goo blog サービス終了のお知らせ 

狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄戦も「しょうがない」のか

2007-07-14 13:10:15 | 未分類

金口木舌

 広島や長崎の人々、被爆者や犠牲者の遺族らにとっては本当に嘆かわしく、怒りがこみ上げてきたことだろう
▼先の大戦での原爆投下について「しょうがない」と発言し、3日に引責辞任した久間章生前防衛相の1件だ。参院選や8月の鎮魂の季節を控えていることもあり、発言の波紋は収まりそうにない
▼こうした中で米国の核不拡散問題担当特使が、さらなる犠牲者を出さずに戦争を終わらせたとして、原爆投下を容認する発言をした。「『しょうがない』なんて言っていたら、米国はまた原爆を…」と考えてしまう
▼思えば、文部科学省の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍関与の記述が修正・削除された問題も、県民にとっては「集団自決はしょうがない」と言われているようなものだ
▼県や県議会、県市長会など県民代表が4日上京し、文部科学省に検定撤回と記述の回復を求めたが、文科省は記述の修正・削除を決めた教科用図書検定調査審議会の中立性などを理由に拒否した。「審議会の決定だから、しょうがない」と言いたいのだろう
▼広島、長崎とともに、沖縄戦の悲劇もまた二度と繰り返してはならない。そのためにも「しょうがない」は、どうにかせねば。

(琉球新報 7/6 9:48)

                                             ◇

久間前防衛相の「原爆投下しょがない」発言の第一報を琉球新報が初めて報じたのは6月30日の夕刊だった。

だが、不思議なことに一面をトップで飾ったのは地元沖縄とは特に関係のないチャイコフスキーコンクール優勝者の記事だった。

従来、戦争関連記事では大騒ぎするはずの地元紙。

「しょうがない」発言に戸惑いが見られる扱いだった。

それが、一夜明けたら急に怒りが爆発してきた。

「久間発言」に対し一面トップを初め合計四面を使っての怒りの記事のオンパレード。

久間防衛相発言 被爆者ら怒り、失望  (7/1 9:48)

「時間差の怒り爆発」は琉球新報だけではなかった。

戦争記事では琉球新報より過激なはずの沖縄タイムスも7月2日の夕刊で初めて「久間氏発言 県も問題視 」と怒り出す始末。

沖縄の新聞が「時間差」で怒り出したのには訳があった。

6月に入ってからの「集団自決」関連記事はテーマが「日本軍の残虐性」だった。

その意味で原爆投下の残虐性は沖縄メディアにとってあまり騒ぎ立てて欲しくない問題だ。

現実の歴史は、原爆投下で残虐なのは米軍であって、日本軍ではない。

原爆投下によって民間人を無差別虐殺したのは米軍であって、これを日本軍に求めるのは無理があるから。

折角、「集団自決」で定着しかかった「日本軍」の残虐性が「久間発言」によって「米軍」の残虐説性にすりかわっては困るのだ。

ここに沖縄のマスコミのねじれた歴史観がある。

沖縄のメディアが報じる沖縄戦は、沖縄住民を残虐非道な日本軍が殺戮したと言う構図で終始描かれている。

沖縄住民を日本軍から解放するため上陸したのがヒューマニズム溢れる米軍。

このような筋書きでなくては困るのだ。

そのイデオロギー塗れの歴史観の象徴が「日本軍の命令で集団自決した」と言う教科書の記述だ。

 >▼思えば、文部科学省の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍関与の記述が修正・削除された問題も、県民にとっては「集団自決はしょうがない」と言われているようなものだ

沖縄のメディアは、これまで沖縄戦は「しょうがない」と考えていたのではないのか。

そうで無いとしたら、これまで本島下長崎市長の次の発言を一度でも批判したことはあったのか。

本島氏は1998年8月に、産経新聞のインタビューに応じて次のように語っている。

 「米国やアジア太平洋諸国は原爆投下を『正しかった』『天罰だ』『救世主だった』と思っている。確かに、日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかったと、と言わざるを得ない。東京大空襲や沖縄戦も同じだ」

沖縄の言論をリードする知識人達は、一応にねじれた歴史観でマスコミを飾ってきた。

日本帝国主義が沖縄を植民地として、その領土に組み入れた。

沖縄を皇軍から解放するには沖縄戦もやむを得なかった。

その代表的人物太田元県知事は次のように語る。

まぎれもなく、沖縄はかつて日本国の植民地であった。

古くは薩摩の過酷な搾取に支配され、太平洋戦争で沖縄県民は軍務に活用され、やがて切り捨てられ、そして卑劣にも虐待された歴史がある。

その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)

 
                                        ◇
 

太田元沖縄知事の著書「沖縄の決断」の紹介文に沖縄のマスコミの歴史観が凝縮されている。

沖縄戦といえば,「語り部」と称される人たちによって語れる定番の物語がある。

日本軍が住民を壕から追い出したとか、凄惨な集団自決に追いこんだとかと住民を守らない残虐な日本軍のイメージが強調されて来た。

他方では「アメリカ軍は人道的であり、沖縄住民を残酷な日本軍から救うためにやって来た平和と民主主義の守護者、“解放者”である」かのような情報がまかり通ってきた。

アメリカ軍は沖縄侵攻作戦を、「アイスバーグ作戦」と名付け、それまでの太平洋戦争ではみられなかったカメラマン部隊を投入し、沖縄戦の様子を克明に記録している。

それらの記録映像には老婆を壕から助け出したり、赤ん坊を抱いてミルクを飲ましたり或いは負傷者の住民に手当てをしているヒューマニズム溢れる米兵の姿を記録した。

それらの映像記録は、未編集のまま米国国立公文書館に保存されているが、「1フィート運動の会」によってその大部分は収集されている。

だが、スチール写真等は、沖縄の米軍統治時代に「琉米親善」のプロパガンダに有効に利用された。


米軍は沖縄を本土と分離し、半永久的に沖縄を軍政の元に置く計画だった。

アメリカの意識的な本土・沖縄分断策は成功し、施政権返還後も一部のグループに受け継がれている。

では、沖縄戦は沖縄を侵略者日本から解放する為には「仕方無かった」のか。

沖縄の知識人はこの問いかけに未だにまともに答えていない。

 

久間防衛相発言 ねじれた沖縄メディアの「怒り」

久間「しょうがない発言」  困ったサヨクは時間差で激怒する

 

コメント

村の鎮守の神様の 【付記】「杉作、日本の夜明けは近いぞ!」

2007-07-14 07:56:28 | 県知事選

 

村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日

 どんどんひゃらら どんひゃらら 

と続く小学校唱歌「村祭り」の歌いだしである。

日本の祭り。

何となく郷愁を誘う村祭り。

子供の頃見た嵐寛寿郎扮する鞍馬天狗の映画「鞍馬の火祭り」は、京都の村祭りが舞台だった。

◆「鞍馬の火祭り」http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/himatsuri/2002kurama/

勿論後で知ったのだが、1951年制作のこの映画には、

「俺は、君のためにこそ死ねる」で主人公の鳥濱トメさんを演じた岸恵子が

天狗のオジサンこと嵐寛寿郎の相手役を務めている。

当時19歳でその年の新人デビューだというから、時の流れを改めて感じ入る。

村祭りも、元を正せば宗教的儀式に辿るのだろうが、元来日本人は一神教ではないので厳密な宗教観を持たない。

町おこしのお祭や、屋台や金魚すくいも出て宗教的雰囲気とはかけ離れた

楽しくも懐かしい夏の風物詩となっている。

核家族化が進むなかで、都会に出た若者が久しぶりに帰省して、懐かしい顔に再会し、家族、友人、全員が参加して楽しめる数少ない催しになっている。

・・・と勝手にイメージを膨らましてきたが、最近では必ずしもそうでもないとか・・・。

ところで、このまま脱線しっぱなしでは困るので、しばし懐かしい唱歌「村祭り」を聞いて体勢を整えよう。

◆村祭り
http://www.h6.dion.ne.jp/~sa3270/uta.muramaturi.htm

 

靖国神社にちょうちん献灯=ポケットマネーで-安倍首相 

13日始まった靖国神社(東京・九段北)の「みたままつり」に、安倍晋三首相が戦没者の「御霊(みたま)」を慰めるちょうちんを献灯した。ちょうちんには肩書なしで「安倍晋三」と書かれている。関係者によると、費用1万円はポケットマネーから支出した。今後参拝するかどうかに注目が集まりそうだ。

2007/07/13-17:32 時事通信

                     ◇

 

一国の総理大臣が自国の神社の祭りにちょうちんを献灯したからといって、何を注目しようって言うんだ、時事通信さん。

注目が集まりそうだ

総理大臣が神社に提灯を献じて何が悪い。 

こういうのを中国への「ちょうちん記事」って言うんだ。

日本国の総理大臣が日本国内のいかなる地域の立ち入ろうが、そこに花を献じようが提灯を献じようが、

他国にとやかく言われる筋合いではない。

そう、これが今日の本論だった。

天狗のオジサンも言っていたヨ。

「鞍馬神社には松明が似合う。

靖国神社には提灯が似合う」って。

 

◆「追記」 9:50

ん? 次のような記事が眼に飛び込んだ。

ちょうちんは公選法違反? 靖国神社の祭り自民候補ら撤去(7月14日 朝刊)

うーん、さすがの天狗のおじさんも法律違反、・・・それこそ御法度には勝てないだろう。

ここでおじさんの決め台詞。

(ちょうちんは取り外しても)・・・

「杉作、日本の夜明けは近いぞ!」http://homepage3.nifty.com/k-896g/newpage5-2-02.html 

 

コメント

国会の盲腸? たかが参院 されど参院

2007-07-14 06:53:42 | 県知事選

台風一過。

大型、強風と聞いたが我が家は庭の木の葉が何時もより多く散った程度で、停電もなく幸いにも被害甚小だった。

だが、一部にはけが人も含めて大きな被害に遭った家もあると聞く。

被害家族にはお見舞い申し上げます。

台風の風雨で一時水入りだった選挙戦も今日から取り直しと言ったところか。

マイクの騒音の前に朝っぱらから、セミの声が騒がしい。

 

7月13日付 よみうり寸評
 〈年金〉――最も重視したい政策や争点で1位(65%)になった。参院選に関する本社世論調査の結果だ。社会保障の重要なテーマの一つだからトップになって不思議はない◆だが、そうなった理由は、もっぱら年金の記録漏れ、宙に浮いた年金の不安によるものだろう。そこが情けないところ。こんな年金にだれがした◆いまさら社会保険庁のでたらめをくりかえして論じるのも腹立たしいばかりだが、参院選争点の1位だ。改めて経過を見つめ、混乱をどう収拾するか、各党の政策を見据えよう◆「年金問題の本質は日本の官僚がいかに無能、無責任、無駄遣いであるかをわかりやすい形で露呈させたことだ」と堺屋太一氏がきつく指弾している(文芸春秋8月号)◆「年金データの記録と管理という極めて単純な作業さえできないほど無能。記録漏れという事故に対して呆(あき)れるほど無責任。その上、莫大(ばくだい)な年金運用資金をグリーンピア始め無駄な投資に使った」◆「無能、無責任、無駄の官僚を駆逐せよ、団塊世代の一票が日本を変える」と堺屋氏は述べている。

(2007年7月13日13時52分  読売新聞)
                       

                   ◇
>◆「年金問題の本質は日本の官僚がいかに無能、無責任、無駄遣いであるかをわかりやすい形で露呈させたことだ」と堺屋太一氏がきつく指弾している

>◆「無能、無責任、無駄の官僚を駆逐せよ、団塊世代の一票が日本を変える

沖縄海洋博の責任者も務めた優秀な官僚にして、「団塊の世代」という言葉の産みの親の堺屋太一氏ご自身が言うと、同じ言葉にも説得力がある。

連日のマスコミの安倍叩きに煽られて、一瞬自民惨敗の予感、そして野党連立政権の悪夢をむりやり見させらりした。

例えば次のような新聞の次のようなくだり。

 
 だが、やはり消去法によると自民党しかないとも書いた。

良く考えて見たら、たかが参院選のことではないか。

参議院が盲腸と言われて久しい。

保守が過半数を割ったとしても、それが何か。

というところだ。

たとえ自民党惨敗でも、衆議院で与党が圧倒的多数を占めているから民主党政権が誕生することはない。

衆院で可決された法案が参院で否決されても、どうってことはない。

衆議院で再審議・採決・可決ということになる。

 ≪衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、
衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再び可決したときは、
法律となる。≫(日本国憲法の第59条第2項)

多少法案採決に手間暇がかかるだけの話。

参議院が国会の盲腸と言われる所以である。

結局、参院選で惨敗しても中川(女)が辞任して、安倍は続投でしょう。

で、民主党が過半数を割った場合は?

マスコミに「引退する」と公言したのだから小沢は引退でしょう。

となると、鳩山・菅の幹部は引責辞任。

次世代の前原誠司氏、野田佳彦氏らが復活するはず。

どっちへ転んでも大勢に変化はない。

とはいえ、一応は国政選挙。

少しは参院選を中も気して行きたい。

2007参議院選挙特集 - Yahoo!ニュース×Yahoo!みんなの政治
という、Yahoo!の特設ページがつくられたようなので、覗いてみてください。


 

コメント