探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

青山霊園巡墓会のお知らせ

2009-10-10 22:23:38 | イベント
先日の会合報告でもお伝えした青山霊園巡墓会。
今回は坂本龍馬ゆかりの人物を中心に16名を選定して当会会員が講師となりご案内します。

★"青山霊園巡墓会"参加要項
①日  時:11月29日(日)受付12時30分より(雨天決行)巡墓=午後1時(出発)~午後4時(解散)
②集合場所:青山霊園 中央十字路において
   ● 所在地:〒107-0062 港区南青山2-32-2
   ● 交通:地下鉄銀座線外苑前駅から徒歩8分
       地下鉄千代田線乃木坂駅から徒歩12分
③テ ー マ:青山霊園に眠る先人の墓碑
④講  師:釣 洋一先生(探墓巡礼顕彰会会長)ほか
⑤参加費用:1000円
*解散後、希望者で懇親会(3,000円程度で/四谷春廼舎にて)

ご参加を希望される方は下記の歴史研究会のHPをご覧の上、お問い合わせ下さい。

青山霊園巡墓会
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9月21日 大阪・三田・神戸調査

2009-10-10 02:02:25 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
9月21日は大阪市内と兵庫県三田、芦屋、神戸を調査しました。

地下鉄谷町九丁目を下車すると、寺院の密集している地帯に出ます。
まず久本寺で住友家2代住友友似の墓を調査しました。
住友家は浄土宗実相寺を菩提寺としていますが、友似はじめ法華宗に帰依した当主の墓はこの久本寺にあります。

久本寺のすぐ近くには近松門左衛門の墓があります。元々、この近くにあった法妙寺にあったが、法妙寺が移転した後、現在地に移されました。

さらに歩き、中寺町の顕孝庵で鴻池家の墓を調査しました。
門が閉まっていたので、お寺の方の許可を頂き拝観しました。始祖山中幸盛以降歴代の五輪塔が70基程並んでいるのは壮観です。第十三国立銀行を創設した鴻池善右衛門もありました。

近くの常国寺では作家梶井基次郎の墓を見ました。

その後、兵庫県三田へ移動しました。
正覚寺で藩主九鬼守隆の長女で久隆の義母西照院の墓を見てから心月院へ向かいました。
藩主九鬼家の菩提寺である心月院には三田藩の名家の墓が数多くあります。
江戸期の九鬼家歴代藩主の墓は本堂の直ぐ左横の一角にあります。
本堂の左の山一帯が墓地で山に伸びる道の中腹の左側に三田出身で綾部藩九鬼家の家老九鬼隆周の養子となった九鬼隆一の墓(写真)があります。
ここから少し進んだ右側に九鬼家の分家で明治期の建築家の九鬼隆範の墓があります。さらに進み標札を目印に進むと白洲次郎・正子夫妻の墓があります。
ここには儒学者であった江戸期の白洲家当主の墓も並んでいます。
白洲家の墓のさらに上に九鬼家の江戸期子女墓と明治以降の当主の墓があります。墓地の入り口にこれらの墓の地図看板があるので、見つけやすいです。

その後、芦屋の阿保親王墓を見て、神戸湊川神社の楠木正成の墓を見て関西3日間の調査を終えました。

今回は墓調査以外の目的もあったため、かけ足の調査となりましたが、予定通りにスムーズに廻ることができました。
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9月21日 西行南游日記

2009-10-09 13:00:38 | 会員の調査報告
会員のカトウです。
5年に一度といわれる秋の大型連休を使って高知へ行ってきました。

観光客で賑わう市街地を堪能してきました。

最大の目的は、土佐勤王党血盟書執筆者大石圓の墓参をご子孫の方とともにすることでした。

この方との再会は実に11年ぶりで、しかも今回は初めて墓へ詣でたばかりか、圓と直接血のつながりを持つご子息様ともお会いでき、充実したものとなりました。

裏の神社の階段を上がるときに刀が階段に当たる音がした、すなわち非常に背が低かったのではないかという話をうかがいました。

長崎に於いて洋銃一千丁を手に入れた功績により、山内容堂から賜った重箱を見せていただき、何よりの思い出となりました。

墓の場所は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のよしかわ駅をごめん方面に200mほど戻った右手にある古川山にあります。(高知県香南市吉川町古川)

こんもりとした森のような山で、山に向かって左側にある坂を昇り切る手前のコンクリートの坂になった斜面を来た方向に戻るようにして昇ります。
木がなくなったところを左に降りていくと、奥の方に20基に満たない数の墓碑が三列に整然と並んでいて、いちばん大きな墓が圓のもの。

左に降りずにさらに進むと大石団蔵先祖の墓と言われる墓が2,3基。縮往というなんとも珍しい名前がありました。

お花と米粒、お線香をあげ、水をかけるのが精一杯で、まだ午前10時にもかかわらず、けだるい暑さに加え、蚊がここぞとばかりにたかってきて苦労しました。

案内された方が午後を避けたわけがよくわかったというものです。

そのあと圓が暮らしていた屋敷(香南市横井)を訪れ、11年前に訪ねた折まだご存命であったご主人を偲ぶように、故人のご夫人と圓の暮らした住まいの縁側に腰掛けて、その家を管理するようになったいきさつなどをうかがいました。

亡きご主人の母方の縁だそうで、史跡保存にご協力くださる方はひょんなことから関わられるものだなと思ったものです。

この圓の住まいには入口に住居跡を示す石碑が旧野市町教育委員会により建てられています。

ご子孫の方によると、大石の墓が文化財に指定されるとかで、近々案内版も取り付けられる由。

訪ねやすくなるといいですね。
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夏休みの掃苔

2009-10-08 09:07:08 | 会員の調査報告
会員のクロサカです。
私もこの夏休みいろいろなところに調査に出かけました。
今回は、以前書いた仙台以降の動きについて報告させて頂きます。

8月24日~28日まで大学のサークル合宿に参加し、京都・大阪・兵庫の
調査をしてきました。
調査した場所を挙げてみると、

京都
大徳寺芳春院では格闘家アンディ・フグ、醍醐家、前田家(アンディの墓裏)、
阿部信行、大名建部家を調査しました。
妙心寺春浦院では、大光院から管理を移された日置家、滝善三郎、刀鍛冶関家一族を調査しました。
永養寺では住友家、二尊院では公家数家、天竜寺では楢崎龍と楢崎将作を調査しました。

兵庫
心月院では、九鬼子爵家(江戸~現代)、九鬼男爵家、白洲家、九鬼隆範、三田藩士出身の実業家なども調査しました。

大阪
顕孝庵では鴻池家、住吉霊園で住吉大社神職家、西方寺で神職家と津守男爵家を調査しました。
この合宿調査は以上になります。

そして先日横浜市鶴見区総持寺に調査に出かけてきました。
調査したのは、浅野総一郎家、愛宕子爵家、清浦伯爵家、奈良男爵家、村木男爵家、栗野子爵家、吉敷毛利男爵家(写真)、久留島武彦(久留島子爵家分家)、芦田均を調査しました。
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夏の掃苔報告

2009-10-07 21:33:48 | 会員の調査報告
会員の河内です。
初夏から晩夏にかけて、各地を掃苔をしてきました。

宮城県では山元町坂元字寺前徳本寺の伊達宗亮(大條孫三郎)。

山形県米沢市では相生町日朝寺の千坂高雅、城南5常安寺の雲井龍雄、大町4龍泉寺の掘粂之助、窪田町窪田1861千眼寺の色部長門。

福島県会津若松市では東山町石山天寧208天寧寺の萱野権兵衛と郡長正、東山町慶山愛宕神社の窪田重太、花見ヶ丘大窪山墓地の飯沼源八(白虎隊士貞吉の兄)、栄町興徳寺の池上四郎、宝町浄光寺の海老名季昌、建福寺前7の3建福寺の河井継之助、喜多方市では熊倉町熊倉杉の下墓地の中根米七と佐藤銀十郎。

千葉県では山武群九十九里町小関納屋の楠音次郎。

神奈川県では横浜市西区元久保町久保山墓地の山城屋和助。

長野県では下伊那郡豊丘村神稲伴野慈恩院の松尾多勢子。

岐阜県では中津川市馬籠永昌寺の島崎正樹、大垣市船町2の21全昌寺の小原鉄心。

京都府左京区では若王子山町若王子墓地の村田さと、南禅寺北ノ坊町光雲寺の菊池三渓、超勝寺門前町超勝寺の中西君尾。

大阪府では大阪市天王寺区上本町4大福寺の池内大学(写真)。

福岡県福岡市では博多区御供所町11の20節信院の加藤司書、博多区吉塚3明光寺の野村望東尼、中央区天神3少林寺の月形洗蔵。

以上を掃苔しました。
連休がなかなか取れないため、ほとんど日帰りでした。
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