張り番から一転仲間に加わり、那須盛馬(片岡利和)や浜田辰哉(田中光顕)らとともに赤土峠に集まり脱藩。中江兆民(1種イ1号24側6番)の6列北側。一族の方(橋本達広氏)が『土佐史談』最新号(272号)に「山中安敬伝」を寄稿。



○武田秀雄(1種イ4号24側=写真)
香宗我部一族で、海軍機関中将から一転実業界(三菱)に転じた人。姉は無著尼といい、野市に吉祥寺という禅寺を立てたが今はない。



○加賀美繁子(1種イ5号18側=写真。 佐々木高行(1種イ21号8側8,9番に墓)の次女。光賢夫人)女官として宮中に仕えた。



○仁尾惟茂(1種イ15号2側)
迅衝隊に属し戊辰の役を戦い負傷。大蔵省に仕え専売局の濱口雄幸の先輩。

○浅川範彦(1種イ18号4側=写真)
北里柴三郎(至近の1種イ19号2側1-5番に墓)を支えた血清学者で、中江兆民の従兄弟。



○石本釒貫太郎(1種イ22号5側=写真)
大連市長、代議士を務めた人物で、仙石貢のすぐ前にある(1種イ22号9側3番)。ちなみにこないだお話しした片岡利和の甥広井勇の後を仙石貢が、広井の前に白石直治(中島信行甥)が土木学会会長を務めている。



発表で触れられなかった人たちですーー
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今年、青山にて

2019-12-17 23:50:51 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

『探墓巡礼』刊行から既に1年。本を作ったことをきっかけに様々な方からお声掛けいただき、いろいろなところでお話させていただきました(青山巡墓、京都、土佐史談会関東支部例会)。

その準備のため、今年はとにかく青山霊園をよく巡りました。

その中から将来『探墓巡礼』を作るとしたら候補になりそうな墓を紹介します。

○小笠原賢蔵(立山1種ロ4号1側=写真)
 慶応4年(1868 )8月、品川脱出時の大江丸を率い、宮古湾海戦の高雄船将として降伏。
 幕末時は小笠原島へ渡り、慶応3年(1867)に小野友五郎の軍艦買いつけの渡米に同行。そのときの同行者尺振八(のち共立学舎設立)の墓のすぐ裏側にあり(=写真)、父小林省三と兄弥三郎らの墓もある。





 その後、明治政府の海軍操練所に務め、のち郵便蒸汽船会社の船長となる。
 墓碑裏面に[小笠原賢蔵君東京人也。明治十八年(1885)三月十一日歿。年四十有四]と刻む。

○本山漸(1種ロ2号17側=写真)
 品川脱出時の美嘉保乗組員で銚子沖で破損し箱館には行けず。菊間藩を経て海軍創設に携わり、海軍大学校教頭や海軍兵学校長を務め、天寿を全うした。晩年は庶民夜学校を無償で行い東京府知事に賞をもらう。
 正面[本山家累代之墓]、裏面に[大正九年(1920)三月四日歿行年七十九]と刻む。



 適塾出身。昭和4年まで生きた岩瀬忠震の六女吉子の夫。雑司ヶ谷の岩瀬家奕世之墓を建てた人物の墓にようやくたどり着くことができた。息佗吉、孫櫻一も墓碑に刻まれている。

○江間政發(1種ロ2号18側=写真)
桑名出身の歴史家。桑名や現地で得た情報により港区天徳寺を探したが見つからずじまいだった。コメント欄にヒントをいただいたおかげでたどり着け、感謝申し上げたい。墓誌に[修述院寛譽些亭居士 大正五年(1916)八月二十四日 政発 六十五才]と刻む。



○村松 一(立山1種ロ4号5側=写真)
 今の東洋英和女学院の創設者の1人。養父は村松遠江守武義で、紀州藩家老から幕臣となった将軍家茂の小姓。実父はその同僚諏訪頼功。わが高祖父加藤忠恕とともに働いていた方の墓にようやくたどり着けた(諏訪は未見)。
 左面に[大正四年六月九日永眠/行年五十八歳]と刻む。



○望月光蔵(富岡忠幸。1種ロ16号5側=写真)
神奈川奉行所に務めていた人物で、戊辰の戦いで元新選組永倉新八、その友芳賀宜道、米沢出身雲井龍雄とともに会津を救おうと転戦したが、米沢の降伏により断念。「夢乃うわ言」と題する手記を残す。正面[富岡忠幸/配宮原芳子之墓]、左面に[忠 明治二十三年(1890)十二月二日卒/芳 同三十三年(1900)一月三十一日卒]と刻む。



○渡瀬寅次郎(1種ロ7号16側=写真)
幕臣。父源四郎。札幌農学校を出て伊豆に蜜柑園を創り柑橘振興に功労あり。息雅太郎らの名を墓誌に刻む。継母の墓碑あり。加藤弘之・市川兼恭に連なる一族にして孫に小坂善太郎外相、曾孫に小坂憲次文科相がいる。
寅次郎は[大正十五年(1926)十一月八日歿]と墓誌に刻む。



まだまだほんの一握りと思いますが、来年もできる限り足を運んで少しずつ見つけていきたいと思う。
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