梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

万事能舞台から

2006年06月10日 | 芝居
今月昼の部の『藤戸』はもとより、夜の部の『身替座禅』、他に『棒しばり』や『船弁慶』『土蜘』など、お能や狂言から歌舞伎に移された『松羽目物』では、登場人物の出入りのために<お幕>と<臆病口(おくびょうぐち)>というものが舞台に設置されます。
どちらも本行の能舞台から移したものでございますが、お能の方では<お幕>とは呼ばず、<揚幕(あげまく)>、あるいは<切り幕>と呼ぶそうですし、<臆病口>は正式には<切戸口>(きりどぐち)というのだそうです。

さて<お幕>ですが、これは舞台下手の出入りに使われるもの。花道の出入りがある場合には、いつもの揚幕(劇場の紋を染め抜いたもの)を外して取り付けられます。写真をご覧頂ければお分かりかと思いますが、五色の緞子を縫い合わせた幕の下端に、細い竹棹を結びつけ、開閉の係の者が二人でこれを持ち上げることで幕が開きます。幕の開閉は、基本的には出入りする俳優の弟子が勤めますが、黒の筒袖の着付に茶の細縞の袴、白足袋という、お幕係専用の拵えをいたします。この扮装は衣裳方の管轄ではなく、<小裂(こぎれ)>という、舞台で使う布製品全般を管理する部署が担当することになっております。
二人がかりとはいえ、やってみると意外と重いもので、大人数が連なって出る時などは、しばらく腕が上げっぱなしになるので辛いですね。上げる早さも、演目や役によって変わります。

一方<臆病口>は、舞台上手に作られた、横に引いて開けるかたちの扉です。間口はごく狭いので、どんなお役でも、いったんしゃがんでくぐり抜けるように出入りしなくてはなりません。<お幕>同様、使う役者の弟子が開閉をいたしますが、後見が出入りする時は自分で開閉します。
なぜ<臆病>口なのかと申しますと、お能の方で、ストーリー上、シテに斬られたとか、滅ばされたとか、あるいは逃亡する役が、多くここを使って退場するからなのだそうですよ。

以上にご説明した舞台面は、夜の部『身替座禅』でご覧頂けると思いますが、実は『藤戸』の方では、<臆病口>をなくして、上手にも<お幕>を設置するという、少々異例の舞台面になっております(写真もその上手側のお幕です)。演出上の理由でございますが、ぜひその目でお確かめ下さいませ。…下手上手に花道と、計三カ所の<お幕>ということで、お幕係も六人です! 

チリトテチン

2006年06月10日 | 芝居
『二人夕霧』の劇中で、師匠演ずる藤屋伊左衛門と、加賀屋(東蔵)さんの吉田屋女房おきさが、三味線を連れ弾きするくだりがございます。
写真がその場面で使う三味線です。役者が手にする道具ですので、管理管轄は<小道具方>でございますが、三味線に限らず、舞台上で使用する<楽器>は、実際に音を出す場合には、専門の和楽器店からひと興行単位で借用するかたちとなるのだそうです。今回も、大きな音は出さないものの、二人で調弦をする時に軽く弦を弾きますから、ちゃんとした演奏にも耐えうる品物が用意されております。昼の部の『荒川の佐吉』でも、松嶋屋(孝太郎)さんが爪弾く三味線がございますが、これも同様です。他に和楽器店から借用するものには、小鼓や太鼓などがございます。

一方で、演奏には使わないもの、例えば『盟三五大切』での立ち回りで、刀で皮を破られる三味線、あるいは単なる情景描写で、そこに置くだけのものは、小道具会社にもとからあるものを使用します。こういったものは、見た目はそれ<らしく>できていますが、演者が扱いやすいように、演奏用のものより軽く作ったりいたします。三味線袋に入ったままのものなどは、発泡スチロールのような素材で、輪郭だけをそれらしくしたものもあるそうです。

ひとつおことわりしておきたいのは、『阿古屋の琴攻め』で使われる琴、三味線、胡弓、この三つの楽器は、阿古屋をなさる俳優さんがご自身専用の品を誂えていらっしゃるもので、小道具方の管轄からは外れることになります。他の演目におきましても、演奏なさる俳優さんのご意向によっては、同様のことはままございます。

写真に写っている二挺の三味線、上の緋色の胴掛けがおきさ用、下の浅葱の胴掛けのが伊左衛門用です。両方とも本調子に合わせています。幕が開く直前に合わせ、大道具の壁に取り付けた三味線掛け(これも小道具)に掛けるのですが、約二十分後の使用時には少々音が狂ってしまいます。照明があたって弦も伸縮してしまいますし、弦巻きもどうしても緩むので、これはいたしかたないところ。ちょうど二人で調子を合わせる演技がございますから、その時にご自身で合わせて頂いております。

舞台上で弦が切れたり、皮が破けたりすることがないよう祈りつつ、後見を務めております。