梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

<総ざらい>のしきたり

2005年09月30日 | 芝居
本日は<総ざらい>。お稽古場での最後の稽古です。昨日からの鳴り物、長唄、三味線に加えて、狂言作者による柝や、大道具方から選ばれた方が勤めるツケ打ちも入り、ほぼ本番通りの進行となります。ほとんど段取りは完成しましたので、十二時から始まったお稽古も、途中休憩を挟んでも四時半過ぎに終わりました。
立ち稽古から舞台稽古までの一連のお稽古の中で、<総ざらい>は大切な日とされております。まず、今日一日のお稽古を始める前に、鳴り物さんが締め太鼓、楽太鼓、能管により「シャギリ」というお囃子を演奏してから、稽古にかかります。そして、最後の幕の稽古が終了し、狂言作者が「止め柝」をチョン、と入れたところで、楽屋内の諸務一切をとりしきる<頭取>さんが、「東西、まず本日はこれぎり」と述べると、鳴り物さんが楽太鼓で「打ち出し」を演奏します。出演者をはじめ稽古場にいる者は、皆この「打ち出し」演奏中は拍手をし、演奏終了とともに<頭取>の音頭で一本締めをし、口々に「おめでとうございます」とお祝いの言葉を言うのです。
「シャギリ」で始まり「打ち出し」で終わる<総ざらい>。なぜこういうしきたりなのか、疑問に思っておりましたが、狂言作者の方に伺ってみますと、「なるほど」と膝を打つお答えが返ってまいりました。
そもそも「シャギリ」は、一日の公演の中で、最終幕以外の各幕が終わるごとに演奏されるもの。ということは、この鳴り物が演奏されるということは、まだ公演は終わりませんよ、まだ続きがあるんですよ、というメッセージになります。
一方「うち出し」は、ひと月の興行中、千穐楽以外の日で、一日の公演終了時に演奏するもの。つまりこれは、まだこの興行は終わりませんよ、明日もやるんですよ、という意味になります。
というわけで、<総ざらい>をこれら「シャギリ」と「打ち出し」で挟むことで、今回の芝居が、
『この前の興行から引き続き、めでたく興行できる』こととなり、さらには、
『これからも途絶えることなく、次の興行へ続いてゆくのだ』、という大変縁起のよいものになるわけなのです。だからこその拍手、三本締め、おめでとうの挨拶となるのでしょう。
お囃子一つに、非常に大切な意味合いが込められているということなのですね。

……たくさんの話し合い、意見の出し合いの中で、無事四日間のお稽古が終了しました。明日の<舞台稽古>はどうなるでしょうか。仕掛け物が満載のお芝居ですので、ちょっと難航の予感です。