探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

7月8日 麻布山善福寺調査

2009-07-11 10:04:01 | 会員の調査報告
前回に引き続いて会員のクロサカです。
今週の水曜日に港区麻布にある善福寺に調査に行きました。
この日は、雨が降りしきる中の調査でしたが、なんとか調査してきました。
最寄り駅は、東京メトロ南北線と都営大江戸線の麻布十番駅です。

麻布と言えば、現在では、オシャレの街として紹介されていますが、江戸時代末期には、アメリカ公使であるタウゼント・ハリスらによって善福寺は、アメリカ公使館として使用されていました。

さて、この寺院は、以前から京都の公家から住職に養子が入っていたり住職の夫人に娘が入っていたりしています。そのためその関連で公家華族関係の墓碑が無いのかの確認に行きました。
この墓地の写真の撮影は、許可されていないので写真はありません。
ここの墓地には、上大崎常光寺から移転させられている福澤諭吉の墓碑や昭和の名歌手越路吹雪の碑があります。
墓地に入って一番の高台に出てみると歴代住職とその夫人の合祀墓がありました。墓誌がないので合祀されている人物についての詳細は不明です。
しかしこの墓地の隣に大発見がありました。
墓碑名は、「九條良叙/大久保家墓」となっています。
この九條良叙は、九條道孝公爵の男でのちに九條武子夫人で有名な分家九條良致男爵の養子となっています。
しかしその後襲爵を行っていないのでその後の経歴は不明です。
墓碑にも没年に関することは書かれていませんでした。
この他にも西園寺公爵家の分家である西園寺公一の墓碑もあるとの情報で確認にいきましたが、発見出来ませんでした。
なにか西園寺公一の埋葬先に関する情報お持ちの方がいましたら、提供お願いします。

クロサカ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月4日 染井霊園・本妙寺・白泉寺掃苔

2009-07-07 22:58:23 | 会員の調査報告
探墓巡礼顕彰会会員のクロサカです。
今回で個人的には2度目の報告となります。
7月4日に染井霊園と本妙寺、白泉寺に調査に行って参りました。

JR巣鴨駅から徒歩5分ほどで染井霊園に着きます。
普段は、毎回自転車で調査に行っていたので初めての歩いた調査となりました。
今回の調査目的は、染井霊園における新発見と写真の撮り直し、カネコさんの発見した墓碑の調査です。
本妙寺と白泉寺は、あまり注意深く見たことがなかったということでチョイスしました。
染井霊園は、都営霊園の中でも一番小さい霊園なのですが、華族家の墓碑が数多く残されています。
現在確認出来ている家を列挙してみると水戸徳川公爵家・伊達侯爵家分家・津藤堂伯爵家・平戸松浦伯爵家・正親町伯爵家・土方久元伯爵・樺山資紀伯爵・伯太渡辺子爵家・白川子爵家・裏辻子爵家・久留里黒田子爵家・福岡孝悌子爵・喜連川足利子爵家・浜松井上子爵家・高岡井上子爵家・小野一柳子爵家・宍戸璣子爵・松戸徳川子爵家・松本戸田子爵家・桑名松平子爵家・浜尾新子爵・久保田譲男爵・幣原喜重郎男爵・福原実男爵・近藤廉平男爵・山口正定男爵・九鬼男爵家・調所男爵分家・古市公威男爵・桜井錠二男爵・若槻礼次郎男爵・酒井忠惇男爵・酒井忠績男爵・川田小一郎男爵・辻新次男爵・岩崎弥太郎男爵分家と隣接した岩崎家墓地があります。
この他にも以前まで芝亭愛古男爵と西四辻公業子爵の墓碑もありましたが、西四辻家は、早い段階で京都の上善寺に改葬され、芝亭家は近年撤去されています。
今回は、井上家、松平家すべての写真の撮り直しと九鬼男爵家、調所家の撮影に徹しました。
新発見とはいきませんが、巌本善治と若松賎子の墓碑に無縁の札がありました。
これものちに消える運命となるようです。
この墓碑の形態は、結構好きだったので少し残念です。

続いて近くの本妙寺で久世家の全墓碑の撮影と池田家の全墓碑撮影、千葉周作嗣子の道三郎などを発見しました。
白泉寺では、幕末の旗本久貝正典の墓碑を掃苔して帰路につきました。
約3時間ほどでしたが、かなり充実した時間となりました。
染井は、カネコさんも申しておりましたが、奥が深そうな霊園です。
未だに寺島秋介男爵の墓碑が発見されていません。
発見出来るように頑張りたいと思いますが、何か上で列挙した墓碑以外で華族関係を知っていましたら、ご教示して頂けると幸いです。
今回撤去を確認した在りし日の芝亭愛古男爵の墓碑を掲載致します。

クロサカ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする