田舎生活実践屋

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福島原発事故当時の吉田所長を中心とした一ヶ月の記録を読む(2012/12/18)

2012-12-18 22:44:13 | 田舎で読んだ本
新聞の広告に「死の淵を見た男」(あの時、何が起き、何を思い、どう闘ったのか。吉田昌朗と現場の人々が、すべてを語った)との活字。(冒頭の写真)
福島第一原発の津波での事故直後から、原発の現場の皆さんが事故収束に命がけで踏みとどまったことは、日本の報道でなく、アメリカからのニュースで福島フィフティ(50人)として聞いていたが、詳しくは分からないまま現在に到っている。アマゾンで注文し、すぐに届き、読んでみた。

 事故の深刻さを初めて知った。3/11日の電源喪失から4日目、2号機のベントが両隣の建屋の水素爆発の衝撃で止まり、格納容器内の圧力が設計圧力の2倍になり、あまりの高圧にそれまでやれていた消防車による原子炉への注水が出来なくなった、3/15が深刻さのピーク。そのままでは、原子炉と格納容器が爆発し、福島第一と第二、東海村の原子炉に人が近づけなくなり、11基の原子炉が爆発する可能性が出ていた。吉田署長の判断で必要最小限の人のみ残ってくれとの指示で、69名の東電社員が消防車での注水を継続していた。11基の原子炉が爆発するとチェルノブイリ事故の11倍のダメージ。半径250キロが避難地域で東北の青森を除く全域、関東全域が立ち入り出来なくなり、5000万人の避難民。
 一読すると、吉田所長以下、現場責任者の判断と現場担当者の果敢な行動には驚く。

○ 電源喪失が分かると、「とにかく水で冷やすほかはない」と吉田所長はいち早く「消防車の手配」をしている。これが、原子炉の暴走を土俵際で食い止め続けた。
○ 地元の元町長のインタビューで「あの原発に吉田さんという所長がいたでしょう。東電の人が、あの人が所長でなかったら、社員は動かなかったべっていうのを私はこの耳で聞きました」
○ 原子炉には水を注ぐしかない、そのための水の通り道を、いくつもの配管バルブの開閉で確保するのは、全て手作業。放射線量が刻々上がる原子炉建屋に、原子炉操作室の面々が自己判断で建屋立ち入り禁止の出る直前に素早く突入してそれをやった。「原子炉冷却のための唯一の手段である「注水」を3台の消防車のリレーによって実現した。いうまでも無く、その水が入るラインは、大友、平野ら中央操作所の人間の決死の作業によって「開けられた」のである。
○ 危機がピークとなった3/15の朝、「吉田所長の指示が飛んだ。各班は最小人数を残して退避。必要な人間は班長が指名すること」600人いた作業員が69名に減り、皆さん死を覚悟。「そのとき、黙っていた吉田所長が静寂を打ち破るように、こう言った。「なんか食べるか?」それは、事故の深刻さとあまりにかけ離れた言葉だった。死をいやでも意識せざるを得ない緊張の空気が、この一言で一瞬にしてやわらいだ。これこそが吉田の吉田たる所以かもしれない。」
○ 「トイレには水も出ないから悲惨ですよ。流すこともできませんからね。みんなして仮設のトイレを運んできて、それが一杯になったら、また次の仮設トイレを組み立てながらやっていましたけど、とにかく真っ赤でしたよ。みんな、血尿なんです。あとで、3月下旬になって、水が出るようになっても、小便器自体は、ずっと真っ赤でした。誰もが疲労の極にありましたからね」
「およそ600人が退避して、免震重要棟に残ったのは69人だった。海外メディアによって、のちにフクシマ・フィフティと呼ばれた彼らは、そんな過酷な環境の中で、目の前にある「やらなければならないこと」に黙々と立ち向かった。
○ 危機のピークは3/15日であった。「福島第二原発に退避した人たちが、続々と第一に戻ってきたのは、3/16日である。とにかく水を入れろ、吉田所長が事故当初から言い続けている作業には、多くの人手が必要だった。現場で働くべく、いったん退避していた人間が、次々と帰ってきたのだ。

当時の総理の菅首相の対応は、怒鳴るばかりで、現場のやる気をそぐばかり。

○ 事故翌日、菅総理がヘリで原発に出かけた時「ヘリが着陸して、さあ降りようとした斑目はここでむっとすることがあった。まず総理だけが降りますから、すぐには降りないでください。一行はすぐにはヘリから降りることを許されなかったのだ。菅首相が現地に視察に来たことを「撮影」するためだった。原発の危機存亡の闘いのさなかに、まず撮影をという神経に斑目は驚いたのである」
○ いち早く吉田所長が要請していた、自衛隊の消防車が発電所に到着したが、「渡辺たちはそこで足止めを食らった。不幸なことにちょうどその時間帯に、ヘリコプターで菅首相が乗り込んできたのだ。渡辺たちは、ここで一時間半ほど、時間を費やすことになる。」



著者の門田隆将氏は事故にかかわった多くの人々のインタビューを行い、丁寧に一冊の本にまとめておられる。読んでみると、極限におかれても、逃げ出さず、希望と努力を捨てない人間の気高さに心を打たれる。1700円、PHP発行。買ってきて、正月休みにでも読むとよいかも。この本を読んだ感想のブログも多い。
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