梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

夏が迫ってまいります

2006年06月08日 | 芝居
今日は藤間の御宗家の稽古場に、お稽古に行ってまいりました。ここ数ヶ月舞台の都合で自分のお稽古ができませんでしたので、久しぶりとなるわけですが、来る八月四日から三日間、国立劇場で大々的に開催される御宗家の舞踊会のご準備で大変なお忙しさ。かくいう私も御宗家の弟子の立場の者としまして、八月六日昼の部上演の演目『屋島官女』に立ち回りのカラミで出演させて頂き、およばずながらお手伝いをさせていただきますものですから、今日はその立ち回りのお稽古でした。同期で、やはり宗家のお弟子さんである中村蝶之介さんと一緒なので、心強くもあり、楽しく勤められそうです。
六日当日は、昼の部の最終幕『大望月』に、師匠が出演いたします。また部屋子の梅丸も、同日の義太夫『隅田川』に子役で出演いたします。

八月はこの舞踊会の他にも、師匠が指導監修をお勤めになる、伝統歌舞伎保存会主催の「小学生のための歌舞伎体験教室」があり、もちろん我々の勉強会もございます。さらには私事ながら、入籍後とはなりますが、改めて挙式と披露宴をさせて頂くので
予定がぎっしり! ちょっと大変です。どれも中途半端にならないよう、全て全力で頑張りますが、体力が続けばよいのですが…。

縁の下の力持ち

2006年06月06日 | 芝居
久々掲載となる写真をご覧下さいませ。こちらは大道具で使われる<箱馬(はこうま)>でございます。
<箱足>と呼ばれることもあるそうですが、現場ではもっぱら<箱馬>です。直方体の木製で、頑丈な作りです。
この<箱馬>は統一規格がございまして、一尺(約三十センチ)×一尺七寸(約五十一センチ)×六寸(約十八センチ)というもの(写真のもそれです)と、一尺×一尺×六寸という二通り、これしかございません。この統一寸法が、歌舞伎の舞台作りにかかせない、大変重要な基本サイズとなるのですよ。

歌舞伎では、そのままの舞台床より丈を高くして組上げた舞台を<二重(にじゅう)>と申しております。そしてこの<二重舞台>は、高さに応じて四種類の常式、つまりキマリがあり、低い順から<尺高(しゃくだか)><常足(つねあし)><中足(ちゅうあし)><高足(たかあし)>となります。

このそれぞれの<二重>を組むときに、<箱馬>が土台となり、これに床部分となる、厚さ四寸(約十二センチ)がキマリの<平台(ひらだい)>を載せればよいわけですが、ここで先ほどの統一規格がじつに合理的に機能を発揮いたします。

<尺高>は高さ一尺なので、<箱馬>の六寸をタテに置き、四寸の<平台>を載せて、合計十寸=一尺。
<常足>は高さ一尺四寸なので、<箱馬>の一尺をタテに置き、四寸の<平台>を載せる。(例『二人夕霧』など)
<中足>は高さ二尺一寸なので、<箱馬>の一尺七寸をタテに置き、四寸の<平台>を載せて合計一尺十一寸=二尺一寸。(例『野崎村』など)

二尺八寸の<高足>だけは、二尺四寸高さの<開き足>という別の台と<平台>で組むことになる(例『毛谷村』など)のですが、<箱馬>と<平台>さえあれば、歌舞伎の基本舞台のほとんどが組み立てられるということなんですね。
ちなみに<常足>以上の高さの<二重>舞台には、昇り降りの演技のための段がつきますが、この段も七寸(約十四センチ)というキマリがあります。これも実によく考えられている寸法で、<常足><中足><高足>、それぞれの高さをきちんと等分できるというわけなんですね。

もちろん演目によっては、こうした常式によらずに、特定の寸法で作る場合もございますが、古典演目のほとんどは、先に挙げた形式によることになっております。

写真でもわかる通り、しょっちゅう使うものですから次第にボロボロになってしまいます。舞台設営に使用しない時は、役者が<こしらえ場>で、化粧道具や小道具を置く台に使わせて頂いたり、舞台使用に耐えなくなったものは、楽屋の廊下で腰掛け代わりになったりと、いつまでもどこまでも働いてくれる大切なアイテムです。

皆様も<二重舞台>のお芝居をご覧になった時は、こんな縁の下の力持ちさんのことを思い出して下さいね。

芝居の隠し味?

2006年06月05日 | 芝居
夜の部の切狂言『二人夕霧』は、皆様ご存知の『廓文章 吉田屋』の後日譚のようでもあり、パロディのようでもある、なんとも面白い作品です。死んだと思っていた<先の夕霧>と、今の女房<後の夕霧>とにはさまれて、零落の身の伊左衛門が右往左往、最後は三人仲良く夫婦になって、親からの勘当も解けてメデタシメデタシ。なんとも荒唐無稽でございますが、滑稽な場もあればしっとりとした見せ場もあり、理屈抜きに楽しめる舞踊仕立ての一幕。師匠梅玉のお父上、六世歌右衛門の大旦那が、自らの自主公演『莟会』で久しく埋もれていたこの狂言を復活上演なさって以来、本興行で度々かかるようになったものでございます。
全体に古風な趣きのお芝居でございまして、外題を墨書きした看板を<大臣柱>に掲げたり、主なる出演者の紋を描いた欄間を飾ったりしておりますが、その他にも、いかにも<役者を見せる>歌舞伎らしい遊び心があちこちに見られます。
例えば幕開きで萬屋(時蔵)さん演じる<後の夕霧>がしている襷(たすき)。これは萬屋さんご自身の紋である<つる酢漿(かたばみ)>を染め抜いたものでございます。また師匠梅玉が演じます藤屋伊左衛門が最初に着ている衣裳は松葉色の地に<梅>の柄。途中で頭に乗せる手拭は師匠の家の柄である<梅玉縞>ですし、屋体中央にかかっている暖簾も<捻じ梅>の模様…と、師匠梅玉にちなんだデザインがいっぱいです。
遊び心と申せば、伊左衛門が後に着る<紙衣(かみこ)>は、手紙を継いで仕立てた貧しい着物という設定で、本来ならば和紙で作らなければならないのでしょうが、そこは歌舞伎の美学で、縮緬地に金糸や銀糸で文字を散らした、綺麗なつくりとなっております。この文字も、<先の夕霧>からの恋文でつくったということですので、いかにも女からの恋文に書いてありそうな言葉が散らしてありますが、さりげなく「大入叶」なんて芝居興行の縁起をかつぐ言葉があるのも面白いところ。今回はございませんが、伊左衛門役者の屋号を縫い取る場合もございます。

役の向こうに、演じる役者自身のキャラクターが透けて見えるようなお芝居。『二人夕霧』に限らず、さりげないところにあしらわれた意匠に、気がついた人はにんまり、という狂言は沢山ございますね。

裃後見のはなし

2006年06月04日 | 芝居
昼の部の『藤戸』は<松葉目物>の舞踊劇。私を含む三人の後見は、<裃後見>というスタイルで舞台に出ております。
普通後見が着る裃は、自分の師匠の<家の色、柄>となり、紋も同様となります。私でしたら、師匠梅玉の家の色<芝翫茶>の裃、そして<祗園守>の紋となるのです。『京鹿子娘道成寺』『鷺娘』をはじめとして多くの舞踊では、主演なさる方によって、上演のたびごとに違った裃が、皆様のお目にふれておりますね。
しかし、例えば成田屋(團十郎)さんの家の『歌舞伎十八番』『新歌舞伎十八番』、あるいは音羽屋(菊五郎)さんの家に伝わる『新古演劇十種』など、いわゆる<家の芸>の中の演目を上演する場合、その芝居を作り上げた方々(代々の團十郎さん、菊五郎さん)に敬意を表し、どなたが演じる場合でも、後見は成田屋さんの家の色<柿色>の裃を着る、あるいは音羽屋さんの紋<重ね扇に抱き柏>をつける、といったかたちになるのがほとんどです。『暫』『鏡獅子』『土蜘』『茨木』などがよい例でしょう。
というわけで、今回の『藤戸』も、播磨屋(吉右衛門)さんがお作りになったお芝居ですので、播磨屋さんの家の<歌六茶>色、<揚羽の蝶>の紋をつけた裃を着ております。ただし、これはあくまで裃の話で、黒羽二重の着付についている紋は自分の師匠の家の紋(私でしたら師匠の替紋の祗園銀杏)となります。

たんに<後見>と申しましても、スタイルは様々で、今回のような<素顔で裃>もあれば、<化粧、カツラつきで裃>、<素顔で着付、袴のみ>、<化粧、カツラつきで着付、袴>、<黒衣>とございます。これは演目の雰囲気に合わせることはもちろんのこと、主演者、振付家の意向によって変わるものでして、同じ演目でも場合によりけりです。
<黒衣>の後見は、身体を小さくして控え、大道具などの陰に隠れ、なるべくお客様から見えないようにしたりしますが、それ以外の後見は、控えている間も背筋を伸ばして姿勢を綺麗にし、お客様に見えても構わない。むしろ汚いかたちになるのは行儀が悪いことになるのですが、そのぶん、仕事をする姿は目立たぬように、無駄のない動きをせねばなりませんので、未熟者の私などには、大変難しゅうございます。同じ作業をするのでも、<裃後見>でするのより、<黒衣>でするほうがはるかに気は楽だと、先輩もおっしゃっておりました。

今回の私の後見は仕事は少ないのですが、じっと控えている時間は長いです。猫背にならないよう気をつけ、舞台の暑さや正座のつらさをこらえながら、気配を殺して<無>になるべく勤めておりますが…皆様のお目にはどう映っておりますでしょうか?



上半期最後の公演始まる!

2006年06月02日 | 芝居
<六月大歌舞伎>の初日も無事終わり、ホッと一息つきながら自宅で祝杯をあげました。

大劇場初演となる『藤戸』は、お客様が集中してご覧になっていらっしゃる様子が、後見として舞台にいてもよくわかりました。私もやや緊張はいたしましたが、大過なく勤めることができてよかったです。もっともっと場の雰囲気に合わせた動き、無駄のない仕事をできるよう頑張ります。
『荒川の佐吉』の群衆役は、前幕の『藤戸』の後見からの早ごしらえとなってしまいました。なにしろ幕間が十五分なのです! 素顔に近い簡単な化粧とはいえ、今日はだいぶ焦りました。おかげさまで間に合いましたので一安心ですが、余裕を持って、落ち着いて出てゆきたいものですよ…。
『二人夕霧』は出道具のセットが大変でした。前幕の『身替座禅』から二十分の幕間で開幕となるのですが、同じ所作舞台を使う関係上、舞台裏にあらかじめ建て込んでおくこともできず、幕間のうちに一から大道具の設営となるので、装置ができあがるのを待ってからのこちらの作業開始。実質五分ちょっとで全ての出道具を配置しております。小道具方さんはもとより、兄弟子方の手助けのおかげで間に合っております。まさに人海戦術、開幕前の舞台の喧噪は、幕一つ隔てた皆様方には聞こえないのが救いです。

なんだかあっという間の一日でした。落ち着いたら勉強会の事務作業も再開しなくてはなりませんし、『修禅寺物語』のお稽古もはじまります。色々なことを同時進行でやってゆくのはとても苦手なのですが、これも勉強ですね。
写真の掲載が久しくできておりません。もう少ししたらご紹介いたします。

松風月稽古場便り <へ>

2006年06月01日 | 芝居
『藤戸』『二人夕霧』『暗闇の丑松』の<初日通り舞台稽古>。師匠が立て続けに二演目にお出になったので、双方で後見を勤める私もバタバタと忙しない半日でした。
『藤戸』は居所合わせを事前に行ったためもあり、また舞踊ということもあり、スムースに進行しました。今日でお出になる方々の居所もわかりましたので、明日からはごたつかずに仕事ができると思います。ただ一カ所、舞台中央での播磨屋(吉右衛門)さんの踊りが終わるか終わらぬかのギリギリのところで、上手で私の後見が仕事をしに移動するところがございまして、それがお邪魔にならないかとても心配です。動き方に注意を払い、お客様のお目障りにならないように重々気をつけます。

『二人夕霧』では、以前お伝えしましたように、あらかじめ舞台にセットしておく<出道具>の準備が大変です。先ほどの<裃後見>の衣裳を脱いですぐさま黒衣になり、師匠がお化粧をし直していらっしゃる間にすべて確認したかったのですが、三味線、釜、囲炉裏、打掛がかかった衣桁、タバコ盆、etc…。あれこれ位置を直したり、実際お使いになる幹部俳優さんと相談しているうちに、残念ながら時間切れ。師匠の着付をしてから作業再開となりました。
とはいえ三年前にもやった芝居ですので、大変な問題もなく、二、三の改善点(作り直し等)を明日に残しはいたしましたが、芝居そのものは順調に進行しました。
後見の段取りは三年前と同じにいたしましたが、今日のお稽古で変更点もございました。明日の初日の舞台で初めて試すことになるのがちょっとコワいですが、落ち着いて取り組みます。

昨日も<舞台稽古>をした『暗闇の丑松』は、ほぼノンストップで。死骸を運ぶ時、先導する役者が手にする手燭(手持ちの燭台)が、本物のロウソクを使っての<本火>になりまして、ゆらゆら揺れる炎に照らし出されるお米の姿がなんとも悲しい美しさでした。いずれご説明いたしますが、舞台で火を使うのは、実は大変なことなのでございます。

いよいよ明日は初日! 皆様と舞台でお会いできますことを楽しみにしております。