探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

自分で売るつもりが…そして目指すは土佐

2019-07-30 00:03:05 | 日記
会員のカトケンです。

今週は詩吟の大会があり、静岡の実家に里帰り。

近所のお祭りのとき売れ残った『探墓巡礼』を母がお盆(静岡市は7月の地域あり)で来た親戚に売っていた。

謹呈すれば良いのに、わざわざ支払ってくれたとぞ。これほど嬉しくありがたいことはない。

先考が没して7年。未だに兄弟姉妹が来てくださることは母の何よりの励みになっている。

小弟はというと、先々週恒例の同級生とのバーベキューを楽しんだ。去年は白河に流星忌・『探墓巡礼』の宣伝に赴いたため欠席していた。そこで渡せなかった『探墓巡礼』を同級生たちに謹呈。

大学を卒業した年『海南史学』37号の抜き刷りを同じ仲間に分けた。「明治初期における高知県の反自由民権派について」などといふタイトルでは誰もなんのことやら分かるまい。しかし、自分では世界に一つしかない研究をやった自負があったーー武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎亡き後の土佐勤王党がどうなったのかーー誰も後を追おうとしない。それがテーマだった。

今回は箱館戦争を巡る群像の墓を歩いて訪ねられるガイドブックだから渡すのも気軽だし、説明するのも前よりははるかに容易い。

それでも思いとしては龍馬没後を追ったことから、今回も吉井源馬に辿り着くことができたのだと思う。真逆、松岡磐吉女が吉井の息子茂則に嫁いでいたとはーー

源馬のルーツなどを調べに今週から土佐を訪れるーーまだまだ解明せねばならぬことは数多い。果たして、成果や如何に?



(写真=静岡からの帰りやうやくにしてたどり着けた土佐出身宰相 濱口雄幸首相の遭難プレート)

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次郎長、鉄舟の清水港。意外なところから松岡磐吉出没

2019-07-28 19:31:13 | 会員の調査報告
会員のカトケンです。

平成25年に我がふるさと静岡市で行われた東軍慰霊祭の史跡ツアーで回った清水の史跡に足を運んだ。









あのときはまだ見られた宝物館がなくなって久しい鉄舟寺、時間がなくて寄られなかった梅蔭寺を訪れ、リニューアルされた次郎長生家にはパネルに次郎長の主治医植木重敏の説明があった。(=写真はパンフレット)土佐出身の医師を次郎長が清水で開院させたもの。



詳しくは『土佐史談』256号にご子孫である植木豊氏が[清水次郎長に出会った土佐の医師]を寄稿されているので、参照されたい。

船宿末廣を経てフェルケール博物館で西園寺公望と水口屋の展示を見る。企画展も伊藤博文・山県有朋・井上馨の書もあって見応えがあったが、タンカーや軍艦長門の模型にも目を見張った。

なかなか充実した清水めぐりができた。これに奮起させられ、『探墓巡礼』に次郎長の記述は1ヶ所しか書かなかったことも悔いもあり、今回の旅の復習していたところ[次郎長翁を知る会]会報で偉大な先人の研究成果を目の当たりにし、岩波新書『清水次郎長』には一説として韮山代官手代の息子松岡磐吉が函南の大場久八を甲陽鎮撫隊に送り込んだことが書かれてある。これは発見だった。

松岡が富士山艦で近藤・土方と出会ったというのだが、その裏づけは取れていない。

一見関係ないやうに見えることでも少し興味の対象を拡げてみると意外な関わりが分かることがある。

それでも、『探墓巡礼』[松岡磐吉]の項に咸臨丸沈没地である北海道木古内町のことは書いたのに、地元静岡の興津清見寺にある咸臨丸殉難碑のことは書き忘れた自分のセンスの無さに今更ながらあきれ返るばかりである。

静岡を軸に引き続き調べを続けていきたい。
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総司忌にて『探墓巡礼』の宣伝

2019-07-22 19:20:15 | イベント
会員のカトケンです。

7月21日(日)、総司忌に参加。『探墓巡礼』の宣伝をさせていただいた。



あいにくお寺の都合で墓参は中止となったが、不心得者がお寺に問い合わせしたわけではなく、主催者である大出さんの説明で参加者は安堵していたように見受けられた。

小弟はというと、今年墓参できないと知り、仲間と午前中に集まって、植木屋平五郎の墓に詣でた。そのあと平五郎の玄孫で昨年亡くなった女優江波杏子さんの墓がないか探し、墓に父親の名前は刻まれていたが本人の名前は無かった。

途中、以前『歴史研究』(平成29年10月第655号)に書いた将軍徳川家慶の生母お楽の方の実家である旗本押田家の墓を巡るなどして、千駄ヶ谷の沖田総司終焉の地を訪ねた。



わずかに残る木々や新宿御苑の緑を眺めながらしばし沖田に思いを馳せたーー

昼食後、100円バスに乗って渋谷へ出てカネコ幹事の待つ講演場所に駆けつけ、二人で手分けして『探墓巡礼』刊行のチラシを配らせていただいた。

墓参がなくても例年と遜色のない参加者を得て、終始伊東成郎講師の話に笑いが絶えなかった。

いつもながら新しい資料がふんだんに紹介され、新選組ファンの満足度もさぞ高かったことだろう。

『探墓巡礼』の紹介もそこそこに手元の冊数を減らすことができた。ご購入に感謝!

最後に懇親会に出て様々な方と歓談、賑やかなうちにお開きとなった。

年内行事が残り少なくなる中、引き続き宣伝に努めていきたい。
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「“道灌以後”の戦国争乱 横浜・上原家文書にみる中世」展と黒田基樹先生の講演「太田道灌の子孫たち」

2019-07-13 23:36:36 | 日記
会員のカネコです。
本日、13日(土)横浜市歴史博物館の企画展「“道灌以後”の戦国争乱 横浜・上原家文書にみる中世」を見てきました。



横浜市歴史博物館へは昨年の「明治150年記念企画展 戊辰の横浜 名もなき民の慶応四年」以来でしたが、神奈川県で育った私にとっては郷土の歴史にも強い関心があり、この博物館は時々訪れています。

私は普段、近世~近代のことを書くことが多いのですが、例えば江戸時代の大名・旗本の家系を辿ると中世の武士団や土豪、戦国大名の家臣などに行きつくことが多く、この辺りの知識も必須となります。
最近、たまたま岩付太田氏に関係することを調べていたこともあって、今回の企画展は見に行こうと思っていた所、13日(土)に黒田基樹先生による講演「太田道灌の子孫たち」が開催されるとこを知り、事前に申し込みをして講演を聴くことができました。

講演の前に展示を見ましたが、本当に道灌以後の岩付太田氏や江戸太田氏に関する展示がほとんどで、今まであまり取り上げられることが少なった部分であるので、大変見ごたえがありました。
文書以外にも太田氏に関連する法恩寺や静勝寺などの寺院、墓碑の写真パネルもあって、これも良い展示だなと思いました。

黒田先生の講演の冒頭で、博物館の方からの紹介がありましたが、その博物館の方が黒田先生を初めて知ったのが、20年ほど前に横浜市歴史博物館の開館準備室が設置された際に、小田原北条氏研究の大家下山治久先生が「凄い若い研究者がいる」とよく話していて、それが黒田先生だったとのことでした。
今では小田原北条氏はじめ関東の戦国史において黒田先生の名を聞かないことはないくらいですが、大先輩である下山治久先生もその才能を見出していたことに感心しました。

講演は黒田先生曰く「マニアック」な内容でした太田氏に関しては25年前に『北区史』を編纂した際に全国各地の史料を収集し、青森から長崎まで史料を探しに行ったそうです。当時はバブルの頃で、予算もそれなりついたそうで、行く先々で良い史料が出てきたそうです。
しかし、それ以降は太田氏に関する史料はほとんど増えていないとのことで、今回の講演では25年の間で思っている太田氏に関する疑問点についてを中心にお話しをされました。
特に道灌の後、2世代くらいの動向に関して不明な点が多いとのことで、確認できる文書からの推定で、道灌以降の太田家の家督がどう継承されたかについて詳しいお話しがありました。
あと、興味深かったのは江戸太田氏の資高が道灌の子資康の子ではないかも知れないということでした。資高の子康資の娘が徳川家康の側室英勝院となり、兄重正の子孫が遠州掛川藩主太田家になる訳ですが、資高が道灌の孫ではないとすると、掛川藩主太田家は道灌の直系ではなくなくるということになります。
黒田先生の研究では資高は道灌の叔父大和守資俊の系統ではなかとのことで、様々な根拠からその説を導き出していました。

私も様々な家の系図を見ますが、特に江戸期以前のものに関しては注意をして見なければなりません。黒田先生のお話にもあったのですが、発給文書などで名前が確認できれば存在が確定できますが、子孫が後世作成した系図には伝承された話に誤りがあったり、もしくは意図的に作られたものもあり、特に江戸期以前の系図を見る時には書かれていることを鵜呑みにしてはいけなものだと改めて思いました。

好きな音楽はコンサートに行って生で聴くのが良いですが、本も同じで、良い本を読んだらその著者のお話しを聴くと、著者の想いを感じることができますし、本を読んだ時とは違った側面も感じることができ、なるべく講演会などには行くべきだなと思いました。





(伊勢原市にある太田道灌の墓所(首塚) 平成24年(2012)撮影)



(北区赤羽西の稲付城跡 平成22年(2010)撮影)
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第24回土佐史談会関東支部例会・ジョン万特集

2019-07-11 23:30:27 | 日記
会員のカトケンです。

去る6日(土)土佐史談会関東支部例会が催された。

講談社学術文庫に入った『漂巽紀畧』(ひょうそんきりゃく)の訳者による出版裏話や監修者によるジョン万の光と影が語られた。



充実した語りぶりに昨年のやうに告知をすべきだったと今更ながら後悔している。

申し訳ないが、こちらも例会開催のために講師への謝礼やら受付簿の作成やら、仕事の合間を縫って準備しなければならないから、広報までは兼ねられない。

いつものことだがあっという間に前日を迎える。去年は自分が講師だからレジュメを間際まで作っていた。これも仕事が多忙だったためだが、今年もさして状況は変わらない。

案の定、降ろしたお金を会場を貸してくれる方にお礼のためお茶を買ったコンビニにそっくり置き忘れてしまったーー

例会後の懇親会はいつもながら当方が予約係、人数のとりまとめに接待・会計と酔ういとまもなく、遠方からの参加者に2次会もお付き合いしたから、金を置き忘れたコンビニに寄るのをすっかり忘れてしまっていた。

明くる日もう一度、件のコンビニを訪れると大都会とは思えないほど悠長というかーー恐る恐る聞いてみたところ、店員に心当たりがあるらしくすぐに持ってきてくれて封筒を渡された。これですよ、これと自ら書いた金額の文字が目に入る。

店員は破顔一笑、「大事なもの忘れちゃダメですよ」と叱られてしまった。こちらは保管しておいてくれただけ神様仏様である。気恥ずかしいのですぐに店を発とうとしたが、せめてものお礼に好きなジュースを1本買った。

どこで忘れてもだいたい保管してくれている、昨年も電車で携帯を落としたのだが、駅の落とし物係にちゃんと届けられていて、東京も親切な人がいて捨てたものではないなと自分のだらしなさを棚に上げて感心してしまう。

さて、当日に戻って肝心の漂巽紀畧は、原本が未だ見つからず仕舞いなのだが(写本をもとに現代語訳)、記述者である画人河田小龍が京都で腕に磨きをかけて帰国したばかりのめぐり合わせも重なって、ふんだんに絵が描かれ、まるでカラードキュメンタリーなのだが、文庫でそこまでは復元できなかったそうで。

ジョン万の書く英語の意味の深い考察や乾隆氏によるジョン万英会話の研究にも触れられ、漂巽紀畧のタイトルはタツミの方角に漂流した概略の意味だとか。

副題は「5人の日本人の物語」とのこと、この辺りも万次郎少年が如何に仲間を大切にしたか、米国から日本に送られる帰途、ハワイに残っていた仲間を連れて帰ったことからもしのばれる。

また、ジョセフ彦や打払令のせいで帰国できなかった他の漂流民との比較にも触れられて、もはや土佐史談の枠を超えたグローバルな展開は聞き手を唸らせるのに十分であった。

講演後、厳しい質問が寄せられ、相変わらず油断ならない、否、学術的レベルを落とさないこの会にまたやる気を奮い立たせてもらったーーともかく皆さんお年を召されていてもよく動かれ、まだまだ下働きのただひとり駿河人である小弟は、土佐人のタフさにただただ恐れ入るばかりである。

『漂巽紀畧 全現代誤訳』講談社学術文庫、税別800円。
『土佐史談』にご興味がありましたら、ホームページをご覧ください。

土佐史談会事務局

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