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探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

青山霊園巡墓会終了しました

2009-11-30 21:56:49 | イベント
昨日29日(日)当会と全国歴史研究会墓碑研究部会共催の初のイベント青山霊園巡墓会が開催されました。

懸念された雨も無く、時折薄日も差す天気となりました。
12:30より受付を開始し、歴史研究会主幹吉成先生、探墓巡礼顕彰会会長釣先生よりご挨拶がありました。
歴史研究会会員・非会員合わせ、約20名の方にご参加頂きました。
今回の講師はこのブログを連載している4人でメンバーで行いました。

この日巡ったのは坂本龍馬ゆかりの人物を中心とした16名のお墓。

大江 卓
 土佐藩士、陸援隊士。晩年は、解放運動に力を入れた。

後藤象二郎
 土佐藩士、龍馬が提案した船中八策を基に大政奉還を土佐藩主山内豊信に進言する。維新後伯爵。

沢辺琢磨
 土佐郷士、坂本龍馬の従兄弟、日本初の日本正教会長司祭。

香川敬三
 水戸藩士、陸援隊士。近藤勇の斬首を主張。維新後、伯爵、昭憲皇太后の側近。日露戦争の際に皇后の夢に龍馬が出たと宣伝。

勝 小鹿
 幕臣勝海舟長男、幕末維新時はアメリカへ留学。帰国後海軍に入るものの海舟に先立つ。『夢酔独言』で知られる海舟の父小吉(夢酔)も眠る。

野村維章
 土佐藩士、海援隊士、薩摩藩士川端平助誤殺事件の際、沢村惣之丞の介錯を務める。維新後男爵。

西山加尾 
 龍馬初恋の人、兄平井収二郎は土佐勤王党として活躍するも粟田宮令旨事件により切腹。

太田時敏
 南部藩士、新渡戸稲蔵養父。『武士道』の中に「過去を敬うことならびに 武士の徳行を慕うことを私に教えたる我が愛する叔父 太田時敏にこの小著をささぐ」と書かれている。

川路利良
 薩摩藩士、初代警視総監、西南戦争で政府軍の指揮を執る、「警察に興りて警察に終わりし者」と呼ばれる。

大久保利通
 薩摩藩士、維新の三傑、親友西郷隆盛と決別し、西南戦争で西郷を討伐する。石川県士族島田一郎らにより紀尾井坂にて暗殺される。

佐藤政養
 幕臣、学者、初代鉄道助、勝海舟門弟。

丸岡莞爾
 土佐藩士、沖縄県知事、歌人。長男桂も歌人で孫明は作家。

斎藤利行(渡辺弥久馬)
 土佐藩士、元老院議官、佐佐木高行や坂本龍馬とともに武器調達を行う。

楫取素彦(小田村文助)の妻
 長州藩士楫取素彦の妻、吉田松陰の妹、久坂玄瑞未亡人。夫素彦は龍馬を桂小五郎に引き合わせ薩長同盟の影の立役者となる。

中江兆民
 土佐藩士、思想家、自由民権運動の理論的指導者、「東洋のルソー」と呼ばれる。

白峰駿馬
 長岡藩士、海援隊士、アメリカに留学し、造船術を学ぶ。帰国後、白峯造船所を横浜に設立。

私は他にも宮島誠一郎(旧米沢藩士で貴族院議員)と尾崎三良(三條実美の家臣で維新後男爵、新聞紙条例・讒謗律の起草をする)の解説もさせて頂きました。

家紋に対するご質問が意外と多く、特に大江卓、丸岡莞爾の家紋が珍しい家紋でご興味を持たれた方も多くいらっしゃいました。
不勉強で明確な解答が出来ませんでしたが、今後の調査課題とさせて頂きますので、成果が出次第このブログ上で発表したいと思います。
他にも当日質問できなかったことなどありましたら、このブログの方でも受け付けたいと思います。

日が傾くにつれ、気温が下がり寒くなりましたが、3時間に及ぶ巡墓にご参加頂いた皆様に感謝し、改めて御礼申し上げます。

今後もこのような巡墓会を開催したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
(文責:カネコ)
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29日(日)青山霊園巡墓会迫る

2009-11-23 18:26:39 | イベント
青山霊園巡墓会まであと1週間となりました。
まだ参加希望を受け付けていますので、ご興味のある方は下記の歴史研究会のHPをご覧の上、お問い合わせ下さい。

青山霊園巡墓会

★"青山霊園巡墓会"参加要項
①日  時:11月29日(日)受付12時30分より(雨天決行)
      巡墓=午後1時(出発)~午後4時(解散)
②集合場所:青山霊園 中央十字路において   
● 所在地:〒107-0062 港区南青山2-32-2    
● 交通:地下鉄銀座線外苑前駅から徒歩8分       
地下鉄千代田線乃木坂駅から徒歩12分
③テ ー マ:坂本龍馬ゆかりの人物の墓碑を巡る
④講  師:釣 洋一先生(探墓巡礼顕彰会会長)ほか
⑤参加費用:1000円*解散後、希望者で懇親会(3,000円程度で/四谷春廼舎にて)
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11月19日付け朝日新聞朝刊に当会の活動が紹介されました

2009-11-19 20:28:38 | イベント
本日19日付け朝日新聞朝刊に当会の活動が紹介されました。

朝日新聞 歴史作った人々に会う

これは今月7日に取材を受けたもので、当会の活動に興味を持った朝日新聞大塚記者による記事であります。

都内の霊園から次々と著名人の墓が消えて行く現状を紹介して頂き、今後の問題提起にもなるかとかと思います。

11月29日(日)の青山霊園巡墓会も紹介されています。
巡墓会の参加についてはまだ受け付けていますので、詳しくは下記全国歴史研究会の方へお問い合わせ下さい。

歴史研究会 墓碑研究部会

(文責カネコ)
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11月8日 品川調査

2009-11-19 01:49:15 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
11月8日は品川区内の寺院を調査しました。

まず、東海寺大山墓地を調査しました。今回は井上勝、貴族院議員・錦鶏問祇候時任為基、熊本藩家老米田家を中心に調査しました。
東海寺境内には近江宮川藩主堀田家、丹波篠山藩主青山家の墓があります。本堂の裏墓地は檀家以外立ち入り禁止ですが、公家の一條家等の墓もあります。

この日は東京文化財ウィークで細川家墓地が公開されていました。ここは東海寺の塔頭妙解院の跡地です。江戸期の当主・正室墓は巨大な五輪塔で、明治以降の当主は神葬となり、角石墓となっています。分家の高瀬藩主の当主墓も含め50基以上の墓碑が建っています。

その後、品川神社の裏にある板垣退助の墓(写真)を見ました。ここも東海寺の塔頭高源院の跡地で寺院移転後も板垣家の墓地のみこの地に残りました。

最後は海晏寺の一般墓地を調査しました。ここには越前藩主松平春嶽や岩倉具視等の墓もありますが、非公開となっています。一般墓地には大津事件の大審院長児島惟謙や伊藤雋吉、伊東祐亨の墓があります。
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10月4日 白金・麻布・広尾調査

2009-11-18 22:57:31 | 会員の調査報告
会員のカネコです。
10月4日は白金・麻布・広尾の寺院を調査しました。

白金の興禅寺では米沢藩主上杉家や会津藩士の墓碑を調査しました。
会津藩関係者の墓碑は幕末の家老神保修理や萱野権兵衛を始め、墓地内に数多く点在しています。
これに関しては大佗坊先生の「会津いん東京」サイトに調査の詳細が載っており、大変参考になります。

次ぎに南麻布の光林寺を調査しました。ここは大名家数家の墓がありますが、今回は幕末に通詞として活躍し、維新後は外交官となった平井希昌や古河財閥の創始者、古河市兵衛の墓(写真)などを中心に調査しました。
古河家の墓は本堂左側あたりに市兵衛、本堂裏に市兵衛以降の2ヶ所に分かれています。

その次ぎに南麻布の天真寺を調査しました。
ここも大名家数家が墓所としています。
福岡藩主黒田家の墓所は巨大な石碑と広い墓域を有していて、往事を忍ばせます。黒田家の墓所は非公開ですが。塀の外からその一端を窺えます。

最後に広尾の祥雲寺を調査しました。
ここも福岡藩主黒田家をはじめ数多くの大名家の墓が残るお寺です。
他には箱館戦争で活躍した荒井郁之助などの墓があります。

港区近辺には大名家の墓が比較的良好な状態で残っており、当時の大名家の格式を知る上で貴重な遺産だと言えます。
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