探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

追悼 北斗の星になった平沼久美子さん

2023-02-28 23:34:53 | 日記
会員のカトケンです。

今月19日に友人の平沼久美子さんが急逝した。歴史家釣洋一先生の店、春廼舎で知り合ってから交流は10年以上になる。

しばらくして新選組土方歳三が好きで函館に移住したと聞いて驚いたものだった。

確か平成26年6月だったと記憶するが、函館の碧血祭があったとき、同行した小杉さん(雅之進子孫)、中島さん(三郎助子孫)が土方愛さんや柳川熊吉のご子孫とともに北海道新聞の対談企画に参加している間、平沼さんに函館を案内してもらった。

高龍寺に渋田利右衛門一族の墓があると看板で知って、ずいぶん墓域を巡って探してくれたり、弁天台場跡や新選組最後の地の碑など知らないところにも連れて行ってくれたりしたことが思い出される。

その後、小杉さんの運転で江差など南北海道をめぐり、ずいぶん楽しい時間を過ごしたことが大変懐かしい。

その頃は函館に移住してまだ1,2年だったと思うが、もう専属タクシー運転手がいて驚かされたものだ。

いつも元気をもらっていて、小弟はラインで彼女をからかってばかりだったが、そんなやり取りをしてもお構いなく接してくれ、気を許せる人だった。

金子幹事の投稿にもあったとおり、我々が『探墓巡礼ー谷中編』を出版したとき、本当に力になってくれ、方々に売り込んだり、函館に来る観光客向けに職場に置いてくれたりしたことは大変励みになったし、感謝この上なかった。

ただの歴史好きにとどまらず、具体的に行動してくれる人だった。

そのことはかつてこのブログにも投稿したように、ポプラ社の漫画で榎本武揚が取り上げられたとき、筆者の方を榎本武揚のご子孫に紹介されたことでも明らかだ。そういうつなぎ役でもあった。

漫画版 幕末・維新人物伝 榎本武揚、本日刊行!

江差のお母さんと彼女が慕っていた方からも、江差のイベントに必ず顔を出してくれたし、昨年末東京であった北海道江差町紹介のイベントにもかけてくれたとその行動ぶりが偲ばれる。歴史のみならず、地域おこしにも参画されていただけに惜しまれてならない。

行動力が抜群で、日ごろ誰にも明るく接してくれていただけに、もしかしたらどこかで無理がたたっていたのかもしれない。

一度だけ恋愛のことで、自分の気持ちを告げずにその人と離れ離れになるのだと聞いたことがある。そのような内面を抱え、普段の明るい性格とまた違った一面を持っていたことは彼女の奥深さを垣間見た気がした。

ともあれ、件の小杉さんをよく慕っていて、これも一度だけ小杉さんが亡くなられたことを酷く寂しがっていたことがあったので、一緒に旅したときにフィルムカメラで撮った写真を送ってあげたことがあった。そうした一面もあったと皆さんにぜひ覚えておいて欲しい。

享年44才。きっと彼女は「北斗の星」になって、我々を照らし続けてくれると信じ哀悼の誠を捧げたい。

久美ちゃん、本当にありがとう!良き友を得て、俺は嬉しかったよ。
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函館の平沼久美子さんご逝去

2023-02-21 19:17:42 | 日記
去る2月19日(日)函館にお住いで、当会も大変お世話になった平沼久美子さんがご逝去されました。

平成21年(2009)当会発足時のころから釣洋一先生のお店春廼舎や新選組関係のイベントでお会いすることが多く、平成22年(2010)に開催した当会主催の護国寺・雑司ヶ谷霊園巡墓会にもご参加いだきました。
いつも明るくお声かけいただいたことが今でも思い出されます。

平沼さんは埼玉県のご出身でしたが、平成24年(2012)5月に函館へ移住しました。土方歳三・榎本武揚や函館の歴史に魅了され、移住したとのことでした。その熱い想いに心打たれたものです。

函館や江差での熱心な歴史活動については時折耳にしていましたが、長年にわたり地域の活性化にご尽力されてきたことに敬意を表します。

平成24年(2012)の函館移住後も、翌年6月に行われた市ヶ谷での釣先生傘寿を祝う会へもお越しになっていたり、親しくお声かけいただいたことをよく覚えています。

平成30年(2018)流星忌開催の折には、函館での広報にご尽力いただきました。この時、運営幹事メンバーで宣伝や『探墓巡礼』の販促用に名刺を作成したのですが、平沼さんも是非函館で宣伝をしたとのことで、名刺を作りたいとご連絡があり、お送りしたことが大変印象に残っています。
その後も、函館での『探墓巡礼』の販促に大変ご尽力いただきました。

昨年6月、私が函館の碧血碑碑前慰霊祭に参加した折に久々にお目にかかることができ、お互い再会を喜び合いました。
勝手ながら函館営業部長とお呼びしていたのですが、この時に御礼を伝えられたことが、今となってはせめてもの救いであったように思います。

あんなにお元気だった平沼さんの突然のご逝去は、いまだに信じられません。
これからまだまだご活躍の場面があったかと思うと、残念な気持ちを拭い去ることができません。

平沼さんの土方歳三・榎本武揚や函館への熱い想いはいつもまでも私たちの心の中で生き続けることでしょう。
平沼さんのあの日の笑顔は忘れられません。
改めて当会活動へご尽力いただきましたこと、御礼申し上げます。

あまりにも突然のご逝去で、ご家族・関係者の皆さまには深い悲しみの中におられることとお察しいたします。
謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

令和5年2月21日

探墓巡礼顕彰会幹事 加藤・金子・黒坂
(代表金子筆)
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静岡市立歴史博物館の開館と「どうする家康」大河ドラマ館

2023-02-20 23:46:21 | 日記
会員のカトケンです。

先月、静岡市葵区にオープンした静岡市立歴史博物館を訪ねた(=写真)。



1階に出土した戦国時代の道がむき出しで展示され、側まで降りることができる。

それを見ながらスロープを上がっていった2階は常設展示1で、家康の大御所時代の駿府を「首都」と位置づけ、外交や貿易を軸にスペインやイギリスからの贈り物などが展示されていた。

家康の生涯を追う展示では、駿河国を誰が統治したか時代ごと又戦ごと変遷がたどることができる。その側には紅糸縅腹巻と伊予札黒糸縅胴丸具足の復元されたものが四方から見られるよう展示されている。

また家康の信仰や家族に焦点が当てられたコーナーもあり、家康の子がどの局から生まれたかパネル展示があって分かりやすい。どの時にどの局との関係が描かれるのか、今後の大河を見るときのポイントになりそうだ。

家康の印には名前以外に「忠恕」が書かれて、まごころと思いやりを常に忘れないよう自らを戒めていたことが推察できる。

展示の終わりに様々な家康像が並べられ、神になる前後などの解説が施され、初見のものもあり驚いた。家光が描かせたラフな格好の家康が印象的であった。

さらに、以前このブログで文化財資料館のときのプレ展示として触れた今川歴代の展示が更に充実していた。

映像で歴代今川当主の領地変遷が分かるものは、今川好きや静岡県民必見である。

3階の半分は企画展「徳川家康と駿府」で文化財資料館に展示されていたホンモノ類が惜しげもなく展示されていた。

同じ階のもう半分は常設展示2になっていて、静岡の街の歴史が分かるもので、町人の暮らしや浅間神社の祭り、城下町地図、江戸開城から幕臣の静岡移住、茶の生産から輸出などいろんな階層や様々な時代をカバーするものだった。

最後にある昭和30年代の静岡市中心街のジオラマは興味深かった。駿府公園内の三角の建物は昭和50年生まれの小弟には分からず、あとで親に聞いてみると「駿府会館」といって成人式を催したところだそうだ。実家がある位置までカバーされていないか見てみたが、もう少しのところで途切れていて、母は「うちは郊外ってことね」と話していた。

3階へ向かって階段を登ったところが展望になっていて(=写真)、駿府城公園の巽櫓が正面に見えて眺望が楽しめる。ちょうど晴れていて幸いであった。



1階の奥には建穂寺や鉄舟寺の宝物と戦前のパノラマ地図が大きく飾られている部屋と講演会ができそうなスペースがあったが、パネル展示のコーナー(2月12日まで十返舎一九の展示が行われていた)は奥まったところにあり、2階の展示に進む流れから途切れているのはもったいない気がした。これはグッズコーナーも同じで、入口から入場する方向とは逆のカフェの方に行かないと見られない。

ともあれ、入場前の図書コーナーには閲覧できる机が置かれていて文化財資料館の時よりも便利になっているし、展示解説以外にも屋外に出た史跡めぐりが何コースもあって、静より動を意識した新しい形の博物館になっていると感じた。

1月12日付静岡新聞17面に館長、学芸課長による対談(聞き手が民放アナウンサー)が載っており、その中で館長が「目玉となる所蔵品が少なく、市民が作っていく博物館にしたい」との言があり、展示物を置いて待っているのではなく、様々な催しを通じて外へ働きかけていく仕掛けの一環ではないかと感じた。

博物館や催しを通じて、歴史を味わいに静岡市に足を運んでくれる人が一人でも多くなればと願う。

なお、博物館から1キロほど離れた静岡浅間神社の境内に文化財資料館のあった建物を今は大河ドラマ館にして来訪者を出迎えている(=写真)。



かつて2階に上がるスロープには元号が古い順に書き連ねてあり、学習スペースらしさが残っていたが、多くの人が行き交う場所となり、1階奥には映像コーナーがあって賑わっていた。
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