今考えれば間一髪のフエ脱出でした
今回のベトナム旅行の写真の整理がほぼ終わりました。
フエの写真を整理しながら改めて感じたのは、そしてカメラに残された確たる証拠を見て感じるのは、あの間一髪の脱出があったからこそベトナム探鳥旅行を進めることが出来たのだと言うことです。
10月9日に紹介したフエのホテルから幹線道路に出たところです。ここまでは水がきていませんが、平素なら多くのバイクや車で混雑しているはずの道路はこの通りです。
しばらく北上するとこのようなところを何度も何度も通りました。こうしてみると冠水直前であることが分かります。能天気なタカ長は「外国での台風経験もめったにない貴重な体験だ」などと話しながら、このような風景をものめずらしそうに眺めていました。しかし、いま考えるとガイドのマーさんやドライバー君たちの心配は相当なものだったと思われます。
フエを出発して2時間以上走り初めてトイレ休憩を取りました。日本のように道の駅などありませんから、道路沿いの小さなカフェの前に車を止め、コーヒーを注文してトイレを借りるわけです。
そのカフェの隣が建材屋でした。土嚢が積まれています。店への冠水に対応しているのかと最初思ったのですが、、、、
良く見るとどうやら売り物にするようでした。台風接近に際して商売をするのでしょうか?ここまで逃げると風雨はかなり弱くなりましたが、まだまだ安全地帯ではないようです。
カフェを過ぎてもこのような道が続きました。どこが冠水してもおかしくありません。考えてみればこのあたりの地形は平坦で、当然川の傾斜も日本のように急流はありません。いったんたまった水はなかなか海に流れ込まないことは外国人の私でも理解できます。
その日センティに着いて国営チャンネルを見ると、道路が冠水して動けなくなった大型バスやトラックの列が放映されていました。私たちのフエ脱出がもう少し遅かったら、私たちの車もあの車列に含まれていたはずです。
その台風のことは時間の経過とともに、言葉の分からない私たちにも少しずつ分かってきたのですが、死者44名以上を出した大型のもので、帰国前日の10月7日の新聞にも被害の様子が報道されていました。
日本の例で言えば「伊勢湾台風」のように歴史に残る大型で強い台風だったようです。
私たちのフエ脱出を支えてくれたドライバーです。彼らは前日ハノイから10時間かけてフエに到着、休むまもなくハノイ南郊のセンティまで12時間(昼食時間を含む)運転してくれました。
ご覧のように若いドライバーで、運転が荒っぽいと勝手なことを言っていましたが、彼らは内心必死だったのでしょう。左側のドライバーとはその後2回一緒になりましたが、その時は荒っぽい印象を受けませんでした。
ベトナムの人たちの必死の助けがあって私たちのベトナム探鳥旅行は予定以上の成果を上げることが出来たのです。
今回のベトナム旅行の写真の整理がほぼ終わりました。
フエの写真を整理しながら改めて感じたのは、そしてカメラに残された確たる証拠を見て感じるのは、あの間一髪の脱出があったからこそベトナム探鳥旅行を進めることが出来たのだと言うことです。
10月9日に紹介したフエのホテルから幹線道路に出たところです。ここまでは水がきていませんが、平素なら多くのバイクや車で混雑しているはずの道路はこの通りです。
しばらく北上するとこのようなところを何度も何度も通りました。こうしてみると冠水直前であることが分かります。能天気なタカ長は「外国での台風経験もめったにない貴重な体験だ」などと話しながら、このような風景をものめずらしそうに眺めていました。しかし、いま考えるとガイドのマーさんやドライバー君たちの心配は相当なものだったと思われます。
フエを出発して2時間以上走り初めてトイレ休憩を取りました。日本のように道の駅などありませんから、道路沿いの小さなカフェの前に車を止め、コーヒーを注文してトイレを借りるわけです。
そのカフェの隣が建材屋でした。土嚢が積まれています。店への冠水に対応しているのかと最初思ったのですが、、、、
良く見るとどうやら売り物にするようでした。台風接近に際して商売をするのでしょうか?ここまで逃げると風雨はかなり弱くなりましたが、まだまだ安全地帯ではないようです。
カフェを過ぎてもこのような道が続きました。どこが冠水してもおかしくありません。考えてみればこのあたりの地形は平坦で、当然川の傾斜も日本のように急流はありません。いったんたまった水はなかなか海に流れ込まないことは外国人の私でも理解できます。
その日センティに着いて国営チャンネルを見ると、道路が冠水して動けなくなった大型バスやトラックの列が放映されていました。私たちのフエ脱出がもう少し遅かったら、私たちの車もあの車列に含まれていたはずです。
その台風のことは時間の経過とともに、言葉の分からない私たちにも少しずつ分かってきたのですが、死者44名以上を出した大型のもので、帰国前日の10月7日の新聞にも被害の様子が報道されていました。
日本の例で言えば「伊勢湾台風」のように歴史に残る大型で強い台風だったようです。
私たちのフエ脱出を支えてくれたドライバーです。彼らは前日ハノイから10時間かけてフエに到着、休むまもなくハノイ南郊のセンティまで12時間(昼食時間を含む)運転してくれました。
ご覧のように若いドライバーで、運転が荒っぽいと勝手なことを言っていましたが、彼らは内心必死だったのでしょう。左側のドライバーとはその後2回一緒になりましたが、その時は荒っぽい印象を受けませんでした。
ベトナムの人たちの必死の助けがあって私たちのベトナム探鳥旅行は予定以上の成果を上げることが出来たのです。