寡黙なる巨人とは誰のことかと思いながら読んでいたら
リハビリをしていたときに、自分の声をテープで聞くと
自分とは思えない声が出ていてびっくりしたことや
動かない手や足が少し動いたときの感覚が
自分の中にもうひとりの巨人がいて
その巨人が一生懸命に育っていこうとしている
と考えるようになり、その寡黙な巨人とともに
懸命に生きていこう、とする意思の表れであったことがわかりました。
病院やリハビリセンターのなかでは
東大名誉教授の肩書などなんの意味もなく
生きることリハビリで失われた機能を回復しようとしている
たくさんの患者のひとりであることを
実感されています。
そして、病気で倒れる以前は普通に生きていることが
当たり前になっていてことが
生死の境を生き延びたあとのほうが
生きていることを実感している
という言葉があります。
小泉内閣の診療報酬改正によるリハビリ180日制限に
リハビリ患者の立場から反対の声を上げ
再考を促しますが、それでも厚生労働省の壁は
突き崩せなかった。
リハビリを制限するということは
患者に死ね、ということだと言います。
日本の医療はどうなっているんでしょうか。
リハビリをしていたときに、自分の声をテープで聞くと
自分とは思えない声が出ていてびっくりしたことや
動かない手や足が少し動いたときの感覚が
自分の中にもうひとりの巨人がいて
その巨人が一生懸命に育っていこうとしている
と考えるようになり、その寡黙な巨人とともに
懸命に生きていこう、とする意思の表れであったことがわかりました。
病院やリハビリセンターのなかでは
東大名誉教授の肩書などなんの意味もなく
生きることリハビリで失われた機能を回復しようとしている
たくさんの患者のひとりであることを
実感されています。
そして、病気で倒れる以前は普通に生きていることが
当たり前になっていてことが
生死の境を生き延びたあとのほうが
生きていることを実感している
という言葉があります。
小泉内閣の診療報酬改正によるリハビリ180日制限に
リハビリ患者の立場から反対の声を上げ
再考を促しますが、それでも厚生労働省の壁は
突き崩せなかった。
リハビリを制限するということは
患者に死ね、ということだと言います。
日本の医療はどうなっているんでしょうか。