会員のカトケンです。
掃苔行脚をリレー連載している『歴史研究』最新号「特集 島原・天草一揆」(2025年5月第730号)に東京都文京区護国寺の富田鉄之助の墓を寄稿した。毎度刊行の度に宣伝を忘れてしまうため、お知らせしておきたい。
富田は、旧仙台藩士で第2代日銀総裁を務めた人物。一昨年の「護国寺・雑司ヶ谷巡墓会」で紹介した場所である。富田が日銀総裁を辞任する際に蔵相の松方正義と意見の相違があり、けんか別れするところを仲介した人物の生誕地碑が、筆者の住む京丹後市の隣町与謝野町にあったことから取り上げたものである。京都丹後鉄道与謝野駅から積雪を押して30分ほど歩いて訪ねた[神鞭知常先生生誕地]の碑が福寿寺にアクセスする手前の駐車場にひっそりと建っていた。[こうむちともつね]と読む。
神鞭は与謝野町石川の出身で、宮津藩士となって出仕し、瓦解後米国留学で富田と知り合った。大蔵省に勤務し、主税局次長を最後に退官。その後衆議院議員になり、松方内閣などで法制局長官を務めた人物である。
墓は青山霊園にあり(=写真右。左端は父の墓)、正面[神鞭知常之墓]、裏面[重蔵之長子、母土肥氏。嘉永元年八月四日(正しくは弘化五年。1848・9・1)生於丹後国与謝郡石川村(現京都府与謝郡与謝野町石川)。明治三十八年(1905)六月二十一日卒於播州須磨(現兵庫県神戸市須磨区)。享年五十八]と刻む。
掃苔行脚をリレー連載している『歴史研究』最新号「特集 島原・天草一揆」(2025年5月第730号)に東京都文京区護国寺の富田鉄之助の墓を寄稿した。毎度刊行の度に宣伝を忘れてしまうため、お知らせしておきたい。
富田は、旧仙台藩士で第2代日銀総裁を務めた人物。一昨年の「護国寺・雑司ヶ谷巡墓会」で紹介した場所である。富田が日銀総裁を辞任する際に蔵相の松方正義と意見の相違があり、けんか別れするところを仲介した人物の生誕地碑が、筆者の住む京丹後市の隣町与謝野町にあったことから取り上げたものである。京都丹後鉄道与謝野駅から積雪を押して30分ほど歩いて訪ねた[神鞭知常先生生誕地]の碑が福寿寺にアクセスする手前の駐車場にひっそりと建っていた。[こうむちともつね]と読む。
神鞭は与謝野町石川の出身で、宮津藩士となって出仕し、瓦解後米国留学で富田と知り合った。大蔵省に勤務し、主税局次長を最後に退官。その後衆議院議員になり、松方内閣などで法制局長官を務めた人物である。
墓は青山霊園にあり(=写真右。左端は父の墓)、正面[神鞭知常之墓]、裏面[重蔵之長子、母土肥氏。嘉永元年八月四日(正しくは弘化五年。1848・9・1)生於丹後国与謝郡石川村(現京都府与謝郡与謝野町石川)。明治三十八年(1905)六月二十一日卒於播州須磨(現兵庫県神戸市須磨区)。享年五十八]と刻む。

松方正義の墓と同じ並びにあって関連付けると分かりやすい。なお、富田の前任初代日銀総裁吉原重俊の墓は、中央通りから忠犬ハチ公の飼い主上野英三郎の墓に向かう東三通り入口南側に高くそびえ立つ。
最後に、神鞭の生誕地碑の写真も掲げておこう。

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