会員の河内です。
明治初年の警視庁は鹿児島県士族に牛耳られていました。
そのため、明治初年の警視庁の面々を調べている私にとって鹿児島は避けて通れない場所です。
しかし、実は鹿児島にはまだ2回しか訪問したことがありません。
明治初年の警視庁警察官を掃苔するため、これまで46都道府県を訪ね、福島や宮城や熊本などはそれぞれ4回ずつ訪問しています。しかし、鹿児島には2回だけです。
なぜか。それは明治初年の警視庁警察官の墓が見つからないからです。
警視庁に出仕した鹿児島県士族たちの多くが、鹿児島にあった先祖代々の墓を東京に移しています。管理上の理由によるものか、西南戦争で故郷を戦場としたため居づらくなったからなのかはわかりません。ただ青山霊園を歩くと、鹿児島から改葬された彼らの先祖代々の墓をたくさん目にします。
しかしこのたび、明治初年の警視庁警察官の墓が鹿児島にあることが判明したため、訪問を決めました。
たまにはゆっくりとした掃苔旅行を楽しみたいところですが、いつも無茶なスケジュールになってしまいます。少しでも多くの墓を訪ねたいと思う掃苔屋のサガというものでしょうか。
今回も一泊二日で大分~宮崎~鹿児島の三県を巡るハードな掃除苔旅行となりました。
朝八時のフライトで羽田から大分に飛び、空港からバスで佐伯駅に出ます。時間との勝負なのでタクシーをひろい、佐伯招魂所に向かいました。「佐伯招魂所までよろしく」とタクシーの運転手さんに言ってもまず通じないので、事前にしっかりとした地図を用意しておくことが必要です。
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佐伯招魂所で目当ての13人の警視隊の掃苔を終えて佐伯駅に戻り、そこから特急で日向市駅に向かいます。タクシーをひろい、細島みなと資料館、細島官軍墓地、黒田の家臣の掃苔をしました。細島みなと資料館には、黒田の家臣のコーナーや、西南戦争で戦死した迫田鉄五郎少佐のコーナーがありました。
細島官軍墓地の目的も、16人の警視隊の墓です。
黒田の家臣(海賀宮門、中村主計、千葉郁太郎)の墓は、入江のそばの小島にあります。干潮時には砂浜を歩いてわたれるそうなのですが、満潮時だったためヒザまで海水に漬かりながら島に渡りました。待っていたタクシーの運転手さんには「本当に渡るんですか?」と少し呆れてた様子でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ef/884303dd43865bb4d77b0136ba1db386.jpg)
その後日向市駅に戻り、特急で鹿児島中央駅に出て、1日目の旅程を終了しました。
翌日は朝七時の電車で隼人駅に向かいました。タクシーをひろい、住吉墓地に向かいます。ここには生麦事件でリチャードソンを斬り、維新後に警視庁入りした久木村治休の墓があります。墓の背面には、「生麦事変」と彫られていました。
帰り道のタクシーの運転手さんから聞きましたが、鹿児島県はとても先祖の墓を大事にしており、1日に2回お参りにいく家庭もまれではないそうです。そのため、日本で一番切花の消費量が多い県だとのことでした。
隼人駅から鹿児島中央駅に戻り、南洲墓地へ向かいます。川路利良のライバルであった坂元純ひろの弟である伊集院盛昌の墓や、桐野利秋の弟である山内半左衛門の墓を掃苔しました。
墓地案内のボランティアの方々が、墓地に眠る方々について教えて下さいました。西南戦争トークで盛り上がり、2時間近く話しこんでしまいました。知らなかった鹿児島の墓情報を教えていただき、勉強になりました。
大急ぎで鹿児島中央駅に戻り、新幹線で川内駅に向かいました。そこからタクシーで泰平寺に向かい、官修墳墓を掃苔しました。ここには、樋口萬吾三等少警部他7人の警視隊の墓があります。情報が不確かで、あるという確証はなかったのですが、大切に管理されている墓と出会い、嬉しく思いました。
日頃、福島県士族出身の警察官について御教示頂いている大陀坊先生に良いご報告できると喜びながら、帰路につきました。