今朝、本屋さんへ出かけた時にこのような本を見つけ、さっそく購入しました。
佐伯区とは、言うまでもなく、タカ長が住む町、広島市佐伯区のことです。
余談になりますが、この写真はアマゾンから借用しています。そう、アマゾンでも売っているのです。
2017年10月6日発行の、地方のことを書いた本がアマゾンでも買えるのですから、アマゾンってすごいですね。
この本にも紹介されている「タカ長の遊び場」の話題です。
遊び場と言っても子どもの頃の遊び場です。
タカ長たちが子どもころ、ここで野球して遊んでいました。と言っても狭くて、内野がやっと取れるくらいでした。
自転車に乗ることを覚えたのもここ、ここは子どもたちにとっては貴重な広場でした。
いまは新年の初詣くらいしか行くことのない神社ですが、歴史散歩の時にも行きました。
この神社は八幡(やはた)神社と言います。八幡(はちまん)神社と言う名前の神社は全国各地にありますし、私たちの町にもありますが、ここは「はちまん神社」ではなくて「やはた神社」です。
この神社の歴史は古くて、息長帯比売神(おきながたらしひめのみこと)が西征の帰りにこの地に立ち寄り船をつけたところに神社を置いた、と言う伝説が伝わっています。息長帯比売神と言ってもお分かりにならないでしょうが、この息長帯比売神こそがかの有名な「神功皇后」です。
神功皇后が船をつけたと言われる旧八幡神社は現在地より東にある鈴が峰のふもとにありましたが、明治末の一村一社令によって現在地に合祀されたわけです。
その証拠になるのでしょうか?
全国にある八幡(はちまん)神社の神紋はこの画像の右に見える、軒丸瓦の紋、左三つ巴ですが、ここ八幡(やはた)神社の神紋は左奥に金色に見える、右に向かって細くなる「右三つ巴」が使われています。
この右三つ巴の神紋は神功皇后に縁のある神社でわずかに使われているだけで、八幡(やはた)神社もその一つなのです。
左三つ巴の神紋は多くの神社で使われており、軒丸瓦も大量生産されています。しかし、右三つ巴の軒丸瓦は特注しなければならないので高価、そのためこのようにちぐはぐになったのだろうと著者は推察しています。
このように教えられると、タカ長はすごい所で遊んでいたのだと気づかされます。
その他タカ長の村には、いまでは世界遺産になっている厳島神社関連の史跡もあり、、
そのようなことを知ると何だか誇らしい気持ちになります。
そのような史跡を歩く歴史散歩も行われていますが、、、
山歩きやらタカ見で忙しくて、このところご無沙汰が続いています。
タカ長をふくめて、普通の人は自分たちが住んでいるところがどのような所なのか、、、
その歴史的な背景を考えることはありません。
しかし、冷やかし程度の、チョッとだけの関心を寄せるだけで、自分の町を見る目も変わってきます。
気候が良くなったら歴史散歩はいかが???
そのときは神社の神紋にも注意して下さい。
右に向かって細くなる「右三つ巴」を見つけたら、その神社は神功皇后と縁があるはずです。
神紋チェックの散歩も楽しそうですね。
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