探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

鹿鳴館はここですか?

2020-02-27 23:44:50 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

1年で仕事がいちばん忙しいこの時期、都内出張で早く上がれる機会を使って、日蘭協会新年会でお目にかかった木村さんと食事をした。新年会の抽選で当たった食事券をせっかくだから利用しようと前から約束していたためだ。

歴史上の人物のご子孫やお墓の情報をお持ちで、お生まれは那須塩原だという。御用邸の様子や元勲の別荘などが話題にもなった。

だが、いちばん面白かったのは洋館をめぐる話だ。池之端岩崎久弥邸はもちろん三田綱町三井倶楽部も経験済み、しかも霞ヶ関にある洋館を「鹿鳴館はここですか?」と訪ねていったらしい。曰く「中に法律の本がたくさんありました」と。「それは法務省庁舎ではないですか」と赤レンガの写真を見せたら「それだ」とおっしゃった。

確かに似た雰囲気もあるが(=写真は往時の鹿鳴館)、非公開とはいえ三菱の持っている開東閣も似た雰囲気だと伝えるとすぐにメモを取られていた。



自分自身、かつて鹿鳴館は本当に残っているのではないかとずいぶん探してジョサイア・コンドル設計の洋館を回ったことを思い出した。似たようなことをしている人がいたと知り、とてもうれしかった。

西洋館に明治の香りを求めて、上京当初訪ねたのは駒込の古河庭園や若松河田の小笠原伯爵邸など。いちばん気に入っていた日比谷の三信ビルはもう取り壊されてしまった。内部が素晴らしかった。

その一方で、ニコライ堂や東京駅のように建築当時のものを復元する試みが始まっていて、関東へ出てきた面白みはむしろ増していると言えなくもない。

勤務の関係で2,3年前に度々訪れていた日本大通り界隈には日本郵船ビルや横浜開港記念館があって、見るのが楽しくて早く仕事が上がるとウロウロしたものだ。

そのとき工事していたのが神奈川県立歴史博物館で、入れないことをずいぶん悔やんだものだが、企画展「北のまもり」や今開催中の井伊直弼に関する展示はこの洋館で見られる。元は横浜正金銀行の建物である。

掃部山銅像建立110年 井伊直弼と横浜

以前、このブログにて掃部山の直弼像の台座設計者が同博物館の設計者と同じだと書いたが、その時は名前まで挙げなかった。

妻木頼黄(よりなか)という長崎奉行を父に持つ旧幕臣の建築家で、辰野金吾・片山東熊・曽祢達蔵と同様、コンドルの弟子である。寛永寺墓地の墓があるようなので、一度訪ねてみたいと思っている。

写真は鹿鳴館現況=千代田区内幸町1-1日比谷UIビル(帝国ホテルの隣り)。



昨年訪れたコンドル設計の諸戸清六邸の写真(三重県桑名市)「いだてん」の三島邸として使われた撮影地。


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中島君招魂碑の前で三郎助生誕祭

2020-02-01 21:51:24 | イベント
会員のカトケンです。
先週土曜、朝早く起きて一路浦賀へ。

中島三郎助生誕祭に参加するためだ。てっきり初かと思ったら第2回だった。

知らない方々ばかりだったらどうしようかと初めて出るイベントに行く前はいつも緊張する。

浦賀に着いて大衆帰本塚を見ていたら時間がなくなってきた。途中同じ目的地に向かっているであろう女性2人を尻目に、西浦賀の愛宕山公園へ通ずる「浦賀園」の看板のある入口(=写真)から急な階段をずんずん登ると、中島君招魂碑の前にもうたくさんの人が集まっていた。



着くと、「なあんだまるで同級会みたい」と誰かが後で話したとおり、何人もの知った顔が参加していて内心ホッとしたことだった。

挨拶も束の間、そのうちに地元の方とおぼしき女性の司会で生誕祭が始まったーーご遺族中島さんはじめゆかりの深い方々からの献花、ご挨拶に加え、甘酒で献杯。筆者も献花の機会を与えられる。

ご挨拶の中で遊ぶ会の大内会長からこのような催しは建碑以来ではないかというお話や郷土史家山本先生から今回、依田学海が別に建碑の構想を持っていたことが分かったというお話が印象的だった。

後でお聞きしたところ、40名ほど集まったようである。
その後、場所を移してご子孫の挨拶(=写真。背後の三郎助像は美術部の中学生の手作り)、榎本武揚のご子孫の名代として黒船研の中山さんのミニ講演とも言えるご講話に続き、自ら脚本を書かれた俳優さんによる2人芝居(中島門下の桂小五郎との掛け合い風のものだった)、昼食後2Fの展示パネルを担当した方による講演があり、充実した生誕祭となった。



中でも中山さんのお話は、榎本武揚が中国との平和を志向したと目から鱗が落ちるもので、もう少しその先を聞いてみたかった。

講演終了後、武揚のご子孫が到着、しのぶ会で使ういつもの梅本にて、生誕祭を一貫して取り仕切った安斎さんをみんなで慰労した。この一杯のためにがんばったと言わんばかりの飲みっぷりに、皆の顔がほころびるーーここにも小杉伸一さんの志が継承されていることを感じずにはいられない。

三郎助の建碑由来碑(=写真)の撮影がしたくて車で移動する参加者のみなさんとはぐれてしまい、第2会場と早合点した浦賀コミュニティセンターから件の同じ目的地に向かうであろうと知りつつ尻目にお声かけさえしなかった女性2人が、実は浦賀コミュの職員であり、次の会場となる浦賀行政センターまで送ってもらうという、なんとも気恥ずかしい事態とあいなってしまった。



『三郎助文書』をいただいたお礼に訪れた浦賀の方々の情熱と親切に触れて忘れ難い訪問ができた。(写真=中島君招魂碑前)


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