探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

快なり!渋沢栄一新1万円札発行

2024-07-03 21:54:27 | 日記
会員のカネコです。
本日、渋沢栄一の肖像が描かれた新1万円札が発行されました。

東京タワーではこれを記念して東京商工会議所 主催による「渋沢栄一 新札発行記念ライトアップ」が行われました。
日没頃から栄一ゆかりの「藍玉」をモチーフとした藍色にライトアップされました。




15:00からは東京タワー正面玄関前で、東京商工会議所で渋沢デザインペットボトル水の無料配布が行われていたので、仕事の移動途中に立ち寄りました。





平成31年(2019)4月に新紙幣発行の発表があり、令和への改元をはさみ、9月に2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の発表がありました。この年、にわかに渋沢栄一への関心が高まったことを鮮明に覚えています。
大河ドラマ「青天を衝け」は栄一の自伝『雨夜譚』のエピソードがふんだんに使われており、栄一周辺の人物も丁寧に描かれていて、私個人としてはとても楽しめたドラマでした。
小学生の頃に「独眼竜政宗」や「太平記」などを毎週日曜日が来るのを待ちわびていた感覚を久々に思い出したものです。

当会では平成30年(2018)に『探墓巡礼~箱館戦争関係人物を歩く~谷中編』を刊行し、その中で渋沢栄一の項を私が担当しました。
渋沢栄一については、かねがね業績に対する知名度が低いと思っており、私は平成23年(2011)に開催した「第4回巡墓会 谷中霊園巡墓会(前篇)」で栄一を取り上げました。
その流れで『探墓巡礼~箱館戦争関係人物を歩く~谷中編』での執筆となり、令和4年(2022)には渋沢とその周辺人物をテーマとした「第16回巡墓会 谷中霊園巡墓会~渋沢栄一とその周辺~」を開催しました。
こうしてみると、渋沢栄一を取り巻く環境はここ数年の間に大きく変化し、感慨深いものがあります。

私が渋沢に強い関心を抱いたのは佐野眞一著『渋沢家三代』(文春新書)でした。刊行は平成10年(1998)でしたが、購入したのは平成17年(2005)頃だったかと思います。



当時はよく近所のブックオフで歴史系の新書を雑多に買っており、何となく手に取って買ったのですが、読み始めるとどんどんとその世界に引き込まれました。
『渋沢家三代』というタイトルの通り、実業家としての栄一というより、栄一・篤二・敬三三代にわたる家族の物語であり、さらに尾高家や東の家などの親族の描写も詳しく、栄一だけではなく一族の人たちにも魅力を感じました。

平成23年(2011)の巡墓会の前年に初めて血洗島へ行き、渋沢栄一記念館・中の家・渋沢家墓所・尾高家・尾高家墓所などを巡り、大変感銘を受けたものです。

令和3年(2021)の大河ドラマ「青天を衝け」にあわせて、栄一の周辺人物を調べ直し、この作業は今も続いていますが、交流関係は政治・経済・教育・福祉と幅広い分野に及び、関係する地域も北海道から九州に及んでおり、栄一の活動範囲の幅広さにいつも圧倒されています。
『青天を衝け』最終回の「大河紀行」では、曾孫の渋沢雅英氏が「スケールの大きなね、守備範囲の広い、信じられないような活動家でしたよね。」と語っていましたが、正にこの言葉に栄一の生涯が凝縮されていると思います。

今回の新1万円札の発行を機にさらに栄一の業績が広く知られることを願うとともに、私も引き続き、栄一とその同志たちの掘り起こし作業を続けたいと思います。
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久々の京都②第18回山南忌と懇親会

2024-04-29 23:56:52 | 日記
会員のカトケンです。



(阪急烏丸駅にある江戸時代の「洛中洛外図」(高津家本)。令和5年3月11日撮影)

さて、遅くなりましたが、2日目の3月10日はいよいよ山南忌。前夜は早くホテルに戻ったつもりが、結局晩飯に出たのが7時台とあって、案の定夕食難民に。この時期の京都は観光客が多く、八条口側の店もとても賑わって目的の店に入れなかった。

それでも翌朝、ホテルの前の喫茶店の開店を待って、トーストとコーヒーだけのザ・モーニングをいただいて街へ出た。昔ながらの雰囲気に、地元の人と観光客が混じって味わい深い店だった。

翌日友人と1日京都巡りを予定していたので、京都駅のバス乗り場を下見、一日乗車券を求めに売り場に行ったら、バスのみの一日乗車券は昨年販売終了。地下鉄のセットで1,100円だから、5回でモトが取れると親切なご案内。

地下鉄を乗り継いで四条大宮へ。光縁寺に行くと、山南忌講演の汐海珠里さんとサポートの権東品先生と鉢合わせる。汐海さんはよほど緊張していたようだった。権さんはいつもどおり、快活なご様子であった。

本堂裏の墓域へ回ると、名古屋の成木さんにバッタリ。少し立ち話をして、また懇親会でと一旦別れ、墓参(=写真)。



山南敬介や大石酒造蔵、他の隊士たちの墓参にひっきりなしに人が来るため、お寺の方が忙しく線香を取り替える姿が印象的であった。

本堂に戻って階段を上がり、ご位牌にもお祈りを捧げ、いつもここで案内をしているアライさんと旧交を温める。

通りへ出て、旧前川邸に向かうと、案内の久保さんが来た人を写真に収めていた。少し旧交を温めることができたが、お邪魔にならぬよう、受付を済ませる。

そして切腹の間へ。そこへ至る前の庭がまた素敵である。ここは忙しなく人がひっきりなしに来るが、京都新選組の会の方々がデンと構えて迎えてくださり、案内の若い衆も大変そうだ。

お土産売り場を抜けて、顔見知りの人たちが集まると自然会話が弾む。熊本の佐川官兵衛顕彰会澤田さん、撥雲会の中島さん、佐幕派の穂刈さんなど、甲斐甲斐しくお世話をする田野社長ご夫妻の眼の前で笑いが飛ぶーー

お昼を挟んで12:30開始のため、早めに会場へ。昼前に壬生寺で稽古をしている天然理心流試衛館の有賀さんにお目にかかる。若手を指導されていて、とても忙しそうであった。

会場へ上がると、釣先生がご夫人の春音さんを伴って来ていて旧交を温めた。2週間後に会うのにもかかわらず、余りにも久しぶりだったため、話すこと盛りだくさんであった。

恒例となった演武や舞を終え、汐海さんの講演は、山南の訓みが「やまなみ」か「さんなん」かの提起や最期の考察に焦点を絞ったものであった。「三男啓助」の史料はかつて秋田書店の『別冊歴史と旅』新選組特集で谷春雄さんが発表したものではなからうか。

もう少し聴きたかったなぁというのが、あとで権さんとも話した講演の感想で、早速集まりを企画しようという話になった。

今年は講演の後にも演武が披露され、天然理心流試衛館の皆さんが緊張感のある演武を見せた。残念ながら高鳥館主が飛ぶ柔術の演武はなかったが、様々な方の意見を取り入れて行っていることが後でお話を聞いて分かり、工夫されているなと感じた。

抽選会も様々が品々が贈られた。そんな品物の一つ、谷キョウジさんからのコアラと新選組をかけたグッズがあった。何かと思ったら、多摩動物園にコアラがいるからと日野で谷さんが作らせたお土産だそうで、後ろに座っている谷さんとそんな話をしながら抽選会を楽しむことができた。

懇親会場が変わって不案内の釣夫妻を連れて行くよう田野社長に頼まれたにもかかわらず、恒例の椅子の片づけに夢中になり、ご夫妻を見失ってしまい、四条大宮の駅まで行ったところ田野夫人から電話が…

旧前川邸にいらしたとのことで、案内は久保さんへバトンタッチ。得意なはずの京都案内がとんだ迷宮案内になってしまった。

阪急電車での移動では、残念ながら去年のようにレギュラーメンバーとの再会はなく、それもそのはず、後で聞いたら片割れの1人はお子さんの受験で今年は来られず。やり取りしている年賀状も小弟が転居先を失念して旧住所に送ってしまい、「今年は行けない」とのコメントのただのキャッチし忘れであった。

年齢を重ねると、いろんなボタンの掛け違いが出てきてしまうもの。

そしてお楽しみ懇親会では、司会の影山さんのお祝い、釣先生が今年90歳を迎えるお祝い(=写真)など嬉しいことが続き、新徳寺の山田和尚や京都文化博物館の西山さんから転居先の有力情報を得られ、大収穫であった。



光縁寺で会った成木さんとは、経団連の会長を務めた植村甲午郎の父が幕臣の子弟で、サッポロビールの前身札幌麦酒会社専務植村澄三郎との話になり、実家に帰る度に読んでいる前田匡一郎著『駿遠に移住した徳川家臣団』に[ビール界育ての親]と書かれていることを思い出して、こういう記述が明治の幕臣を調べる醍醐味と改めて認識できた。

また今年の吟詠はアライさんのリクエストに応えて、頼山陽の「不識庵機山を撃つの図に題す」を行った。上杉謙信から見た川中島の戦いを漢詩にしたもので、[鞭声粛々]から始まる有名なもの。小弟が詩吟を始めるきっかけになった作品だけに感慨深かった。

余り練習する時間が無かったが、とにかくここではいつも暗誦を自身に課しているから、酒が入って記憶が飛ばないか冷や冷やもの。何とか無事終えてほッとひと息アライさんに感想を聞くと、自分でリクエストしていたことをスッカリ忘れていたという落ちであった。

毎年緊張を強いられる懇親会というのはいかがなものかと思うが、今年はちゃんとご挨拶をしたせいか、帰りがけに撥雲会の西村塾頭がお声がけくださったり、いつも山南忌で京都に来る際に宿の手配をしてくださって1月に亡くなった稲畑豊子さんが紹介したいとおっしゃっていたサワさんとお目にかかれたりと、やはり嬉しい、楽しい方が優る会なのである。

帰りがけに一緒になった方ともこの会の雰囲気の良さを分かち合えたーー



(五条大橋の袂にある扇塚。令和5年3月11日撮影)
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久々の京都①2人の中井と第18回山南忌

2024-03-22 23:07:35 | 日記
会員のカトケンです。

今年もやって参りました都入り。11時に着くや否や自転車を借り、西洞院通りを北上。五条を右に折れ、高倉通りを上ると浄土宗、常照山、長香寺がある。



昨年、山南忌の前に少し見た大工頭中井大和守正清の墓所である。徳川家康に仕え、城閣や神社仏閣、天皇の住まいなどの建築も手掛けた人物として知られている。

本堂に背を向けて墓地に入ると、右手に中井家墓地がある。そのいちばん大きな墓がてっきり正清のものかと思い込んでいたら、裏面に諱が[正に行人偏に追うのツクリ]とあった(息子正侶のことカ)。これでは正清とちゃう。



困ったと思っていたところ、ふと中井家の反対側(すなはち入口から墓域に向かって左手)を見たら、水鉢に「中井」と刻まれ、墓域の中で最も大きな墓があった。

正面[宗徹道意]、左面[運譽妙慶]、右面[宗譽浄慶]と刻まれ、裏に回ってみると、ありました×2。

1年何をやっていたのかとホトホト自分がイヤになるが、見つかって良かったーー裏面に[中井大和守橘朝臣正清/元和五年(割書=己未)暦正月廿一日(1619・3・7)]と刻む。

3基並んでいて(=写真)、向かって左が正清、中央は不明(正面[仰譽誓雲])、右が[中井大和守内儀/(省略)/元和三(割書=丁丑)暦十月十五日(1617・11・13)]と刻む。内儀とは夫人とか妻の意味である。正面[深譽仰誓]、左面[専譽妙西]、右面[急譽西運]であった。



なお、省略部分は[當六親唱(土偏)進菩提]と読めるが意味不明。

そこから至近の因幡堂・平等寺をお参りして(=写真)、万寿寺通を東へ。珍しい、趣のある建物がたくさんあり、途中車が通れないほど狭くなっていったところの古い建物にも感心したものだ(=写真)。





そこから高瀬川に出るとこれまた雰囲気のある場所や建物に出会い(=写真)、夢中で写真を撮ったーー旧五条通である鴨川にかかり擬宝珠を擁する松原橋を渡って(=写真)、宮川町を北へ折れると木の扉に赤く丸い提灯がぶら下がる置屋がずっと続いていて、タイムスリップしたように風情がある場所であった。





途中、白川にかかる大和橋を越えて、新橋通から縄手通りに出る辺りに寄った(=写真)。ここが慶応4年(1868)2月に英国公使パークスが襲われたところである。



護衛の後藤象二郎は奮戦、中井弘は負傷。その中井の銅像が円山公園地下駐車場の上にあるか確認しに来たのだ(=写真)。



京都府五代目知事(当時は県令だろう)で、円山公園というより、もうほとんど八坂神社の左奥であった。樹木に囲われて昼でも暗く、あまり人気がない地味なところであった。

これでは交流があったとはいえ、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像に比べて目立たないであろう。

そこへ来る前に通った新橋通の歴史的景観保存地区は、宮川町の置屋群とともに長らく知らなかったところで目を見張った(=写真)。



自分で言うのも何だが、今まで余りにも観光地に寄らな過ぎであっただろう。巽橋は知っていたが、そのすぐ反対側の新橋通はノーマークであった。

ところで、中井弘は実は土佐の人と関係が深い。先ほどの後藤象二郎や坂本龍馬のみならず、以前このブログでも書いた片岡直温がそうだ。昭和恐慌時の大蔵大臣として有名だが、中井が滋賀県令のときの部下で、『回想録』に中井の逸話を載せている。

また中井は東京駅で暗殺された原敬総理の岳父でもある。墓は京都洛南の東福寺といふがまだ見ていない。

中井の胸像を見て目的を果たしたので、あとは好きなところをちょろっと回って京都駅まで自転車を返しに。思いのほか、早く切り上げられたので、そこから京都駅展望台へ。

今まで登ったこともなかった高いところまで行き、抜群の眺めが見られた(=写真)。





そして初日は暮れていったーー
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新年のご挨拶

2024-01-08 17:19:51 | 日記
会員のカトケンです。

大変遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

元旦から能登半島地震が起こり、未だ生存が確認されていない方がおられる状態で、寒い季節であるだけに大変心配です。被災を余儀なくされた方々に心よりお見舞い申し上げます。

昨年は再開後2回目となる巡墓会を9月30日に護国寺・雑司ヶ谷にて開催し、たくさんの方にお越しいただきまして、ありがとうございました。

明治、大正、昭和を生きた人が幕末を回顧したり、顕彰したりしたとき、旧幕府側をどう取り上げたか、また評価が定まっていない現代の人物、特に大陸との関わりを意識して取り上げてみました。

朝ドラ「らんまん」のモデルになった牧野富太郎にあやかり、出身地のお殿様で土佐藩筆頭家老の深尾家やジョン万次郎など「土佐モノ」にも触れる機会を得られました。

今年もカネコ幹事と下見をしながら企画していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

さて、昨年暮れの週末を使って港区麻布十番に善福寺と福泉寺を訪ねた。善福寺は安政6年6月3日(1859・7・2)、最初の米公使館として幕府の命を受けた場所である(=写真)。





目的は福澤諭吉の三女俊の婿清岡邦之助の墓が無いか確認することだった。父は武市瑞山率いる土佐勤王党の捕縛に対する助命嘆願のため、安芸郡野根山に挙兵し、処刑された道之助。

母は遺児邦之助を女手一つで慶大へ入れ、福澤の娘婿にまで育て上げた人。この人の兄が、土佐出身で昭和初期の総理大臣濱口雄幸の養父義立という関係。青山霊園で濱口を取り上げるときに一族である清岡邦之助に触れたいと考え足を運んでみたが、残念ながら徒労に終わった。

福澤夫妻の墓は本堂左手の墓域を入ると右側にある。その間に越路吹雪と岩谷時子の碑があった。

また墓域の上の方には評論家しまねきよしの墓もある(浄土真宗本願寺派、麻布山。港区元麻布1−6−21)。

さらに福泉寺に江戸後期に代官を務めた中村八大夫知剛の墓を訪ねた。教会のような造りの本堂を右手に進み、裏手の墓域に出ると壁に沿った中央手前寄りにあった。

正面に[真實院釋顯誠居士]と戒名を、左面に[俗名 中村八大夫 享年九十七/天保十四癸卯(異体字)三月二日卒(1843・4・1)]と没年を刻む(=写真)。家紋は丸に六角に花菱だろうか。





『探墓巡礼ー谷中編』で取り上げた箱館戦争に参戦した松岡盤吉の父正平が、江川坦庵に仕える前に中村代官の手代をしていた関係から見たかったのだが、松岡家がどこから来たかそこから先は未探究。中村代官は伝馬町代官を務めていたため、韮山に来る前に松岡家が江戸にいたことは確かである(浄土真宗本願寺派、港区南麻布1−6−7)。

帰りに善福寺に向かう途中、気になった喫茶店に立ち寄り、レトロな雰囲気を堪能した。マスターが一人で切り盛りしている昔ながらの店といった感じで、レモンが上に乗ったベイクドチーズケーキをコーヒーとともにおいしくいただいた。

夏に母と横浜スタジアムに野球観戦に行ったとき、中華街のはずれにあったレトロな喫茶店の雰囲気をここでも再び味わうことができた。横浜の方は女主人が切り盛りしていて、アイスコーヒーがとてもおいしかった。

昨年は9月に中学OBの合唱がようやく実現し、恩師や同窓の人たちと旧交を温めることができたり、正月も同級生と2年ぶりの再会ができ静岡市の歴史散策を楽しめたりと、書くべきネタは尽きなかったのだが、筆不精がたたって逐一報告ができなかったことを悔いて、今年も新たな気持ちで投稿できたらと思う。

何はともあれ、本年もよろしくお願いいたします。
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新年のご挨拶

2024-01-01 00:00:01 | 日記
会員のカネコです。
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

昨年は9月に第17回巡墓会「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」を開催し、コロナ明け2年連続で巡墓会を開催することができました。
開催にあたってはカトケンさんと二人で数回にわたり下見を行いました。
コロナ後ともあり人が密集しないような配慮、気候変動により高温も予想されたので、木陰の状況や休憩地点の確認、歩きやすい道の確認等々、安全な運営のために確認と意見交換を重ねました。
またまだ手探り状態ではありますが、2年連続で巡墓会を開催できたことは、私たちにとって大きな自信となりました。
これもひとえにご参加いただきました皆さま一人一人のご協力によるものと感謝しております。

昨年の「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会Part.2~徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像~」は2010年に開催した「護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会」以来、13年ぶりの護国寺・雑司ヶ谷霊園での開催となりました。
当時はまだ、当会結成2年目で、第2回目の巡墓会でした。人選も講師がそれぞれ好きな人物を選ぶという方法でしたが、今回はここ数回の巡墓会の路線を引き続き、コンセプトを立てて人物選定を行いました。
護国寺が徳川家ゆかりの寺院であることを起点とし、明治維新後に徳川家が復権していく過程で影となり日向となって動いた人物、徳川慶喜復権に尽力した渋沢栄一と深い親交があった人物、さらにこれらの人物が大陸へ向かった人物たちと関係があったことなどを踏まえ、人選をしていきました。それらを集約したのが「徳川の復権と大陸をめぐる近現代の群像」という副題でした。

コンセプト巡墓会を開催して改めて確認したことは当会の名称にある「探墓」「巡礼」「顕彰」という3つのキーワードです。特にコンセプト巡墓会においては「顕彰」の部分が重要であると認識しました。
つまり、埋もれた人物にいかに光を当てるか、知られている人物でも従来の人物像と違った側面に光を当てることができるか、といったことがこのコンセプト巡墓会の要になると思いました。
人物不在の「探墓」「巡礼」ではあってはならいと思いました。
もちろんこの3つのキーワードのどれか一つも欠けてはなりませんので、「探墓巡礼顕彰会」の名称の通り、三位一体となる活動を常に心がけていきたいと改めて決意しました。

次回以降もコンセプト巡墓会を企画して行きたいと思います。
新生探墓巡礼顕彰会を今後ともよろしくお願いいたします。

昨年は当会発足時より応援いただいていた函館の平沼久美子さんのご逝去など悲しいこともありました。
思い返せば、当会発足から現在に至るまで、さまざまな方に支えられて活動を続けてきました。
今までに関わったさまざまな方の想いを受け継ぎ、「恩」を忘れることなく、励んで参りたいと思っております。

私個人としては、前年に引き続き仕事が多忙のため、なかなかプライベートの歴史研究に時間を割けずにいますが、その中でも昨年は朝河貫一生誕150年、河野広中没後100年という記念の年でしたので、福島県中通りでの企画展やシンポジウムに行くことができ、ライフワークである二本松を中心とした福島県の郷土史研究を深めることができました。
また、渋沢栄一の命日「青淵忌」で渋澤家のご子孫と言葉を交わすことができたことも思い出深いものとなりました。
二本松藩士のご子孫、さまざまな分野の有識者の方々とも交流ができ、これまでお付き合いがあった同好の方ともより深い交流を重ねることができました。

今年はこれらを糧にして、探墓巡礼顕彰会の活動とは別に、新たなプロジェクトへ向かいたいと構想を練っています。

本年が皆様にとって良い一年になることを祈念いたします。
引き続き、当会へのご支援ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
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