大変遅くなってしまいましたが、今月皆様から寄せられたご質問に、お答えいたしたいと思います。コメント投稿順にやってゆきましょう。
Q1、「劇中食べられているお蕎麦の味は?」
…『三千歳直侍』でお馴染みの、蕎麦を食べるシーン。この蕎麦も<消えもの>になります。私は舞台上で蕎麦を食べた経験はないので、なんとも申せませんが、明治座でいちど直侍をなすった師匠が以前申しておりましたのは、「舞台で食べる物は、演技に集中しているから味はよくわからない」とのことです。このお芝居での蕎麦は、劇場近くの蕎麦屋から定時に運んでもらったり、お弟子さんが簡単な調理器で舞台裏で作ったり(かけそばなので茹でるだけですからね)と、演者によって様々のようです。とある先輩がおっしゃていたのは、「たとえ味が美味しくても、<すする>演技がしにくい蕎麦、いつまでも口に残るような蕎麦ではダメ。お客様に、美味しそうに食べているように見せることができる具合が難しいんだ」とも…。
ちなみに、刻み煙草、お香などは毎回消費されるものですが、<消えもの>とはいわないようですね。
Q2、俊寛が手に持つ海藻は本物か?
…今月の播磨屋(吉右衛門)さんの場合は、本物の若布です。ただし、緑の布でできたニセの若布と合わせて使っているそうです。全部が全部本物でも、かえってそれらしく見えないのですね。
Q3、『廓三番叟』の番新の帯の結び方は?
…女方の帯結びには<あんこう>とか<柳>、<角出し><振り下げ>と様々ございますが、面白いことに番新の帯び結びには、名称がないんだそうです。古い衣裳方さん数人に伺いましても、「……。そういえば(名前が)ないねぇ。いつも<番新の帯>っていってるから…」という返事が。装束史のことはさておきまして、衣裳用語としての名称はないと考えて下さい。
結び目が前後ろにあるように見えたようですが、結んでいるのは前側だけです。片方の端が背中のほうにまわっているので、それがそう見えたのかもしれませんね。
Q4、以前の『金閣寺』と今回の『金閣寺』で違うところは?
『型』の問題に踏み込むことになりますので、若輩の私には難しいところですが、今回の舞台では、雪姫が縛られることになる桜の大木が、下手にあること(多くは上手側になる)が一番大きな違いでしょうか。今月の筋書の、出演者のコメントコーナーで、大和屋(玉三郎)さんご自身が、こういう演出上の相違点について述べられておりますので、ご覧頂ければと思います。
捕り手の立廻りは、立師さんによって色々変わることもあるでしょう。あの桜が降り積もった舞台で<返り立ち>をしたこともあるのですよ。また、立廻りの最後、捕り手が下手に引っ込むのではなく、花道に入ることもありましたね。
どこまでお力になれたかは心もとないですが、納得頂けましたでしょうか?
Q1、「劇中食べられているお蕎麦の味は?」
…『三千歳直侍』でお馴染みの、蕎麦を食べるシーン。この蕎麦も<消えもの>になります。私は舞台上で蕎麦を食べた経験はないので、なんとも申せませんが、明治座でいちど直侍をなすった師匠が以前申しておりましたのは、「舞台で食べる物は、演技に集中しているから味はよくわからない」とのことです。このお芝居での蕎麦は、劇場近くの蕎麦屋から定時に運んでもらったり、お弟子さんが簡単な調理器で舞台裏で作ったり(かけそばなので茹でるだけですからね)と、演者によって様々のようです。とある先輩がおっしゃていたのは、「たとえ味が美味しくても、<すする>演技がしにくい蕎麦、いつまでも口に残るような蕎麦ではダメ。お客様に、美味しそうに食べているように見せることができる具合が難しいんだ」とも…。
ちなみに、刻み煙草、お香などは毎回消費されるものですが、<消えもの>とはいわないようですね。
Q2、俊寛が手に持つ海藻は本物か?
…今月の播磨屋(吉右衛門)さんの場合は、本物の若布です。ただし、緑の布でできたニセの若布と合わせて使っているそうです。全部が全部本物でも、かえってそれらしく見えないのですね。
Q3、『廓三番叟』の番新の帯の結び方は?
…女方の帯結びには<あんこう>とか<柳>、<角出し><振り下げ>と様々ございますが、面白いことに番新の帯び結びには、名称がないんだそうです。古い衣裳方さん数人に伺いましても、「……。そういえば(名前が)ないねぇ。いつも<番新の帯>っていってるから…」という返事が。装束史のことはさておきまして、衣裳用語としての名称はないと考えて下さい。
結び目が前後ろにあるように見えたようですが、結んでいるのは前側だけです。片方の端が背中のほうにまわっているので、それがそう見えたのかもしれませんね。
Q4、以前の『金閣寺』と今回の『金閣寺』で違うところは?
『型』の問題に踏み込むことになりますので、若輩の私には難しいところですが、今回の舞台では、雪姫が縛られることになる桜の大木が、下手にあること(多くは上手側になる)が一番大きな違いでしょうか。今月の筋書の、出演者のコメントコーナーで、大和屋(玉三郎)さんご自身が、こういう演出上の相違点について述べられておりますので、ご覧頂ければと思います。
捕り手の立廻りは、立師さんによって色々変わることもあるでしょう。あの桜が降り積もった舞台で<返り立ち>をしたこともあるのですよ。また、立廻りの最後、捕り手が下手に引っ込むのではなく、花道に入ることもありましたね。
どこまでお力になれたかは心もとないですが、納得頂けましたでしょうか?
ご負担になってはと心配でした。
ありがとうございました。
私も今日は、国立の千穐楽を観に行きます。
楽しみです。
今度同行者のいるときにお蕎麦の場面に出会ったら、受け売りの薀蓄として披露しちゃおうかしら。
先日「金閣寺」を拝見した時は、播磨屋ファンの私としてはもちろん播磨屋を見つめていましたが、梅之さんの綱の持ち具合も気になって、なるほどなるほどと、楽しめました。
これからも頑張ってください。