
たとえば、現行の学校教育を例にとると、あらかじめ用意された問題がそこにあり、その答えを導き出すための解法を覚え、それをいかに応用していくか…という方式になっています。
あらかじめ答えが決まっているということは、そこに到達する道筋は概ね決まっているということ。
問題が複雑になれば道筋もいくつかに増えてはいくものの、根本的な道筋から外れては、その問題によって求められている答えには到達できない…という仕組みがそこにはあります。
翻って、インストラクションする側からすれば解放さえ理解すれば問題は解けることがわかっているのだから、それを理解できるように、できるだけわかりやすい形式にして理解を促すことになります。
現在の日本人のほとんどは、あらかじめ問題も答えも用意された、この「わかりやすい」ことを旨とした教育システムで育ち、社会に適合することを第一として醸成されてきました。
もちろん、それはそれで大量の人間の知的水準を一定レベルにもっていく必要のあった時代、社会全体が上昇だけを志向していた時代には、全員が同じ方向を向く必要があります。
そうした時代背景においては、こうしたシステムは活きたのでしょう。
けれど、「少子高齢化」「人生100年時代」といわれるこれからの時代に、こうした方式はいささか適合し得ないのではないでしょうか?
インターネットがこれだけ普及し、ほとんど誰もがスマートフォンを扱える時代において、画一的な価値観や志向性は育つ土壌がないように思われます。
ここからが本題です。
この「スクール」は、あらかじめ設定された「答え」に到達する、というシステムではありません。
“セラピーなどの現場では「楽になる」「バランスよく」という目標を設定し、施術する側もされる側もそれを暗黙の了解として行われているはず…ならば、それはひとつの「答え」を求める作業なのではないか…?”
このように考える方もいるかもしれません。
もちろん、これは明確な正解であり、ひとつの答えです。
ただし、“唯一絶対”の答えではありません。
こういう切り口は一般的ですが、必ずしもこういう切り口でなくてもよいとは思いませんか?
また、今後、こういう価値観のまま世の中が進んでいくとは限りません。
こうしたあらかじめ用意された答えを導くためのコンテンツは、無数にあります。
でも、コンテンツやツール(道具)自体がいかに優れていようと、結局はそれを使う側の私たちがそれを使いこなせるかどうか、ではありませんか?
たとえるなら、
書いてあることを書いてある通りに正確に読み、書き、理解する…もちろん、これも大切です。
しかし、この「スクール」で主眼となるのは、
書いてあることと書いてあることの間を読む、そこに書いてはいないことを読む
ことだといえばよいでしょうか?
価値観や物事を図るモノサシが、これからはドンドン多様化していくことでしょう。
しかし大切なことは、そうした時代の趨勢や価値観に左右されない「ワタシ」を見出すことです。
4月より、東京(横浜)および九州(大分県)にて1ヶ月半に1度のペースで開催いたします。
こちらのウエブサイトの下部、お問い合わせより、「スクール参加希望」と書いてご連絡ください。
私が選考させていただき、それぞれ限定【7名】までとさせていただきます。
皆様のご応募、お待ち申し上げます。