梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

男も女も懐に

2005年09月22日 | 芝居
『松王下屋敷』では、松王丸、女房千代、春藤玄蕃、そして御台所と、大人の役は、みな<懐紙>を持って舞台に出ております。
重ねた和紙を折ったうえで携帯する<懐紙>は、役者が身につけるものですから、小道具なのかと申しますと実はそうではなく、役者自身が用意する、作っておくものです。歌舞伎座の場合は楽屋棟一階の「頭取部屋」、それ以外の劇場では「小道具部屋」に、束になっておいてあるのを、必要な分だけもらって誂えるのです。
立役と女形では、その寸法も変わります。立役は、書道の半紙と同じ大きさで、これを二つ折りにします。女形は、立役の半分の大きさのものを三つ折りにしますが、伊達傾城といわれる、最高位の遊女役では、衣裳に見合う立派さを出すために、常よりも大きく、立役の寸法を少し小さくしたぐらいのものを好みで誂えて、これを三つ折りにして用いることがもっぱらです。立役でも女形でも、基本的には帯の上で着付の上前と下前が重なっているところに、差し込むように入れておきますが、女形ですと、仲居や芸者、遊女などの役によっては、帯に挟むこともございまして、一概には申せません。
また、厚さも役によってかわりまして、時代物のお役や先に挙げた伊達傾城では厚めに、世話物ではわりとうすめになりますが、役者自身の好みもはいってくることはいうまでもありません。また世話物の女形で、下女とか雇われ婆など身分の低い役では、茶半紙といって、やや茶がかった薄っぺらい紙を用いることもございます。
『忠臣蔵』の七段目で、遊女お軽が、斬り付けてきた兄平右衛門の目を眩ませるため懐紙を投げ付けると、空中でばらけてヒラヒラ綺麗に舞台に散らばるなんて場面もありますが、演技をしている最中に、ばらけてしまうと困るような場合は、お客様に見えにくいように、折り目のところに二ケ所穴を開け、タコ糸などの太めの糸で綴じてしまうということもいたします。

また、女形が<懐紙>とともに懐に入れるものに<泣き紙>がございます。これは、舞台上で、武家の女が泣くときには必ずといっていいほど使われるもので、女形用の懐紙をさらに小さく畳んだものです。これを使って、涙を拭う、口にくわえて悲しみをこらえる、あるいは泣き顔そのものを隠す、というふうに使うのです。
今月は、御台所ではじめてこの<泣き紙>を使いました。千代役の中村京妙さんに作り方を教わりましたが、この<泣き紙>を使って自然に泣くというのは、やはり慣れないと難しいですね。片手だけで持つか、両手で持つか、場面場面で違ってまいりますし、懐から取り出す仕種が、単なる段取りにならないように気をつけねばなりません。

ともあれ、松王丸、千代、御台所の三人が、共に悲嘆の涙にくれる後半最大の見せ場は、<懐紙><泣き紙>の出番です。ただの一枚の紙が、悲劇をもりあげる重要なアイテムとなって、役者の演技を助けてくれるのですね。