探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

先祖への旅 甲府を訪ねる

2017-11-14 19:30:00 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。
12日(日)大圓寺・豪徳寺巡墓会が無事終わった。

参加いただいた皆さんありがとうございました。今回は初めての方が何人かお見えになり、平均年齢がぐぐっと下がったように感じた。

同じ時代を生きている方やこれからの世代にぜひ伝えていきたいことも、釣先生との掛け合いでいくつかお話しできたのではないかと自負している。皆さんはどのように感じられたか気になるところではあるが…

さて、去る10/29(土)中央線に乗って石和温泉へ。ここからバスに乗り換えて山梨県立博物館へ向かった。甲府徳川家の企画展を見るためである。

カネコ幹事からこの催しを教わり、日程を調整してようやく足を運ぶことができた。

我が先祖が幕臣になる前に仕えていたのが甲府藩であり、市町村史や国立公文書館などで個別の資史料には当たっていたが、まとまった展示を行うなど予想だにしなかったから、嬉々として向かったことは言うまでもない。

この日は企画展に合わせた古文書読解講座を無料で受講でき、甲府初代藩主徳川綱重が水戸光圀に宛てた書簡などを読解しながらその意味について解説がなされた。

講座はあっという間の1時間半で触れられなかった部分も含めてすべて釈文が用意され、帰りに配られて良い土産となる。

展示の方は入口に甲府藩の行った地検帳がずらりと並べられており、それを見て先祖やその同僚たちが1つ1つ筆と紙を持って甲府領内を回った姿を思い浮かべてみると、感慨深いものがあった。ま、これはあくまで想像である。

ところで、我が先祖(3代忠代)は寛文12年4月27日(1672・5・24)甲府武具奉行を拝命していて、甲府勤務を実際に経験している。
また、元禄8年(1694)名簿には忠代は武具奉行(100俵)、4代忠倚は甲府小普請(78俵)として父子で登場しており、二代で甲府にいたことが判っている。

だから、甲府城絵図の展示に接して、思わずどこに詰めていたのか、はたまた住んでいたのか気になってしょうがなかったが、そこまでは判明しなかった。

また、展示にも関係資料がある甲府藩の有名人関孝和や新井白石らとは、果たして同藩内で肩を並べることがあっただろうか。否、甲府藩士のほとんどは藩主同様江戸詰めであったから、彼らの足跡と先祖のそれを突き合わせて見ることができたら、その辺も明らかにできるであらう。

さらに藩主綱重・綱豊(のち6代将軍家宣)ゆかりの品々に触れ、その教養や特に綱豊は能に対する造詣が深かったことなど甲府藩の雰囲気を十分堪能でき、これほど嬉しい展示にお目にかかったことは無かった。

それ故なかなか去り難かったが、鈍行で2時間かけて帰らねばならず、バスの来る時間を計りながら閉館ギリギリまで満喫した。

この展示を大いに活かしながら、今後も先祖のことをまとめていきたい。巡墓会の準備をする合間の楽しい小旅行となった。(写真は山梨県立博物館入口の看板)

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第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」レジュメの訂正

2017-11-12 22:46:32 | イベント
会員のクロサカです。

本日開催した第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」で配布したレジュメの訂正がありますのでお知らせします。

・P7 下から5行目「同年三年」⇒「同年(=寛政3)」
・P19 下から4行目「橋口 典助」⇒「橋口 與助」
・P20 下から6行目「財部 典八」⇒「財部 與八」
・P30 下から12行目「初明」⇒「初名」
・P32 下から14行目「加太九郎太」⇒「加田九郎太」
・P33 下から10行目「日下三郎右衛門」⇒「日下部三郎右衛門」

以上となります。
今後も訂正部分が見つかり次第、こちらで報告したいと思います。
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第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催しました

2017-11-12 22:06:05 | イベント
会員のクロサカです。
本日、11月12日(日)に第15回巡墓会「大圓寺・豪徳寺巡墓会 「直虎」から「西郷どん」へ~幕末明治を彩る薩摩・彦根の群像~」を開催いたしました。

本日の巡墓会は昼間は天候に恵まれましたが、豪徳寺で日没が迫ってくると肌寒くなりました。
参加者21名(講師と子ども含む)の方にお集まり頂き、運営が2人でしたので至らないところもあったと思いますが、無事終了することが出来ました。
参加者の皆さまに厚く御礼申し上げます。

大圓寺・豪徳寺巡墓会にて解説した人物は以下の通りです。

大圓寺 土方勝政 幕臣、勘定奉行(釣先生、カトケン)
    横山安武 森有礼実兄、明治政府に抗し憤死(ペースケさん、カトケン)
    大山一族 大山巌元帥父、西郷隆盛叔父(クロサカ)
    西郷午次郎 西郷隆盛三男(クロサカ)
    益満休之助 薩摩藩邸焼討事件、江戸開城仲介者(カトケン)
    坂井政輝 幕臣、火付盗賊改、林述斎三男(釣先生、カトケン)
豪徳寺 日下部鳴鶴 彦根藩士、桜田事変殉難遺子、書家(カトケン)
    井伊直弼 大老、彦根藩主(釣先生、カトケン)
    桜田殉難烈士 彦根藩士 日下部鳴鶴の父など(釣先生、カトケン)
    遠城謙道 彦根藩士、井伊直弼の墓守(クロサカ)
    井伊直孝 豪徳寺の中興開基、招き猫伝説(クロサカ)
    




今回も大阪より墓マイラーの巨匠カジポン・マルコ残月さんがお子さんを連れてお越しいただき、他には同じく大阪から新選組などのお墓を研究しているペースケさん、歴史研究家加唐亜紀さんなどもお越し頂きました。

特にペースケさんには、鹿児島にある島津家の菩提寺福昌寺跡にある横山安武の追悼碑に刻まれた西郷隆盛の撰文の名前部分について、写真と解説がありました。

釣洋一先生には今回もオリジナルのレジュメをご用意頂き、旗本の墓碑や薩摩藩邸に出入りする者たちが江戸市中を荒らして庄内藩の攻撃を誘発し、内戦のきっかけをつくったのは大政奉還の後であり、道理がないとの趣旨の話など、お元気な姿で貴重なお話をしてくださいました。

我々幹事メンバーのレジュメは今回2人だけでしたが、解説できなかった内容もたくさんありますので、ご参加頂きました皆様には是非ゆっくりとご覧頂ければと思います。

今回は以前も行った移動式の巡墓会でしたが、電車乗り換えの予定時間を載せるなどの試みを行いました。

懇親会には9名のご参加を頂きました。

参加者の皆さまには改めて御礼申し上げます。
ご協力頂きました各寺院の皆様にもこの場を借りて御礼申し上げます。

今後の活動に関しては決まり次第、当ブログ上にて告知いたします。
引き続き当会へのご支援・ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
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