探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

新選組資料館と祝祭日

2011-10-30 22:23:29 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

あれは確か去年(平成22年)3月春分の日、相模原に住む友人と多摩地区を巡った。

最初、京王多摩センターに集合。パルテノン多摩を通って多摩中央公園にある「旧富澤家住宅」へ。

茅葺き屋根で落ち着きのある建物は多摩市蓮光寺から移設された旧家で、幕末に名主を務めたこの家の主富澤政恕は、文久四年(1864)上京して近藤勇たちら新選組の面々を訪れた。

そのことを記した日記が翻刻され小さな冊子になって旧富澤家で販売されている。

庭には大きな池が水を湛え、早桜が2,3本つぼみを開いていた。

次はモノレールに乗って高幡不動へ。

新選組を地元から初めて世に知らしめた「殉節両雄之碑」を眺めていると、傍らにある土方歳三の銅像と写真を撮りたいと通りがかりの若者に頼まれる。

いつだって文字ばかりの石碑では、到底銅像の威力には敵わない。しかしながら、明治21年(1888)に近藤土方たちを知る人々が建てた碑と、平成6年に建てられた土方像との重みを考えてみていただきたい。

小弟の学生時代、歳三忌に初めて参加したのは、ちょうど土方像建立の前年であった。

そのとき殉節両雄之碑が宝輪閣の裏手にあったことを考えると、今は人通りの多い場所へ一緒に並んでいるのだから人目に触れやすくなったと喜ばなければいけないのかもしれない。

日野へ出て大昌寺や宝泉寺を回り、かつてそば処日野館のあった日野交流館へ行く。天然理心流佐藤道場跡の碑は、土方康氏による撰文であったことを初めて知る。

せっかくここまで来たのに、佐藤彦五郎新選組資料館も井上源三郎資料館も休館だったから、井上家の向かい側にある欣浄寺へ行ってみる。なるほど立派な石碑の裏に「井上源三良」の名前が彫られていた。(=写真)



ダメ元で万願寺へとって返したら案の定、土方家の営む土方歳三資料館も休館であった。

みなさん、祝祭日は新選組関連資料館は開いていないので気をつけましょう。やはり奇数日曜しか開館していないんだ…

かつて日曜の午後という短い時間に小島資料館に寄って土方歳三資料館へ行く。これなら半日で回れた。

しかし今は井上源三郎資料館や佐藤彦五郎新選組資料館ができ、公営の日野市新選組ふるさと歴史館が作られるまでに至った。これではとても半日では回りきれない。

土日開館か、せめて終日開館ならたとえ遠方から来た人でも全館回りきれるだろう。

百歩譲って祝祭日で三連休になったときくらい1日といわず2日間は開けて欲しいものだ。

新選組ファンは全国にいる。その期待がどれほどか。そのシンパを増やせるかどうかはひとえに記念館を開く側にかかっているように思う。

今年、土方歳三資料館は予定していた3月の連休に当たる祭日の開館を地震によりやむなく取りやめた。

このような動きが少しずつ増えてくることを願ってやまない。
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探墓巡礼顕彰会の公式ページが開設されました

2011-10-23 20:52:14 | 日記
会員のカネコです。
先日、当会会員のカワチさんが待望の公式ホームページ「幕末掃苔屋」を開設いたしました。
カワチさんがご専門とされている明治初年の警察官や幕末の丹南藩についての調査が公開されています。
講演会でもお馴染みの「川路大警視追っかけ旅行記」の一覧も掲載されています。

そして当会の公式ページも開設されました。
幹事メンバーが『歴史研究』にてリレー連載している「掃苔行脚」も順次公開していきますので、今後はこのブログと共にご覧頂ければ幸いです。

幕末掃苔屋
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谷中霊園巡墓会(後篇)まであと1ヶ月

2011-10-23 20:46:01 | イベント
会員のカネコです。
5月に大雨の中開催された谷中霊園巡墓会(前篇)に引き続き、来月27日(日)に谷中霊園巡墓会(後篇)が開催されます。
先月には幹事メンバーにて下見会を行い、本日の定例幹事会でも行程の最終確認を行いました。
懇親会会場も決まり次第、当ブログにて発表させて頂きます。
下記概要となりますので、参加ご希望の方は下記の方法にてお申し込み下さい。

全国歴史研究会墓碑研究部会・探墓巡礼顕彰会共催
谷中霊園巡墓会(後篇)

■参加要項

★日時 平成23年11月27日(日)雨天決行
 12:30より受付
 13:00(現地出発)~16:00(現地解散)
★集合場所:五重塔跡広場(天王寺駐在所隣)
 (交通:JR日暮里駅下車、徒歩5分)



★講師:釣洋一先生(探墓巡礼顕彰会会長)・探墓巡礼顕彰会幹事
★参加費用:1,500円(資料代含む)
 (定員30名・参加費は当日受付にて)
★解散後、希望者で懇親会を行います。
 (3,000円程度で/場所:JR日暮里駅前の居酒屋)

池田徳太郎-浪士組隊
松浦信寔-江戸南町奉行
三間正弘-長岡藩公用人・初代憲兵司令官
高橋お伝-毒婦といわれた女
石黒忠悳-陸軍軍医総監・男爵
佐藤尚中-佐藤泰然養子・蘭医・順天堂大学創始者
ニコライ-ロシア正教布教者
佐々木顕発-外国奉行・江戸北町、南町奉行
高松凌雲-日本赤十字精神の祖
新井一業-新選組隊士
長谷信篤-公家・男爵・廷臣八十八卿の一人
赤塚武盛-西南の役で殉職した旧会津藩士
安村治孝-長州藩士・囚獄署長
箕作秋坪-蘭学者・日本最大の学者一族
大原重徳-尊攘派公卿・伯爵
白根多助-長州藩士・埼玉県令
来島恒喜-玄洋社員、大隈重信暗殺者
中村正直-幕臣、明六社
松平斉民-徳川亀之助の後見人・子爵
徳川慶喜と周辺-第15代将軍・公爵

※尚、この中には墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、 その場合は塀外、柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
※当日は墓参者の妨げとならいよう運営いたしますので、参加して頂く際はご協力の程、お願い申しげます。
※雨天の場合は足下が悪くなるため、歩きやすい靴でお越し下さい。
※詳細等は決まり次第、『歴史研究』誌上、歴史研究会HP、探墓巡礼顕彰会ブログ上にて発表致します。
★参加ご希望の方は、下記まで、電話、FAXにてお申込み下さい。
全国歴史研究会墓碑研究部会
〒141-0031 東京都品川区西五反田2-14-10-504
TEL 03-3779-3127
FAX 03-3779-5063
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弘福寺調査

2011-10-10 07:01:47 | 会員の調査報告
皆様、最近あまり会員の更新が無くて申し訳ありませんでした。
会員のクロサカです。
それでも色々調査してきてはいるのですが大学のレポート等の忙しさもあり、
写真の整理がなかなか出来ない状況にありまして…。

では簡単に先日の調査について紹介します。
先月の探墓巡礼顕彰会定例会合前に自宅から自転車で墨田区向島弘福寺に行ってきました。
ここには今まで5度ほど訪れている思い入れのある寺です。
弘福寺の略歴についてはいろいろなサイトや本などで紹介されているので今回は墓関係のみにいたします。



ここは、江戸時代から多くの大名家の菩提寺として崇敬を集めていた寺であり、
列挙してみると開基に当たる淀藩主稲葉家、鳥取藩主池田家を筆頭に若桜藩主池田家・鹿奴藩主池田家・与板藩主井伊家・館山藩主稲葉家・泉藩主本多家・小幡藩主松平家・津和野藩主亀井家が知られています。
特に津和野藩の菩提寺であった関係もあり、文豪で知られる森鴎外も葬られていたそうです。
しかし関東大震災の影響もあって多くの藩主墓を改葬、または廃棄しています。
上の写真は墓地入口にある与板藩主井伊家の合祀墓です。
ここには江戸時代から現代まで歴代当主の方々が合祀されています。
墓誌などは無く詳細は不明ですが、幕末最後の藩主井伊直安のみ宗家の菩提寺である世田谷区豪徳寺にあるのでこちらにはそれ以外となります。
墓域に入ると大きな合祀墓が数基あります。
入口右脇が小幡藩主松平家の合祀墓で初代松平忠尚の墓碑を合祀墓としています。
他に若桜藩主池田家、淀藩主稲葉家、館山藩主稲葉家、泉藩主本多家の墓があります。
先日、国立国会図書館にて津和野藩主亀井家の墓所調査報告書を発見し、こちちらに以前明治以降歴代の墓碑が建立されていたことが判明しました。
関東大震災後、国許に改葬されています。しかし明治以後の分家の墓のみこちらにまだ残されていることが判明しました。一般の墓なので掲載は控えますが墓域がとても狭く一般の角石墓『亀井家之墓』を探せばすぐ見つかります。
位置的には墓域奥になります。



藩主のお墓だけではありません。
上の写真は奥田義人男爵夫妻の墓です。鳥取藩士出身で司法大臣、宮中顧問官、貴族院議員、東京市長などを歴任し、多年の功によって死去一週間前に男爵を授けられています。大正6年没。享年57歳。

コメント (3)
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