探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

師の謦咳に接すとは

2021-11-30 00:18:35 | 日記
会員のカトケンです。

緊急事態宣言の解除を受けて、著書の紹介を受けた大学時代の指導教官福地惇先生にお目にかかりにお住まいのある街に足を運んだ。

『欺瞞の歴史を斬る!』(沢口企画=写真)を出版されたとのお手紙をいただき、すぐに購入。その感想を述べようとご自宅に連絡を入れたちょうどその頃、緊急事態宣言が再び出てしまい、ご著書の購入方法をわずかに年賀状のやり取りをしている同級生たちに伝えるくらいしかできなかった。



自らのことを「超右翼」と呼び、大手出版社からの刊行はならなかったことを嘆いて居られた。

もう20年以上前になるが、小弟らの大学卒業と同時に大学を退官され、当時の文部省教科書調査官に転じ、1年も経たないうちに江沢民国家主席の来日時に会員制雑誌で侵略戦争を肯定する発言をした廉で更迭されてしまった。しかも、任官前の対談を槍玉に挙げられたからたまらない。

閑職に追いやられ、教科書調査官になってやりたかったことを何1つさせてもらえないまま、数年後退官し大正大に転じた。

さぞ無念であったろうと思う。だが、我々の学生当時ゼミの打上げで先生が本来歴史の教授ではなく官僚になりたかったが、ちょうど当時の厚生省次官が汚職で捕まっていて、もし官僚になっていたらあんなことになっていたかもしれない!と軽口をたたいてよく我々を笑わせくれたものだった。

また、小弟なぞは先生の授業に物足りないと悪態をついていたが、先生は誰一人落ちこぼれることがないよう生徒のレベルに合わせて授業を開かれていた。ゼミの欠席者が出ると授業が難しかったのだろうかなどとよく心配されていたことは、思い出しただけでも心温まるものがある。

またこんなこともあった。先生の日ごろの愛国者ぶり、「尊王攘夷」とも言うべき主張からするとおよそ見当もつかないことだが、ゼミに参加していた中国人留学生が発表を終えた時、その努力と苦労を先生が褒め讃えたことである。

我々日本人ですら江戸時代を生きてきた明治人の漢字仮名交じり文の読解に、日ごろどれだけ悪戦苦闘させられたことか身に沁みていたから、まして外国人が同じことをやらなくてはならないなど、その労苦たるや計り知れないものがあった。先生はそれに報いるべく皆に拍手を求め、我々も自然とその留学生を喝采したのだった。

そのように生徒の気持ちを汲んでくれ、さり気なく導いてくださる師なのである。

在学中、台湾からの留学生とも少し立ち話をしたことがあるが、彼らは英語も日本語もでき、英語すらままならない我々など足元にも及ばなかったことを今更ながら思い出すとはなはだ赤面の至り。

そういう大真面目な先生である。もちろんご著書の中身は、大東亜戦争は米英が日支衝突を企てたことを論証するものになっている。その主張と人間性のギャップには接したことがない者は到底、理解し得ないものであろう。

幸いにして教科書調査官を追われた時以来、先生がマスコミを賑わすことはないが、世間で言うところと実像とはこれほど差があるのかと日頃歴史を追究していて身をもって感じるし、ご当人もよく今まで殺されずに済んでるよなぁとまた冗談めかしておっしゃるのを、それはやはり人と接する時の良識を持っているかどうかという理由があるからだと私は思う。

改めて師の謦咳に接すとは如何なることか、いつまでもお元気で生涯現役のつもりで研究にいそしんでいただきたく心から願う。その背中から、我々弟子たちも時々ひょっこり顔を覗かせては、楽しく歓談する機会を作りたいと思う。コロナがこのままおさまることを願いつつ...
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今回の青天を衝けの論語

2021-11-02 22:55:32 | 日記
会員のカトケンです。

選挙開票のため、いつもより放映時間を前倒しした大河ドラマ「青天を衝け」に久しぶりに論語が出てきた。

「子曰く、富と貴きとは、これ人の欲するところなり。その道をもつてこれを得ざれば、処らざるなり」と。

「金と地位とは、世間の人が誰でも欲しがるものだ。自分は不正な手段にうったえてもこれを得ようとは思わない」という意味になる。

三野村利左衛門が「踏み込んではいけないところに踏み込んだのでは?」と意味深なことを言っていた。

続けて「貧しきと賤しきとは、これ人の悪むところなり。その道をもつてこれを得ざれば去らざるなり」

その意味するところは「貧乏と無名、これも世人のきらいなものだ。自分は才能があるのに、めぐり合わせで貧乏と無名の境遇にいたとしても恥ではないから、無理にそこから逃れ出ようとはしない。そういう外面的、物質的な生活条件よりは、大切なのは内面的、精神的な生活である」

訳がズシンと心に響く。孔子は続けて「君子、仁を去りて悪にか名を成さん。君子は食を終ふる間も仁に違ふことなし。造次にも必ずここに於いてし、顚沛にも必ずここに於いてす」と。

「いちばん大切なのは仁であって、立派な人はこの仁という徳、そういう境地を去ってどこに名を求めるところがあろう。君子は食事の間も心を忘れず修養する。慌ただしいときも、狼狽えるようなときも必ずそうすべきだ。それほどに思いをこらしているのだから、金と地位なんてこれに比べると大した問題ではない」と言うのである。

これは『論語』里仁編の一節。総選挙の開票日に当たったのは偶然だろうが、この国が市場経済を始めた時期の物語をきっかけに作者の訴えたいことが観ている者に伝わってきた気がした。

また、孔子は「貧しくして怨むこと無きは難く、富みて驕ること無きは易し」(憲問篇)とも言っている。誰しも貧乏はイヤだが、誰しも富を手にすれば心にスキが生じる。すなわち仁を忘れる。富を否定はしないが、それを得る各自の規範こそが問われているということなのだろう。

我が日本人は二度の開国を機会に経済ばかりを優先して、そこから逃れられずにいるのではないか。また、経済の元々の意味である「経世済民」の本分を忘れてはいるのではなかろうか。

たった一節の引用でも個人の振る舞いから国家の有り様まで様々な思いがめぐらされた。論語を通じて、また論語に親しんだ親子の物語を通して、人の生き方、目指すべき人間の資質を感じた。

今回、少し養育院が出てきたが、渋沢が明治とそれ以降の世で目指そうとしたものが何か、残りわずかとなった今後の展開が楽しみである。

なお、テキストは山本七平『論語の読み方』(祥伝社黄金文庫)のほか、今回は貝塚茂樹『論語』(講談社現代新書)も用いて(=写真)適宜改めた。後者はある程度編ごとにまとめられていて、且つ索引があって名言が探しやすい。


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