探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

モロさんと古書

2013-06-26 01:31:22 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。6月22日は、我らが師匠 釣洋一先生の傘寿のお祝いでした。

このところ、会合でことあるごとに挨拶を任されてしまい、人前に出る緊張で楽しみも半減。

それでも日頃先生に言えないことをみんなの前で伝えてみる。それを先生がどう感じ取ったか、また店に行ったときにでも訊いてみたい。

二次会は恒例の春廼舎である。歴史上の人物のご子孫との会話もそこそこに、古写真部の面々は外に弾き出されている。

ふとモロさんの横にすわった。最近掘り出し物の古書はないか尋ねてみる。

モロさんが取り出したのはなんと、昭和17年刊 育英書院版 新撰組史録である。

昭和40年代の白竜社版は以前購入した。巻頭グラビアのある期待を裏切らない仕上がり。

それに比べて育英書院版はやや文語調で西軍側の記述が詳しい。いささか読みにくい印象。

でも渕上郁太郎暗殺の記述が他版と微妙に違う。赤根武人びいきの私としては相方の渕上が瀬高で暗殺されたことは一大事。

その御陵衛士の手による暗殺の記述に目を見張らないわけにはいかない。そんな気がかりがあって即購入してしまった。(結局白竜社版とあまり違いはなかったのだが…)

おまけに田村栄太郎の板倉伊賀守までおまけしてくれた。これはありがたい。

板倉周防は、なんといっても山田方谷の殿様だが、やはり箱館までいった永井主水正や松平定敬、小笠原壱岐守とともに榎本たちの有力な後ろ楯として、大政奉還以前の動向も気になるところ。

簡便な伝記により概略がつかめること必至である。

なんとも大収穫で、がんばれば報われると、日ごろ努力もしないでぬくぬくとしている自分に周りの方々が親切にしてくれるだけで、自分にできることを考えさせられる。

静岡のことはやはり自分にしかできない。そう思い定めて、東軍慰霊祭のためにいまいちど邁進しようと決意したのであった。

モロさんありがとう!釣先生に感謝!
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探墓巡礼、子孫を訪ぬ

2013-06-20 00:11:23 | 会員の調査報告
ながのごぶさたでした。会員のカトケンです。

今年9月28日(土)、小弟の故郷静岡市にて、東軍慰霊祭が催されます。戊辰の役でなくなった旧幕府方の人たちを悼み、講演を聞いてあの時代に思いを馳せるイベントです。

その実行委員として幕臣の子孫の方々にご協力いただこうと今まで訪ねてみたいと思っていた歴史上の人物の子孫を訪ねました。

まずは浦賀奉行所与力で、長崎へ海軍の伝習に行き、咸臨丸で米国に渡った佐々倉桐太郎のご子孫。

私たち探墓巡礼顕彰会メンバーが歴史研究にリレー連載を始めて二番バッターの私が最初に取り上げた人物です。

浦賀奉行所与力といえば、中島三郎助が有名です。この人は箱館で父子三人戦死するわけですが、幸い三男がいてこの忘れ形見に中島家を嗣がせたのが佐々倉です。

このことが書きたくて佐々倉を取り上げました。たまたま時宜を得てそのご子孫の方が本を出版され、これも手にいれて読みすすむうち、聞きたいことがたくさんあって、いてもたってもいられなくなりました。

東軍慰霊祭へのお誘いをかねてお訪ねしたところ、大変な歓待を受けてしまい、かえって恐縮でした。

嬉しいのは系図を作成されていて、関係が把握できることです。だいたいお墓からたどるのですが、佐々倉家は向丘浄心寺、西浦賀の常福寺までいきましたが、下田の海善寺まではさすがにいってません。

多々良四郎氏中島三郎助にも、佐々倉洋一氏下田浦賀海防戦線にも下田の海善寺に言及があったので、もういいかなと。

お墓を訪ねるのをやめた途端、ご子孫に当たりました。そんなものですかね。

ご親切にしていただいて、奥さまが仏壇にある高橋由一筆なる中島三郎助と幕末軍艦咸臨丸所載の佐々倉桐太郎写真を見せてくださいました。

午前中からお訪ねし、話が弾むとお昼になります。自然な流れでお蕎麦が出てきてよばれてしまいました。

最後にはご著書をいただき、臼井藤一郎文書までお譲りいただきました。

歴史上の人物の子孫を訪ねるのは、これほどの収穫があるのでしょうか。誠に歓喜に堪えぬ訪問となりました。
コメント (2)
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