探墓巡礼顕彰会-墓碑調査・研究プロジェクト-

「探墓巡礼顕彰会」の公式ブログです。巡墓会企画の告知など活動報告をしています。

年頭のあいさつと謎の墓

2017-01-11 18:08:05 | 会員の調査報告
お二人から遅れてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。
会員のクロサカです。
本年もあまり知られていないお墓を紹介していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、2017年最初の投稿です!
昨年行われた麟祥院オフ会の事前準備として、当会員カトケンさんと文京区動坂近くの養源寺を中心に周辺調査を行いました。
その際に発見した「謎」の墓を紹介したいと思います。



すごく変わったお墓で、墓碑正面は観音開きになっています。このお墓は海蔵寺にあります。
海蔵寺といえば、身禄行者や雲龍久吉をはじめとする相撲関係者、儒学者立原翠軒のお墓や多くの旗本が菩提所としています。
そんな錚々たる人々が眠る墓地にこのお墓があります。
台座には「酒井家」と「丸に剣片喰」が刻まれ、観音開きの取っ手付近にも「丸に剣片喰」が装飾されています。

墓碑左には、銅板の墓誌が置かれており、たいへん興味深いことが書かれていました。



右から「初代経基王」、「六代義国」、「九代頼氏」、「十二代満義」、「十六代親氏」、「十八代氏忠」、「二代忠尚」、「四代忠季」、「五代忠潔」となっています。
初代経基王というのは、清和源氏の祖源経基のことです。六代義国は新田氏の祖になります。
九代頼氏と十二代満義は松平家の祖と同じく新田頼氏・新田満義のことです。この二人は世良田氏でもあります。
そして十六代親氏が松平家と酒井家の祖となる松平(酒井)親氏のことです。
実際に埋葬されてはいませんが、ここまで先祖を強調したお墓はあまり見たことがありません。
十八代酒井氏忠は、酒井家の祖親氏の子酒井広親(岡崎龍海院にも墓あり)の子で、左衛門尉家の初代です。
この左衛門尉家から徳川四天王の一人、酒井忠次が登場し、出羽荘内藩主酒井家となっていきます。

さて、問題なのは、次の二代忠尚からの3人です。
忠尚は三河上野城主で、酒井氏忠の子康忠の子で、酒井忠次の叔父に当たるとされています。
しかし、三河国一向一揆に参加するなどして、松平家から離反し、駿河国に落ち延びたと刻まれています。
その孫に当たる人物なのか、四代忠季は、信濃国木曽谷に移動し、木曽源氏の子孫で、武田・織田家の家臣木曽義昌に仕えたと刻まれています。その後、小笠原政信に仕え、大坂の陣後は信濃国筑摩郡竹淵村に帰農したようです。
この碑の末尾に末裔の酒井松吉氏が昭和55年に建立したことが刻まれています。
この銘板以外にもう一つ石造の墓誌があり、こちらに現在のご子孫の戒名と俗名などが刻まれていますが、ここにも初代として「坂井十五郎親忠改酒井左衛門尉源氏忠」と「淨賢道号愚王」の戒名が刻まれています。

この銘版碑文の真偽のほどは不明ですが、このような名族の子孫を名乗る一族は全国各地に点在し、自らの先祖を顕彰する活動をしている人びとも多いです。
そのなかでも公家や大名だった人びとだけ華族となり、爵位を得るわけですが、この酒井家のような一族も多いので、探っていきたいと思っております。
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遅咲きの新年御挨拶

2017-01-08 23:36:52 | 日記
あけましておめでとうございます。会員のカトケンです。

少し時間が空いてしまったが、昨年最後の行事、11/27春日局ゆかりの地をめぐるオフ会を無事終えた。参加は13名、来てくださった方の一体感があって楽しく案内ができた。

お寺では、パンフレットを用意してくださり、こちらからお願いしたわけではなかったが、御朱印を受け付けてくださって、書いておくので帰りに寄ってくださいとの粋な計らいーー



誠実にお願いすれば通じるなぁと悦びもひとしおであった。

今回、話せなかったことに祖心尼のことがある。春日局の姪に当たり、局亡き後大奥を取り仕切った。

祖心尼開基の寺院が新宿区榎町にある。麟祥院と同じ臨済宗妙心寺派で予約すれば見学させてくれる。

お墓も祖心尼のほか
岸和田藩主岡部家や
梅田雲浜の師匠山口菅山
新井白石・雨森芳洲の師匠木下順庵の家族
があって庭も見応えがある。

以前、ブログでも書いたと思うが、紹介しておきたかった場所だ。

1月23日 済松寺

ところで祖心尼の後夫町野幸和は、蒲生氏郷の旧臣で春日局の甥、幸宣(兄利宗の息)を養子にしている。

町野家が江戸へ来たときに、局が祖心尼の就職先として大奥を斡旋したようだ。

その町野家の菩提寺が局の兄利宗家と同じ千駄木養源寺なのだが、町野の墓は見つけられなかった。幕臣となった子孫の菩提寺はまた別にあるようで、そういったところも追跡調査してみたいものだ。

町野といってピンと来る人もいるかもしれないが、この町野は会津藩士町野主水の先祖でもある。
系譜を作成していて、会津系統の町野家までまとめ切れなかったから(幸和の孫重秀が主水家につながるようだ)、これも追跡の必要を感じた。

今回、春日局を調べたことで徳川三代将軍家光にまつわる大奥の人物何人かにたどり着き、将軍という権力者の孤独と安らぎに触れた気がした。

歴史上の人物の周辺の女性を洗い出すのは、これまで手つかずのものも多い。このようなアプローチで知られざる歴史を浮き彫りにしていくことは道半だが、我々にしかできない案内があると信じてこれからも続けていきたい。

最後になりましたが、本年もよろしくお願いします!
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新年のご挨拶

2017-01-01 00:00:00 | 日記
会員のカネコです。
新年あけましておめでとうございます。
本年も何卒よろしくお願いいたします。

年末年始の間、幹事メンバー各自で春期巡墓会の構想を練っております。
概要が決まり次第、当ブログにて発表したいと思っております。

その他にも、普段のお墓調査に関する記事も時折更新して行きたいと思っております。

本年が皆様にとって良い1年になることを祈念いたします。
引き続き、当会へのご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
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