探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』調査余滴-安積艮斎門下生の墓-

2018-08-21 22:34:06 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
19日(日)に今秋発売予定『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の最後の編集会議を行い、編集作業もいよいよ大詰めを迎えました。

本書にはいくつかの見どころがありますが、前回の投稿でも紹介した肖像写真の他に、精密な地図を掲載します。発行元の出版舎風狂童子代表杉崎忠博さんが何度も谷中を訪れ、実測した精度の高い地図が掲載されていますので、初めて行く方でも迷わずにお墓に辿りつけるのではないかと思います。

さて、今回の執筆・編集中にふとあることに気付きました。
今回取り上げた人物に安積艮斎の門下生が複数いたことです。
安積艮斎は二本松藩領であった郡山出身の学者であることから、私のライフワークである二本松出身者研究の対象としています。
安積艮斎とその一族の墓については以前、当会メンバーでリレー連載している『歴史研究』誌上の「掃苔行脚」の「二本松掃苔録」の連載第2回目(平成22年12月号)で取り上げました。
当ブログでも墓碑写真を掲載したことがあります。

7月20日 高砂崇福寺・堀切妙源寺・谷中霊園調査

艮斎は安積国造神社55代神職安藤親重の三男に生まれ、苦学の末、江戸に塾を開き二本松藩の藩儒を経て、幕府に招かれ昌平黌の教授に任ぜられました。
艮斎の許で学んだ者には小栗忠順・吉田松陰・高杉晋作・楫取素彦・岩崎弥太郎・木村喜毅・栗本鋤雲など幕末維新に活躍した人物が多数おり、江戸の私塾の門下生名は『安積艮斎門人帳』(安積艮斎顕彰会、平成19年)に2282名が記されています。

谷中霊園とその周辺の寺院には以下の安積艮斎門下生の墓所があります。

・永井尚志(本行寺)
・神田孝平(谷中霊園 甲12号新1側)
・河田迪斎(※天王寺墓地に迪斎の長男貫堂と三男柳荘の墓があり、本人の墓は六本木深広寺・非公開)
・阪谷朗廬(谷中霊園 甲9号10側飛び地)
・佐藤尚中(谷中霊園 甲4号7側)
・福地源一郎(谷中霊園 甲1号12側)
・南摩綱紀(谷中霊園 甲1号7側)
・古屋佐久左衛門(谷中霊園 乙2号10側)
・箕作麟祥(※谷中霊園 乙5号2側に叔父秋坪の墓があり、本人の墓は多摩霊園)
・鷲津毅堂(谷中霊園 乙8号10側)
・平野重久(※谷中霊園 乙10号6側に実弟小永井小舟の墓があり、本人の墓所は未確認)
・川路太郎(※大正寺に祖父で養父の聖謨の墓があり、本人の墓は多摩霊園)



福地源一郎(桜痴)の墓

以上は『安積艮斎門人帳』で名前が確認できた人物ですが、昌平黌の教授時代に教えた人物も含めるとまだまだいるものと思われます。

谷中霊園と周辺の寺院だけでも艮斎の門下生の墓が数多くあり、今回の執筆・編集作業を通して、改めて艮斎を影響力の大きさを感じることができました。尚、『歴史研究』10月号にこの詳細を寄稿しましたので、10月号発行後にご覧頂ければ幸いに存じます。

『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の発売までもうしばらくお時間を頂きますが、少しでも良い形でご覧頂きたいので、しばらく詰めの作業を行います。
発売日等決まりましたら、改めてご案内いたします。
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『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』編集雑記

2018-08-13 01:28:04 | 日記
会員のカネコです。
今秋発売予定の『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』ですが、先日の加藤さんの記事の通り、6月30日(土)に脱稿しました。
現在も編集・校正作業が続いており、完成まではしばらく時間がかかりますが、今秋の発売を楽しみにお待ち頂ければと思います。

本書では墓碑写真はもちろん、出来得る限りの肖像写真を掲載します。古写真研究家森重和雄さんの全面的な協力の許で作業が進んでいます。
これらの写真は掲載するにあたり、著作権の問題が無いかの確認作業もしています。
私自身初めてみる肖像写真もあり、より一層その人物への親近感が沸いてきました。

私個人の話しでは、当初予定では10名を担当する予定でしたが、原稿締切1週間前に1名、当日に1名と最終的に12名となりました。追加の2名は箱館戦争には直接関係の無い人物ですが、本書登場人物に随所で絡みのある人物でしたので、入れたら面白いのではないかと思いました。

本書は「~箱館戦争関係人物を歩く~」という副題を付けていますが、厳密には箱館戦争自体に関わっていない人物も数名掲載しています。箱館戦争関係者の関係者という形にはなりますが、当会の独断と偏見で選定していますので、その点はご寛恕頂きたいと思います。

締切直前に2名追加したこともあり、締切日の6月30日(土)当日に最終確認のため、小1時間ほど谷中霊園へ行きました。あくまで、今まで見たものの確認という形で訪れたのですが、本書登場人物に関係する人物のお墓を新たに発見することができました。

本書では榎本武揚の妻多津の縁者である佐藤泰然と林研海を掲載します。佐藤泰然は言わずとしれた順天堂の創始者ですが、この順天堂佐藤家の血脈というのが幅広く、平成22年(2010)当会で開催した第4回谷中霊園巡墓会(前篇)で佐藤一族の系図を作成し、ご好評を頂きました。
佐藤家の血縁者はその後も、第5回谷中霊園巡墓会(後篇)・第9回吉祥寺巡墓会でも取り上げ、その都度、一族のお墓を調べて確認をしてきました。しかし、泰然の長男である山村惣三郎については、当人の事蹟自体の情報が少なく、墓所の所在に関する情報も出てきませんでした。山村惣三郎は幕臣山村八蔵の養子となり、箱館奉行支配組頭を務め、維新後は順天堂の会計を務めています。泰然は惣三郎や順といった実子がいたにも関わらず、弟子の一人であった尚中を養子として順天堂を継承させており、その後も佐藤家は本家の当主は養子で継承されていきます。

6月30日(土)に追加2名の墓所を訪れた後、以前から何度も訪れている乙8号10側の動植物学者田中芳男の墓所へ行きました。田中芳男も佐藤一族に連なる人物であるため、道すがら最終確認をしようと思い訪れました。田中芳男の墓碑を眺めていると、ふと後ろの墓域にある自然石の墓が気になり、よく見てみるとそこには[弟松本順謹書]と刻まれており、松本順(良順)の兄といえば、「もしや…」と思い表側にまわってみると、そこには[山村惣三郎之墓]と刻まれてありました。灯台下暗しとはこのことで、佐藤泰然・泰然の跡を継いだ養子尚中・松本順の養父良甫・泰然の孫林研海ら一族たちが眠る谷中霊園に山村惣三郎も眠っていました。





お墓を調べていると時々このような不思議な体験をすることがあります。長いこと探していたお墓が突然見つかったりすることがあります。
今回は締切当日の出来事で、単なる偶然とは思えず、何か導かれたような想いがしました。

今年は例年に無い猛暑が続いていますが、この猛暑が落ち着く頃には編集作業も終え、校了という形になるかと思います。その際には本書の詳細を当ブログにてお知らせしたいと思います。
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後藤庄三郎の銅像 静岡市に建つ

2018-08-11 00:10:05 | 日記
会員のカトケンです。

夏休みにもう1つ嬉しい出来事があった。

昨年の深川巡墓会で雲光院にて詩吟を吟じつつ紹介。江戸時代の貨幣制度を併せて解説。今年の銅像建立につき安西寺(静岡市葵区丸山町)のご住職から伺っていた。

松高き 丸山寺の流れの井
いく千代住める秋の夜の月

この和歌とともに後藤庄三郎について最も詳しい寺が静岡市にあったこと。7/20お目見えした銅像の新聞記事を参考に載せたい(=写真)。

浅間神社のすぐ東側で日限地蔵の看板が目印。名水流れの井は今も旅人の喉を潤しているーー


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静岡の実家に帰って夏休み

2018-08-10 20:58:00 | 日記
会員のカトケンです。

職場では毎年真っ先に夏休みをとることにしていて、土日白河へ足を運び、月曜祝日は都内で歴史会合、ようやく火曜に静岡に戻りました。

静岡のお盆は7月。迎え火も送り火もすでに終わってましたが、母が仕事に行っている間をめいっぱい使ってプロモーションに調べもの。

あるときは韮山へ行き、流星忌チラシの追加置き、あるときは市立図書館にこもって同方会誌や旧幕府の目録をチェック。またあるときは歴史に興味持ち始めたときに通った藁科図書館。郷土も充実してて調べやすい。さらには『幕末維新全殉難者名鑑』を見るため清水図書館まで。

韮山では本立寺にて八田篤蔵や望月大象(=写真)を確認。しかし柏木はあるが岩嶋は無し。江川邸でこの前お目にかかれなかったH学芸員と面談。様々なお話ができました。



何度行っても発見がある韮山で、カトウ家初の幕末維新旅で反射炉に来て、父が蛭ヶ小島に連れてきてくれたことを思い出しました。頼朝挙兵の地ーー母の作ってくれた弁当持参で趣のある石碑や頼朝・北条政子像もできていて、感慨深いものがありました。

帰りに田子ノ浦のディアナ号の教育施設へ(=写真)。松岡磐吉の父正平が江川坦庵亡きあとロシア船が再び航海できるよう長兄市川来吉・次兄柴弘吉と力を合わせて君沢型の船を建造。流星忌の成功に思いを馳せました。



そこから離れた同号の錨も見逃しません。三四軒屋緑道にプチャーチンの像とともに(=写真)。国道1号線を走っていても看板があって車ならすいすい見に行けます。



後で姉とラインのやり取りをしたら時は違えど、同じディアナ号ゆかりの2ヶ所を親子で訪れていたと知り、父が長年務めた富士市で思わぬ偶然の出来事と母と大笑いしました。

最後の日曜は母と横浜スタジアムへ。偶然にも横浜ライナーに叔父が乗っていて久しぶりにゆっくり話ができ、父の墓参りに来た叔母の送り迎えも静岡でできて、充実したお盆休みとなりました。試合は負けたけど、最後の追い上げが盛り上がって大満足。

ペナントレースも気になりますが、流星忌開催まで気を抜かずーーまた準備に勤しむぞ!
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