探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

第26回土佐史談会関東支部例会無事終了

2024-07-07 22:58:23 | 会合報告
会員のカトケンです。

令和6年7月6日(土)午後2時から第26回土佐史談会関東支部例会を催し、つつがなく終了した。

例会の開催は実に5年ぶり。新型コロナウイルスの蔓延と前支部長鍋島高明氏の逝去によりずっと開催できなかったものだ。

昨年度から理事の皆さんの協力を仰ぎ、新たな仲間を増やして少しずつ準備を進め、例会が開ける態勢を整えてきた。

5月には土佐史談会本部総会に出て、毎年欠かさず関東支部への助成金を計上してくださったお礼を申し述べた。

平成17年関東支部の創設以来14年続けてきた例会を閉ざしてはいけないと、講演依頼と本部からの出張依頼をお願いしてきた。

およそひと月前から残されたEメールと会員名簿を頼りに告知を行った。

幸い、例会参加者22名・懇親会参加者19名を得て、盛会のうちに終わった(=写真)。



参加者が一体となって名残惜しく、なかなか解散できないほどだった。

1人目の講演は、吉川栄一さんに関東高知県人会(当時は土佐一木会)を立ち上げた山地土佐太郎の生涯を丁寧に説明いただいた。

冒頭、新しくお札になった人と同じ名前との自己紹介が参加者を和ませた。

山地が事業転換を絶妙なタイミングで行って実業家として生き延び、ブラジルに行ってたくましい馬に出合って馬に目覚め、事業の傍ら日本の馬を育てるべく陸軍の協力を得て摂政宮(昭和天皇)が乗馬服で出御される全国乗馬大会ご成功裡に催されたことなどが語られた。

2人目の講演は、はるばる土佐清水から田村公利土佐史談会本部副会長が駆けつけてくださり、ジョン万次郎が幼い頃の中浜村の様子、社会経済的な背景が分かるお話をされた。

なぜ万次郎が土佐清水から離れた宇佐浦から船出したのか、万次郎とともに漂流した漁師たちの名前を言えるかなどの基本的な問いかけが参加者をハッとさせた。

私たちは万次郎について如何に知らないか、根本的な情報のなさを思い知らされた。

帰国後の万次郎ばかり取り上げられるが、漂流前の万次郎の置かれた環境の研究が足りないという問題提起はとても新鮮であった。

また、田村副会長は関東支部への力強い応援をくださり、今後我々の活動へ後押しをいただいた思いである。

懇親会では参加者1人ひとりが土佐への思いや歴史への憧憬を語り、賑やかにかつ和やかな会となった。

このような会を開けたのはひとえに講演者と参加者、理事各位のご協力の賜物であり、ますます楽しめる会を催していくため、気を引き締めなければとの思いに駆られた。

今後も皆様のご指導やご助言を仰ぎながら支部長を続けていきたい。
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快なり!渋沢栄一新1万円札発行

2024-07-03 21:54:27 | 日記
会員のカネコです。
本日、渋沢栄一の肖像が描かれた新1万円札が発行されました。

東京タワーではこれを記念して東京商工会議所 主催による「渋沢栄一 新札発行記念ライトアップ」が行われました。
日没頃から栄一ゆかりの「藍玉」をモチーフとした藍色にライトアップされました。




15:00からは東京タワー正面玄関前で、東京商工会議所で渋沢デザインペットボトル水の無料配布が行われていたので、仕事の移動途中に立ち寄りました。





平成31年(2019)4月に新紙幣発行の発表があり、令和への改元をはさみ、9月に2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」の発表がありました。この年、にわかに渋沢栄一への関心が高まったことを鮮明に覚えています。
大河ドラマ「青天を衝け」は栄一の自伝『雨夜譚』のエピソードがふんだんに使われており、栄一周辺の人物も丁寧に描かれていて、私個人としてはとても楽しめたドラマでした。
小学生の頃に「独眼竜政宗」や「太平記」などを毎週日曜日が来るのを待ちわびていた感覚を久々に思い出したものです。

当会では平成30年(2018)に『探墓巡礼~箱館戦争関係人物を歩く~谷中編』を刊行し、その中で渋沢栄一の項を私が担当しました。
渋沢栄一については、かねがね業績に対する知名度が低いと思っており、私は平成23年(2011)に開催した「第4回巡墓会 谷中霊園巡墓会(前篇)」で栄一を取り上げました。
その流れで『探墓巡礼~箱館戦争関係人物を歩く~谷中編』での執筆となり、令和4年(2022)には渋沢とその周辺人物をテーマとした「第16回巡墓会 谷中霊園巡墓会~渋沢栄一とその周辺~」を開催しました。
こうしてみると、渋沢栄一を取り巻く環境はここ数年の間に大きく変化し、感慨深いものがあります。

私が渋沢に強い関心を抱いたのは佐野眞一著『渋沢家三代』(文春新書)でした。刊行は平成10年(1998)でしたが、購入したのは平成17年(2005)頃だったかと思います。



当時はよく近所のブックオフで歴史系の新書を雑多に買っており、何となく手に取って買ったのですが、読み始めるとどんどんとその世界に引き込まれました。
『渋沢家三代』というタイトルの通り、実業家としての栄一というより、栄一・篤二・敬三三代にわたる家族の物語であり、さらに尾高家や東の家などの親族の描写も詳しく、栄一だけではなく一族の人たちにも魅力を感じました。

平成23年(2011)の巡墓会の前年に初めて血洗島へ行き、渋沢栄一記念館・中の家・渋沢家墓所・尾高家・尾高家墓所などを巡り、大変感銘を受けたものです。

令和3年(2021)の大河ドラマ「青天を衝け」にあわせて、栄一の周辺人物を調べ直し、この作業は今も続いていますが、交流関係は政治・経済・教育・福祉と幅広い分野に及び、関係する地域も北海道から九州に及んでおり、栄一の活動範囲の幅広さにいつも圧倒されています。
『青天を衝け』最終回の「大河紀行」では、曾孫の渋沢雅英氏が「スケールの大きなね、守備範囲の広い、信じられないような活動家でしたよね。」と語っていましたが、正にこの言葉に栄一の生涯が凝縮されていると思います。

今回の新1万円札の発行を機にさらに栄一の業績が広く知られることを願うとともに、私も引き続き、栄一とその同志たちの掘り起こし作業を続けたいと思います。
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第26回土佐史談会関東支部例会のご案内

2024-06-28 22:34:38 | イベント
会員のカトケンです。
間際のお知らせとなり、大変恐縮ですが、小弟が役員をしている土佐史談会関東支部の例会が5年ぶりに再開されます。

日時は7/6(土)14時から場所は酒菜浪漫亭になります。詳しくは以下の「ご案内」をご覧ください。

(終了したため、「ご案内」は削除しました。7月7日)

写真は、5月に高知へ行った際撮ったもの。柑橘博士田村利親の企画展を自由民権記念館へ見に行きました。


お墓のレポートはまた別の機会にいたします。
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久々の京都②第18回山南忌と懇親会

2024-04-29 23:56:52 | 日記
会員のカトケンです。



(阪急烏丸駅にある江戸時代の「洛中洛外図」(高津家本)。令和5年3月11日撮影)

さて、遅くなりましたが、2日目の3月10日はいよいよ山南忌。前夜は早くホテルに戻ったつもりが、結局晩飯に出たのが7時台とあって、案の定夕食難民に。この時期の京都は観光客が多く、八条口側の店もとても賑わって目的の店に入れなかった。

それでも翌朝、ホテルの前の喫茶店の開店を待って、トーストとコーヒーだけのザ・モーニングをいただいて街へ出た。昔ながらの雰囲気に、地元の人と観光客が混じって味わい深い店だった。

翌日友人と1日京都巡りを予定していたので、京都駅のバス乗り場を下見、一日乗車券を求めに売り場に行ったら、バスのみの一日乗車券は昨年販売終了。地下鉄のセットで1,100円だから、5回でモトが取れると親切なご案内。

地下鉄を乗り継いで四条大宮へ。光縁寺に行くと、山南忌講演の汐海珠里さんとサポートの権東品先生と鉢合わせる。汐海さんはよほど緊張していたようだった。権さんはいつもどおり、快活なご様子であった。

本堂裏の墓域へ回ると、名古屋の成木さんにバッタリ。少し立ち話をして、また懇親会でと一旦別れ、墓参(=写真)。



山南敬介や大石酒造蔵、他の隊士たちの墓参にひっきりなしに人が来るため、お寺の方が忙しく線香を取り替える姿が印象的であった。

本堂に戻って階段を上がり、ご位牌にもお祈りを捧げ、いつもここで案内をしているアライさんと旧交を温める。

通りへ出て、旧前川邸に向かうと、案内の久保さんが来た人を写真に収めていた。少し旧交を温めることができたが、お邪魔にならぬよう、受付を済ませる。

そして切腹の間へ。そこへ至る前の庭がまた素敵である。ここは忙しなく人がひっきりなしに来るが、京都新選組の会の方々がデンと構えて迎えてくださり、案内の若い衆も大変そうだ。

お土産売り場を抜けて、顔見知りの人たちが集まると自然会話が弾む。熊本の佐川官兵衛顕彰会澤田さん、撥雲会の中島さん、佐幕派の穂刈さんなど、甲斐甲斐しくお世話をする田野社長ご夫妻の眼の前で笑いが飛ぶーー

お昼を挟んで12:30開始のため、早めに会場へ。昼前に壬生寺で稽古をしている天然理心流試衛館の有賀さんにお目にかかる。若手を指導されていて、とても忙しそうであった。

会場へ上がると、釣先生がご夫人の春音さんを伴って来ていて旧交を温めた。2週間後に会うのにもかかわらず、余りにも久しぶりだったため、話すこと盛りだくさんであった。

恒例となった演武や舞を終え、汐海さんの講演は、山南の訓みが「やまなみ」か「さんなん」かの提起や最期の考察に焦点を絞ったものであった。「三男啓助」の史料はかつて秋田書店の『別冊歴史と旅』新選組特集で谷春雄さんが発表したものではなからうか。

もう少し聴きたかったなぁというのが、あとで権さんとも話した講演の感想で、早速集まりを企画しようという話になった。

今年は講演の後にも演武が披露され、天然理心流試衛館の皆さんが緊張感のある演武を見せた。残念ながら高鳥館主が飛ぶ柔術の演武はなかったが、様々な方の意見を取り入れて行っていることが後でお話を聞いて分かり、工夫されているなと感じた。

抽選会も様々が品々が贈られた。そんな品物の一つ、谷キョウジさんからのコアラと新選組をかけたグッズがあった。何かと思ったら、多摩動物園にコアラがいるからと日野で谷さんが作らせたお土産だそうで、後ろに座っている谷さんとそんな話をしながら抽選会を楽しむことができた。

懇親会場が変わって不案内の釣夫妻を連れて行くよう田野社長に頼まれたにもかかわらず、恒例の椅子の片づけに夢中になり、ご夫妻を見失ってしまい、四条大宮の駅まで行ったところ田野夫人から電話が…

旧前川邸にいらしたとのことで、案内は久保さんへバトンタッチ。得意なはずの京都案内がとんだ迷宮案内になってしまった。

阪急電車での移動では、残念ながら去年のようにレギュラーメンバーとの再会はなく、それもそのはず、後で聞いたら片割れの1人はお子さんの受験で今年は来られず。やり取りしている年賀状も小弟が転居先を失念して旧住所に送ってしまい、「今年は行けない」とのコメントのただのキャッチし忘れであった。

年齢を重ねると、いろんなボタンの掛け違いが出てきてしまうもの。

そしてお楽しみ懇親会では、司会の影山さんのお祝い、釣先生が今年90歳を迎えるお祝い(=写真)など嬉しいことが続き、新徳寺の山田和尚や京都文化博物館の西山さんから転居先の有力情報を得られ、大収穫であった。



光縁寺で会った成木さんとは、経団連の会長を務めた植村甲午郎の父が幕臣の子弟で、サッポロビールの前身札幌麦酒会社専務植村澄三郎との話になり、実家に帰る度に読んでいる前田匡一郎著『駿遠に移住した徳川家臣団』に[ビール界育ての親]と書かれていることを思い出して、こういう記述が明治の幕臣を調べる醍醐味と改めて認識できた。

また今年の吟詠はアライさんのリクエストに応えて、頼山陽の「不識庵機山を撃つの図に題す」を行った。上杉謙信から見た川中島の戦いを漢詩にしたもので、[鞭声粛々]から始まる有名なもの。小弟が詩吟を始めるきっかけになった作品だけに感慨深かった。

余り練習する時間が無かったが、とにかくここではいつも暗誦を自身に課しているから、酒が入って記憶が飛ばないか冷や冷やもの。何とか無事終えてほッとひと息アライさんに感想を聞くと、自分でリクエストしていたことをスッカリ忘れていたという落ちであった。

毎年緊張を強いられる懇親会というのはいかがなものかと思うが、今年はちゃんとご挨拶をしたせいか、帰りがけに撥雲会の西村塾頭がお声がけくださったり、いつも山南忌で京都に来る際に宿の手配をしてくださって1月に亡くなった稲畑豊子さんが紹介したいとおっしゃっていたサワさんとお目にかかれたりと、やはり嬉しい、楽しい方が優る会なのである。

帰りがけに一緒になった方ともこの会の雰囲気の良さを分かち合えたーー



(五条大橋の袂にある扇塚。令和5年3月11日撮影)
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久々の京都①2人の中井と第18回山南忌

2024-03-22 23:07:35 | 日記
会員のカトケンです。

今年もやって参りました都入り。11時に着くや否や自転車を借り、西洞院通りを北上。五条を右に折れ、高倉通りを上ると浄土宗、常照山、長香寺がある。



昨年、山南忌の前に少し見た大工頭中井大和守正清の墓所である。徳川家康に仕え、城閣や神社仏閣、天皇の住まいなどの建築も手掛けた人物として知られている。

本堂に背を向けて墓地に入ると、右手に中井家墓地がある。そのいちばん大きな墓がてっきり正清のものかと思い込んでいたら、裏面に諱が[正に行人偏に追うのツクリ]とあった(息子正侶のことカ)。これでは正清とちゃう。



困ったと思っていたところ、ふと中井家の反対側(すなはち入口から墓域に向かって左手)を見たら、水鉢に「中井」と刻まれ、墓域の中で最も大きな墓があった。

正面[宗徹道意]、左面[運譽妙慶]、右面[宗譽浄慶]と刻まれ、裏に回ってみると、ありました×2。

1年何をやっていたのかとホトホト自分がイヤになるが、見つかって良かったーー裏面に[中井大和守橘朝臣正清/元和五年(割書=己未)暦正月廿一日(1619・3・7)]と刻む。

3基並んでいて(=写真)、向かって左が正清、中央は不明(正面[仰譽誓雲])、右が[中井大和守内儀/(省略)/元和三(割書=丁丑)暦十月十五日(1617・11・13)]と刻む。内儀とは夫人とか妻の意味である。正面[深譽仰誓]、左面[専譽妙西]、右面[急譽西運]であった。



なお、省略部分は[當六親唱(土偏)進菩提]と読めるが意味不明。

そこから至近の因幡堂・平等寺をお参りして(=写真)、万寿寺通を東へ。珍しい、趣のある建物がたくさんあり、途中車が通れないほど狭くなっていったところの古い建物にも感心したものだ(=写真)。





そこから高瀬川に出るとこれまた雰囲気のある場所や建物に出会い(=写真)、夢中で写真を撮ったーー旧五条通である鴨川にかかり擬宝珠を擁する松原橋を渡って(=写真)、宮川町を北へ折れると木の扉に赤く丸い提灯がぶら下がる置屋がずっと続いていて、タイムスリップしたように風情がある場所であった。





途中、白川にかかる大和橋を越えて、新橋通から縄手通りに出る辺りに寄った(=写真)。ここが慶応4年(1868)2月に英国公使パークスが襲われたところである。



護衛の後藤象二郎は奮戦、中井弘は負傷。その中井の銅像が円山公園地下駐車場の上にあるか確認しに来たのだ(=写真)。



京都府五代目知事(当時は県令だろう)で、円山公園というより、もうほとんど八坂神社の左奥であった。樹木に囲われて昼でも暗く、あまり人気がない地味なところであった。

これでは交流があったとはいえ、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像に比べて目立たないであろう。

そこへ来る前に通った新橋通の歴史的景観保存地区は、宮川町の置屋群とともに長らく知らなかったところで目を見張った(=写真)。



自分で言うのも何だが、今まで余りにも観光地に寄らな過ぎであっただろう。巽橋は知っていたが、そのすぐ反対側の新橋通はノーマークであった。

ところで、中井弘は実は土佐の人と関係が深い。先ほどの後藤象二郎や坂本龍馬のみならず、以前このブログでも書いた片岡直温がそうだ。昭和恐慌時の大蔵大臣として有名だが、中井が滋賀県令のときの部下で、『回想録』に中井の逸話を載せている。

また中井は東京駅で暗殺された原敬総理の岳父でもある。墓は京都洛南の東福寺といふがまだ見ていない。

中井の胸像を見て目的を果たしたので、あとは好きなところをちょろっと回って京都駅まで自転車を返しに。思いのほか、早く切り上げられたので、そこから京都駅展望台へ。

今まで登ったこともなかった高いところまで行き、抜群の眺めが見られた(=写真)。





そして初日は暮れていったーー
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