探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

探墓巡礼ー初夢に何を思う

2018-12-30 23:24:29 | 日記
会員のカトケンです。

今年も残すところあとわずか。流星忌のあと、愛知・岐阜に足を運び、山内一豊の2つ説のある生誕地、岩倉市(神明生田神社)や一宮市(黒田城址)を回った。

また、一豊とともに豊臣政権で活躍した堀尾吉晴の屋敷跡がある愛知県丹羽郡大口町を訪ねた。八剣社という大きな神社が残っていて、その裏手には母と吉晴の息子金助の逸話で知られる裁断橋が復元され、近くの桂林寺には吉晴らの供養塔もある。ここは堀尾家家臣だった我が先祖が確実にいた場所であり、感慨深いものがあった。

さらに我が地元静岡市では、駿府城址から豊臣秀吉時代の金箔瓦や天守台遺構が出てきたと話題になったが、要は中村一氏が駿府領主のときに造った城があったことが今年明らかになったわけだ。一氏の墓は臨済寺にあるが、静岡市では領主であったことともにあまり知られていないように思う。

ここへ来て、豊臣家臣のライバルである3人、山内・堀尾・中村が出そろったことで、3人が活躍した大河ドラマ『功名が辻』を思い出した。それぞれ自身に関わるつながりがあることに気づき、普段馴染みの薄い中世の終わりから江戸初期での追究テーマを見つけた気がした。

それから、師走に入ってからある子孫の会で仲良くなった方に車を出していただき、茨城県の陸の孤島、坂東市に逆井城址などを訪れた。前回、同じくアクセスが不便な結城市にある老中水野忠邦一族の墓所や平将門ゆかりの地を巡った第2弾であった。

後で分かったことだが、回った中に我が先祖が40年近くいた土岐家の守谷領が含まれていたことが分かり、驚きかつうれしい旅となった。旅をしながら聞く現代裏話にも心を弾ませ、今年携わったイベントでの疲れがずいぶん癒やされた。

来年、今から楽しみなのは、NHKの正月時代劇「家康、江戸を建てる」の後編に後藤(橋本)庄三郎が出てくることだ。

御金改役として小判を通貨にすべく情熱を傾けた生涯が一般に明らかになる。今夏、静岡市の安西寺に銅像が建てられたことは以前当ブログにも載せたが、そもそも去年春の深川巡墓会でその子孫後藤三右衛門の墓(雲光院)にて庄三郎の話をさせてもらった。

そのとき、庄三郎の墓がもう東京にはなく、現在供養塔が残っているのが静岡市の安西寺であることを報告。その出自がいかなる橋本から出ているか謎に包まれており、金座の創設以外にも家康に対して貿易の助言をしていたことも説明。江戸幕府初期の屋台骨を支え、貨幣にとどまらない活躍にもっと注目して良い人物である。

庄三郎の見た夢を自身の初夢に重ねて、来年も墓をキーワードにしながら、日本人として記憶にとどめておくべき隠れた歴史上の人物の発掘に努めていきたい。また静岡や先祖とのつながりを追いつつ、土佐への情熱を再び傾けて行けたらと思う。

最後になりましたが、今年も多くの方に支えていただいたおかげで、意義深い掃苔活動ができました。1年間ありがとうございました。感謝を胸に来年も努力を重ねて参りますので、引き続きご指導よろしくお願いいたします。
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『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の訂正

2018-12-14 19:42:57 | 日記
会員のカネコです。

先日より告知しております『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の訂正についてお知らせいたします。
本来は刊行前のチェックで気づくべき所でしたが、見落としがあり、読者の皆様にはご迷惑をおけかして申し訳ございません。
ご購入済みの方は一度、ご確認頂けますようお願い申し上げます。
--------------------------------------
P.9 [谷中霊園-2案内図] 右上、乙葉林八(浅田麟之助)の下の丸囲みの霊園地番
 誤「乙3号」
    ↓
 正「乙8号」

P.12 [永井尚志] ④第三段落目、第一文
 誤「主水主」
     ↓
 正「主水正」

P.13 [永井尚志] ⑤第三段落目、第二文
 誤「円月姫」
     ↓
 正「円月院」

P.17 [近藤庫三郎・鎮三] ⑤第三段落目
 誤「第二霊廟近くにに建立」
     ↓
 正「第二霊廟近くに建立」

P.22 [順天堂佐藤家を中心とした姻族系図]中ほどやや右側
 誤「高知清兵衛」
     ↓
 正「高和清兵衛」

P.23 [順天堂佐藤家を中心とした姻族系図]中ほどやや右側
 誤「大瀧潤」
     ↓
 正「大瀧潤家」

P.34 [松平忠敏] ④第一段落目、第十文
 誤「他方で分家に養子として入った松平正綱が大名に取り立てられ、正綱の出身の大河内氏から「大河内松平」家が一般的に長沢松平と呼ばれている。」
     ↓
 正「他方で大河内正綱が長沢松平家分家へ養子に入り、松平正綱を名乗ったが、本姓は大河内氏のままであった。」

P.48 [雲井龍雄] ⑤第一段落目、第四文
 誤「証は張滋昉」
     ↓
 正「書は張滋昉」

P.59 [渋沢栄一] 墓碑写真右側
 誤「渋沢栄一の墓所の位置については、P57徳川慶喜の項目を参照して下さい。」
     ↓
 正「渋沢栄一の墓所の位置については、P10「寛永寺墓地周辺案内図」を参照して下さい。」

P.61 [阿部正弘] 墓碑写真右側
 誤「阿部正弘の墓所の位置については、P57徳川慶喜の項目を参照して下さい。」
     ↓
 正「阿部正弘の墓所の位置については、P10「寛永寺墓地周辺案内図」を参照して下さい。」

P.65 [平山省斎] ⑤第二段落目、第二文
 誤「しかし同所には「活同斎」という似た名前の人物の墓があり、省斎の実父として整合性も合うことから、この人物が「活円斎」のことではないかと考えている。」
     ↓
 正「しかし同所には「活道斎」と「哲円斎」という二人の人物の墓がある。近年の調査で祖父が活道斎、父が哲円斎であり、省斎の養子成信が養父の伝記を書いた際に二人が混ざってしまい、「活円斎」として広まってしまったという説が有力である。」

P.66 [岩橋教章] ①
 誤「箱館戦争を描いた開拓方」
     ↓
 正「箱館戦争を描いた絵図方」

P.66 [岩橋教章] ④二段落目、第二文
 誤「軍艦操練所絵図方出役」
     ↓
 正「軍艦操練所絵図認方出役」

P.66 [岩橋教章] ④三段落目、第二文
 誤「伊勢へ向かう途中」
     ↓
 正「伊勢国鳥羽へ向かう途中」

P.66  [岩橋教章] ④四段落目、第三文
 誤「軍艦組三等製図方を務め」
     ↓
 正「蒸気三等、総裁附を務め」

P.66  [岩橋教章] ④五段落目、第一文
 誤「明治六年(1873)四月出国」
     ↓
 正「明治六年(1873)三月末出国」

P.71 [高松凌雲] ④七段落目、第一文
 誤 「乙部上陸」
      ↓
 正 「乙部へ上陸」

P.72  [高松凌雲] ④後ろから三段落目、第四文
 誤 「渋沢栄一・福地源一郎・松平太郎」
      ↓
 正 「渋沢栄一・福地源一郎(四六ページ参照)・松平太郎」

P.83 [伊東玄伯] ⑤第一段落目、第三、六文
 誤「正三位」
     ↓
 正「従三位」

P.84  [小杉雅之進] ④三段落目
 誤「明治五年(1872)何者かにより」
         ↓
 正「明治六年(1873)何者かにより」

P.91  [松岡磐吉] ④後ろから二段落目、第二文
 誤 「咸臨丸が仙台藩白石からの移住者四〇一名を乗せたまま、北海道釜谷村泉沢の更木岬沖で座礁、船としての生涯を閉じている。」
         ↓
 正 「咸臨丸が仙台藩白石からの移住者約四〇〇名を乗せたまま、北海道釜谷村泉沢の更木岬沖で座礁、乗船者は助かったが、船としての生涯を閉じている。」

P.97  [海老名季昌先祖] ④後ろから六段落目、第三文及び後ろから四段落目、第二文
 誤 「横山主税常守」「横山常守」
      ↓
 正 「横山主税常忠」「横山常忠」

P.104 [参考文献] 左列13行目
 誤 「『韮山町史』第6巻上・通史Ⅱ近世第11韮山町」
      ↓
 正 「『韮山町史』第6巻上・第11巻通史Ⅱ近世 韮山町」

P.104 [参考文献] 右列21行目
 誤「・稲垣敏子(翻刻)・樋口雄彦(校正・解説)「福田重固手控「陸軍局御用留」」・ (『横浜開港資料館紀要』29 号) 横浜市ふるさと歴史財団) 平成23年」
         ↓
 正「・稲垣敏子(翻刻)・樋口雄彦(校正・解説)「福田重固手控「陸軍局御用留」」(『横浜開港資料館紀要』29 号 横浜市ふるさと歴史財団) 平成23年」

P.104 [参考文献] 右列下から8行目
 誤「・土佐博文「依田学海 佐倉藩士、漢学者として幕末から明治を見つめた男」(『千葉史学』54 号) 千葉歴史学会) 平成21年
         ↓
 正「・土佐博文「依田学海 佐倉藩士、漢学者として幕末から明治を見つめた男」(『千葉史学』54 号 千葉歴史学会) 平成21年

P.107 [★墓所索引] 右列6行目
 誤 「国泰寺(富山県高岡市)  ・・・79」
      ↓
 正 削除。関連墓碑が無いため。
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上記以外にも誤りがありましたら、コメント覧にてご教示頂ければと思います。
よろしくお願いいたします。
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忘年会兼会合と来年以降の活動について

2018-12-09 23:34:17 | 会合報告
会員のカネコです。

本日、日暮里にて幹事メンバー3名で忘年会兼会合を行い、今年の活動の総括、来年以降の活動について話し合いました。日暮里は今年の当会の活動で何回も訪れた場所ですので、今年を締めくくるには相応しい場所だと思いました。

まず、今年は当会初出版となる『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』を無事刊行したことと、流星忌の巡墓会に大勢の方にお越し頂いたことに改めて感謝の意を表します。
本の出版・流星忌の巡墓会共に、様々な方のご協力なしには成しえなかったことです。発足9年目にして大きな区切りをつけることができ、当会にとって大変大きな収穫となりました。厚く御礼申し上げます。

『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』については刊行後に判明した誤字脱字等訂正に関して近日ご報告いたします。

来年以降の活動については、幹事メンバー3名とも公務員・サラリーマンであり、働き盛りの年齢で、特に来年はそれぞれの本業が多忙になり、3名揃っての活動が困難であることが予想されましたので、来年2月に外部団体の巡墓会講師を務めた後、2009年の発足以来、毎年行っていた巡墓会はしばらくお休みとさせて頂くことになりました。

ただ、会として完全に休むという訳ではなく、各人が「探墓巡礼顕彰会のカトケン」「探墓巡礼顕彰会のカネコ」「探墓巡礼顕彰会のクロサカ」として「ソロ活動」をしますので、各人の活動については当ブログ、SNS等でご案内したいと思います。また、各人の個人的な調査に関しても時折ご報告できればと思います。

『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』についても様々な機会で宣伝活動をしますので、一人でも多くの方の手に取って頂けるようにしたいと考えております。

再来年の活動に関しては、来年の12月に3名で集まり、各人の状況を確認して活動を考えたいと思っています。
いつかまた幹事3名揃って、レベルアップした探墓巡礼顕彰会としてお会いできればと思っておりますので、引き続き当会へのご支援ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。
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流星忌発起人の古写真研究家森重和雄さんご著書の紹介

2018-12-05 00:54:59 | 日記
会員のカネコです。

流星忌の発起人であり、当会の『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』をプロデュースした古写真研究家の森重和雄さんが来年1月下旬に雄山閣より『幕末明治の写真師列伝』を出版されます。



改めて森重さんのプロフィールをご紹介いたします。
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森重和雄
写真史家・古写真研究家・作家。
昭和33年(1958)生まれ。国立大分大学経済学部経済学科卒。株式会社電通映画社(現・電通テック)入社後、大手企業CM・イベント映像・大手企業インターネットホームページ・販促用CG制作・映画制作のチーフ・プロデューサー兼部長職となり業務に携わる。
平成23年(2011)、電通テックを早期退職後、フリーランスの文筆業となり、雑誌『歴史通』にて古写真をテーマにした「古写真探偵」の記事を連載(2011年5月号~2015年5月号)、雑誌『CONFORT/コンフォール(愛煙家通信)』に「古写真探偵のゆる散歩」の記事を連載(2017年終了。全6回)、 
現在は、日本カメラ財団小誌『 JCII NEWS 』( 2012年1月号より)にて、「幕末明治の写真師列伝」を連載中。
主な著書に、『幕末明治の写真師 内田九一』(内田写真株式会社、2005年)初版・改訂二版、共著『英傑たちの肖像写真』(渡辺出版、2010年)、共著『復刻版 日清戦況写真』(国書刊行会、2013年)、共著『大久保家秘蔵写真 大久保利通とその一族』(国書刊行会、2013年)、共著『下岡蓮杖 日本写真の開拓者』(国書刊行会、2014年)、共著『坂本龍馬関係写真集』(国書刊行会、2014年)、短編小説集『うたたね』(出版舎 風狂童子、2018年)がある。
2019年1月『幕末明治の写真師列伝』(雄山閣、2019年)を刊行予定。
主な研究テーマは幕末期から明治10年頃までの写真師についての伝記や、近藤勇、土方歳三、坂本龍馬の妻・お龍、和宮、大久保利通の古写真研究など。
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森重さんは既に古写真研究の分野で実績を挙げている方ですが、今回の『幕末明治の写真師列伝』は序章に「幕末明治の写真師たちのファミリーヒストリーである」とある通り、写真師の人物像にせまる画期的な内容となっています。
幕末の志士たちの写真はよく目にしますが、撮影をした写真師の人物像ということにまではあまり想いを巡らすことは少ないかと思います。
思い返せば2010年11月に開催した染井霊園巡墓会の際には森重さんに下岡蓮杖のお墓の解説をして頂きました。当時はまだ写真師自身が注目されることが少なかったので、これは大変画期的なことだったと思います。
森重さんはその時、既に写真師の研究を深めていましたので、今回の作品は写真師研究の集大成というべき内容になっているのではないかと思います。

森重さんは大変な読書家として知られており、文芸方面にもその才があり、この度、小説家としてのデビュー作である短編小説集『うたたね』を出版されました。
泣ける短編小説との評判が立っていますので、ご興味がある方はこちらもチェックしてみてください。
『うたたね』は既に発売中で、当会の『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』と同じく出版舎 風狂童子より刊行されています。





『うたたね』の購入方法は以下となります。
◆メールを利用する場合(推奨)は、
 sugisaki-rect@jcom.home.ne.jp
 宛てに。
◆FAXを利用する場合は
 042-325-6519 (FAX専用電話)
に、送付先ご住所・お名前・必要部数をご記入して送ってください。
出版舎 風狂童子から、振替用紙と記入説明書同梱の上、希望部数を送らせていただきます。
本が到着したら、必要事項をご記入いただいた振替用紙と共に、最寄りの郵便局窓口に本の代金をお支払いください。
本体価格1,600円(消費税込1,728円)+送料別途(スマートレターの場合180円)になります。

先日の流星忌の開催、ガイドブック『探墓巡礼 谷中編~箱館戦争関係人物を歩く~』の刊行は森重さんなくして実現できなかったことですので、改めて御礼を申し上げます。今後ますますのご活躍を祈念いたします。
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