探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

染井霊園巡墓会の補足

2011-01-25 21:43:33 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
昨年、11月に開催しました染井霊園巡墓会の補足をさせて頂きます。

この会では岩崎弥太郎の一族とブレーン達を紹介させて頂きました。岩崎家の詳細系図も作成し説明しました。
明治初期に岩崎一家として扱われた豊川(小野)家・吉村家・藤岡家のうち、豊川(小野)家・吉村家の墓は紹介しましたが、会の開催前の時点では藤岡家の墓の所在が分からず、ご紹介できませんでした。
ところが、巡墓会の終わる直前に偶然見つけました。

1種イ5号6側の位置で岩崎一族の墓が密集している地帯からは少し離れた場所でした。
藤岡正敏は土佐藩士で岩崎弥太郎の妹さを娶り、三菱発足後は大阪の岩崎別邸の初代名代人を務めました。





それぞれ[藤岡正敏之墓][藤岡佐喜之墓]と刻まれていました。

これで岩崎一家として扱われた豊川(小野)家・吉村家・藤岡家の3家の墓全てが染井霊園内にあることが分かりました。

藤岡正敏とさきの間には3人の娘があり、それぞれ荘田平五郎(福澤諭吉愛弟子、三菱重役)、志村源太郎(日本勧業銀行総裁、貴族院議員)、各務鎌吉(東京海上火災保険社長・会長、貴族院議員)に嫁いでいます。
なお、荘田平五郎の墓は白金瑞聖寺(非公開・宿利重一著『荘田平五郎』に写真あり)、各務鎌吉の墓は多磨霊園にあります。

巡墓会で岡倉天心の墓を説明させて頂きましたが、天心の墓から離れた1種ロ12号3側には、弟で英文学者の岡倉由三郎の墓があります。



円墳上に[寂滅為樂]と刻まれた角石が建てられた珍しいお墓です。

クロサカさんが説明した水戸・松戸徳川家の墓のすぐ近くに足利家の墓があります。この足利家は江戸期に喜連川家と称した関東公方の末裔で、1万石以下ながらも10万石の格式を与えられた名家です。
幕末の当主縄氏は水戸藩主徳川斉昭11男で喜連川家に養子に入りました。明治になってから足利に復姓しています。



ここにあるのは縄氏の実子で子爵となった足利於菟丸夫人[足利子爵夫人榮子之墓]と子孫の墓である[足利家の墓]の2基です。この場所に墓所が設けられたのはやはり縄氏の実家水戸徳川家の縁故であると考えられます。

水戸徳川家と言えば徳川光圀が『大日本史』において南朝を正統とし、楠木正成など南朝の忠臣を顕彰していて、それは水戸学として発展し、幕末の勤王の志士達に影響を与えました。足利尊氏が戦前まで朝敵とされていたこともこの水戸学の影響が大きいと考えられています。

この足利家に南朝を正統とした水戸藩から養子に入ったことは興味深いものがあります。しかもこれによって、足利家は南朝方の新田氏の一門を称した徳川家の血筋となったのも皮肉な話に思えます。

歴史を縦の軸でみると時折、面白い事実に出会うことがあります。特に南北朝と幕末維新には密接な繋がりがあります。
このようなことを考えるのもまた探墓巡礼の醍醐味でもあります。

次回の谷中霊園巡墓会で取り上げる新田俊純もまた南北朝と幕末維新を繋ぐ人物でありますので、またその折に南北朝と幕末維新の関連をお話したいと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷中霊園巡墓会 巡墓人物発表

2011-01-24 23:11:46 | イベント
会員のカネコです。

昨日お伝えしました谷中霊園巡墓会の人物リストを発表します。
20名の人物(家)を2回に分けて巡ります。

探墓巡礼顕彰会・全国歴史研究会墓碑研究部会共催
谷中霊園巡墓会

平成23年5月29日(日)13:00~16:00

林研海-佐藤泰然孫・林洞海子・陸軍軍医総監(カネコ)
黒岩直方-土佐藩士、黒岩涙香の伯父(カトケン)
佐藤泰然-蘭方医・佐倉順天堂創始者(カネコ)
楠本正隆-大村藩士・男爵(クロサカ)
島田一良他-加賀藩士・大久保利通暗殺者(カワチ)
真辺戒作-高知藩英国留学生団長(カトケン)
久世広業-下総関宿藩藩主(釣洋一先生)
伊達宗城-宇和島藩主・外国官知事(カワチ)
土方勝敬-浦賀奉行(釣洋一先生)
上田良貞-薩摩藩士・抜刀隊長(カワチ)
渋沢栄一-実業家・幕臣・子爵(カネコ)
岩村通俊-土佐藩士、北海道知事(カトケン)
清水家と田安家-徳川御三卿・伯爵(クロサカ)
阿部正弘-幕末の老中・伯爵(クロサカ)
覚王院義観-真如院住職・輪王寺宮執当(カワチ)
大炊御門頼国-江戸初期の公家・猪野熊事件(クロサカ)
那須資弥-下野烏山藩初代藩主・宝樹院弟(釣洋一先生)
新田俊純-新田勤王党・男爵(カネコ)
塩谷宕陰-幕臣、儒者(カトケン)
大野右仲-新選組隊士・唐津藩士(釣洋一先生)

平成23年11月27日(日)13:00~15:30

池田徳太郎-浪士組隊(釣洋一先生)
松浦信寔-江戸南町奉行(釣洋一先生)
三間正弘-長岡藩公用人・初代憲兵司令官(カワチ)
高橋お伝-毒婦(カワチ)
石黒忠悳-陸軍軍医総監・男爵(カネコ)
佐藤尚中-佐藤泰然養子・蘭医・順天堂大学創始者(カネコ)
ニコライ-ロシア正教布教者(カトケン)
佐々木顕発-外国奉行・江戸北町、南町奉行(釣洋一先生)
古屋作久左衛門-幕臣・蘭学者・旧幕府軍の衝鉾隊隊長(カネコ)
新井一業-新選組隊士(釣洋一先生)
壬生輔世-地下・男爵・壬生寺(クロサカ)
赤塚武盛-西南の役で殉死した旧会津藩士(カワチ)
安村治孝-長州藩士・囚獄署長(カワチ)
箕作秋坪-蘭学者・日本最大の学者一族(カネコ)
大原重徳-尊攘派公卿・伯爵(クロサカ)
白根多助-長州藩士・埼玉県令(カトケン)
来島恒喜-玄洋社員、大隈重信暗殺者(カトケン)
中村正直-幕臣、明六社(カトケン)
松平斉民-徳川亀之助の後見人・子爵(クロサカ)
徳川慶喜と周辺-第15代将軍・公爵(クロサカ)

※人選は今後変更になる可能性があります。

尚、この中には墓域内への立ち入りができない墓所もありますので、その場合は塀外、柵外からの拝観となりますのでご了承下さい。
また、当日は墓参者の妨げとならいよう運営いたしますので、参加して頂く際はご協力の程、お願い申しげます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成23年度巡墓会のお知らせ

2011-01-24 01:25:15 | イベント
会員のカネコです。
先日、発表しました探墓巡礼顕彰会・全国歴史研究会墓碑研究部会共催の巡墓会の予定ですが、幹事メンバーで検討した結果、内容を若干変更しました。

平成23年度は谷中霊園を2回に分けて巡るとこになりました。エリアを2つに分け、ダブリ無しで行います。時間も長すぎずコンパクトにまとめる予定です。

巡る人物に関しては、今まで当日に全員を発表していましたが、今回はあらかじめ発表します。近日UPする予定です。

尚、当初11月に予定していた池上本門寺巡墓会は来年以降に開催したいと思います。

平成23年5月29日(日)13:00~16:00
谷中霊園(前篇)
■参加要項
★日時 平成23年5月29日(日)雨天決行
 12:30より受付
 13:00(現地出発)~16:00(現地解散)
★集合場所:児童公園(天王寺駐在所隣)
 (交通:JR日暮里駅下車、徒歩5分)



★講師:釣洋一先生(探墓巡礼顕彰会会長)・探墓巡礼顕彰会会員
★実業家渋沢栄一や幕末の老中阿部正弘等のお墓を巡ります。
★参加費用:1,500円
 (定員30名・参加費は当日受付にて)

平成23年11月27日(日)13:00~15:30
谷中霊園(後篇)
■参加要項
★日時 平成23年11月27日(日)雨天決行
 12:30より受付
 13:00(現地出発)~15:30(現地解散)
★集合場所:児童公園(天王寺駐在所隣)
 (交通:JR日暮里駅下車、徒歩5分)
★講師:釣洋一先生(探墓巡礼顕彰会会長)・探墓巡礼顕彰会会員
★最後の将軍徳川慶喜等のお墓を巡ります。
★参加費用:1,500円
 (定員30名・参加費は当日受付にて)

※双方とも解散後、希望者で懇親会を行います。
 (3,000円程度で/場所:四谷春廼舎)
※詳細等は決まり次第、『歴史研究』誌上、歴史研究会HP、当ブログ上にて発表致します。
★参加ご希望の方は、下記まで、電話、FAXにてお申込み下さい。
全国歴史研究会墓碑研究部会
〒141-0031 東京都品川区西五反田2-14-10-504
TEL 03-3779-3127
FAX 03-3779-5063
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月17日② 三田尻招賢閣で亡くなった田所壮輔の墓

2011-01-24 00:56:59 | 会員の調査報告
次なる記事に筆を執りたるはカトケンなり。

三田尻御茶屋なるは今の英雲荘にて、防府市にあり今年中(平成23辛卯年)には公開される由にて候。

そのすぐ横の桑ノ山の南側にある勤王歌人野村望東尼の墓の右横に「高知藩士田所壮輔墓」なるものあり(=写真)。



裏面には「元治元年九月廿九日自尽(1864・10・29)/於招賢閣中而死年二十五」と刻まれたり。土佐出身、初めしま(山ヘンに壽)太郎、名は恒誠。谷氏を称し、家老深尾弘人(ひろめ)家来。

長州に身を投じしも、禁門の変に敗れた同志らをあざ笑い、馬関へ行って遊興にふける。人材ではあったものの人望に乏しく、遂に同志に迫られて切腹した。

中岡慎太郎が故郷の同志に宛てた手紙に「田所左右輔氏九月廿九日割腹せり。これまた嘆息す。故に遺物を送る」云々と見える(平尾道雄『中岡慎太郎陸援隊始末記』中公文庫。94頁)

長年、土佐を調べたる者には格別なる墓にてありき。
(防府市桑ノ山南側墓域、野村望東尼墓右隣。大楽寺・市営住宅を過ぎ遊具のある広場を過ぎると「野村望東尼墓」の道しるべとなる緑の看板あり。墓域が見えてきたら西へしばらく進んだところ。2枚目の写真は左が野村望東尼の墓、右が田所の墓)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月17日① 楫取素彦及びその夫人の墓

2011-01-24 00:55:38 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

小田村素太郎こと楫取素彦夫妻の墓が三田尻にあります。

防府駅を出て南側へ5分ほど行くと山に遮られるので道沿いに行けば左に野村望東尼終焉之地、右に大楽寺があります。

大楽寺は曹洞宗放光山、毛利重就(英雲公。萩藩第7代藩主)の分骨地にて、この境内を出てさらに南へ市営住宅の方へ行き山側を向くと墓地が見えてきます。

そこを入ると三列目に楫取夫婦の墓が写真のように建っています。



右から正面に「正ニ位勲一等男爵楫取素彦墓」裏面には「大正元年(1912)八月十四日薨/享年八十四」とあります。

楫取は我々と同じ20世紀を生きたのですね。

左には正面「楫取家之墓」裏面「美和子(久坂 文=玄瑞未亡人)大正十年(1921)九月七日」

これが松陰吉田寅次郎の実妹にて楫取の後妻杉氏の墓です。

ちなみに夫素彦は、松陰の姻戚になる前からの親友にて長薩連合を導くべく坂龍と桂小五郎を引き合わせた功労者。

幕府瓦解後は、群馬で今でも語り継がれる名県令として10数年に亘りその基礎を固めた人物です。
(山口県防府市桑山1-5-10)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする