タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

あの頃の山メシ~5

2019年02月16日 | 山歩きから
デイキャンプ

    

広島の市街地の近くにある呉娑々宇山は私たちのトレーニング場でした。車のマツダ本社、野球のマツダスタジアムに近い山です。

登山を始めたころこの呉娑々宇山や白木山などで経験を積まないと県北の山、芸北山群と言われている恐羅漢山などに連れて行ってもらえませんでした。それが登山を目指す人の暗黙の了解事項でした。

この呉娑々宇山の水分峡でキャンプ体験もしました。ここでキャンプ生活をしながら職場に通勤することをマジメに検討したこともあります。しかし、残念ですがこのプランは実現できませんでした。

    

職場の山仲間と山上のため池でデイキャンプみたいなこともしていました。もちろん、そのころはデイキャンプというようなしゃれた言い方はなかったように思います。飯盒炊爨をしに行く、と言った記憶はあります。

忘年会もこのため池のそばで行うのが通例でした。ブログで紹介したやみ鍋をしていたのもこのため池でした。

    

この画像は忘年会のものではないようです。飯盒炊さんをしたのでしょうが、詳細な記憶はまったくありません。

    

食事の終わったあとは皆で山の歌を歌っていました。これは通例になっていました。
最近の山は高齢者ばかりが目立つようになり、山で歌っているグループなど見たこともありません。この習慣を復活してほしいと言っても一人ではできません。チョットだけ淋しい気がします。

ボッカ訓練をしたのもこの山です。冬山シーズンが近づくと、何かしら重いものを担いで高尾山から山頂への尾根を歩いたものです。

    

思えばたくさんの想い出がある呉娑々宇山ですが、最近はご無沙汰が続いています。そのためでしょうか、今ではあのため池に行くルートさえ分からなくなりました。

独りで行く自信がないので誰かに案内してもらい、元気なうちにもう一度行って、デイキャンプは無理としても、せめてコーヒーくらい楽しみたいと思っています。

このようなことを書いていたら、記事の内容と画像が一致するのかどうか、それさえ自信がなくなりました。

あれから半世紀以上の時が流れているのですから仕方ないのでしょうが、いずれにしてもこのデイキャンプは、タカ長にとっては忘れられない山上での山メシです。


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2 コメント

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Unknown (三面相)
2019-02-17 10:13:01
飯盒炊爨の言葉も死語になってきましたねえ。
懐かしい言葉を思い出しましたよ。
セピア色の写真も当時の様子が良く解ります。
そして山で歌を唄っていましたね。
当時のことが甦りますね。
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三面相さんへ (タカ長)
2019-02-18 07:13:22
そうですね。今では飯盒炊爨とは言わないようです。
町内会で何かするときは「デイキャンプ」と言っています。
昨年のファミリー登山では飯盒で飯を炊きましたが、実戦のカンがなくなったのか、思ったより出来が悪かったです。

当たり前のことですが、我々二人にも青春がありましたね。
あの頃何を食べていたのか、全く思い出せませんが、この話題はもう少し続けるつもりです。
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