金口木舌
広島や長崎の人々、被爆者や犠牲者の遺族らにとっては本当に嘆かわしく、怒りがこみ上げてきたことだろう
▼先の大戦での原爆投下について「しょうがない」と発言し、3日に引責辞任した久間章生前防衛相の1件だ。参院選や8月の鎮魂の季節を控えていることもあり、発言の波紋は収まりそうにない
▼こうした中で米国の核不拡散問題担当特使が、さらなる犠牲者を出さずに戦争を終わらせたとして、原爆投下を容認する発言をした。「『しょうがない』なんて言っていたら、米国はまた原爆を…」と考えてしまう
▼思えば、文部科学省の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍関与の記述が修正・削除された問題も、県民にとっては「集団自決はしょうがない」と言われているようなものだ
▼県や県議会、県市長会など県民代表が4日上京し、文部科学省に検定撤回と記述の回復を求めたが、文科省は記述の修正・削除を決めた教科用図書検定調査審議会の中立性などを理由に拒否した。「審議会の決定だから、しょうがない」と言いたいのだろう
▼広島、長崎とともに、沖縄戦の悲劇もまた二度と繰り返してはならない。そのためにも「しょうがない」は、どうにかせねば。
(琉球新報 7/6 9:48)
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久間前防衛相の「原爆投下しょがない」発言の第一報を琉球新報が初めて報じたのは6月30日の夕刊だった。
だが、不思議なことに一面をトップで飾ったのは地元沖縄とは特に関係のないチャイコフスキーコンクール優勝者の記事だった。
従来、戦争関連記事では大騒ぎするはずの地元紙。
「しょうがない」発言に戸惑いが見られる扱いだった。
それが、一夜明けたら急に怒りが爆発してきた。
「久間発言」に対し一面トップを初め合計四面を使っての怒りの記事のオンパレード。
久間防衛相発言 被爆者ら怒り、失望 (7/1 9:48)
「時間差の怒り爆発」は琉球新報だけではなかった。
戦争記事では琉球新報より過激なはずの沖縄タイムスも7月2日の夕刊で初めて「久間氏発言 県も問題視 」と怒り出す始末。
沖縄の新聞が「時間差」で怒り出したのには訳があった。
6月に入ってからの「集団自決」関連記事はテーマが「日本軍の残虐性」だった。
その意味で原爆投下の残虐性は沖縄メディアにとってあまり騒ぎ立てて欲しくない問題だ。
現実の歴史は、原爆投下で残虐なのは米軍であって、日本軍ではない。
原爆投下によって民間人を無差別虐殺したのは米軍であって、これを日本軍に求めるのは無理があるから。
折角、「集団自決」で定着しかかった「日本軍」の残虐性が「久間発言」によって「米軍」の残虐説性にすりかわっては困るのだ。
ここに沖縄のマスコミのねじれた歴史観がある。
沖縄のメディアが報じる沖縄戦は、沖縄住民を残虐非道な日本軍が殺戮したと言う構図で終始描かれている。
沖縄住民を日本軍から解放するため上陸したのがヒューマニズム溢れる米軍。
このような筋書きでなくては困るのだ。
そのイデオロギー塗れの歴史観の象徴が「日本軍の命令で集団自決した」と言う教科書の記述だ。
>▼思えば、文部科学省の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍関与の記述が修正・削除された問題も、県民にとっては「集団自決はしょうがない」と言われているようなものだ
沖縄のメディアは、これまで沖縄戦は「しょうがない」と考えていたのではないのか。
そうで無いとしたら、これまで本島下長崎市長の次の発言を一度でも批判したことはあったのか。
本島氏は1998年8月に、産経新聞のインタビューに応じて次のように語っている。
「米国やアジア太平洋諸国は原爆投下を『正しかった』『天罰だ』『救世主だった』と思っている。確かに、日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかったと、と言わざるを得ない。東京大空襲や沖縄戦も同じだ」
沖縄の言論をリードする知識人達は、一応にねじれた歴史観でマスコミを飾ってきた。
日本帝国主義が沖縄を植民地として、その領土に組み入れた。
沖縄を皇軍から解放するには沖縄戦もやむを得なかった。
その代表的人物太田元県知事は次のように語る。
≪まぎれもなく、沖縄はかつて日本国の植民地であった。
古くは薩摩の過酷な搾取に支配され、太平洋戦争で沖縄県民は軍務に活用され、やがて切り捨てられ、そして卑劣にも虐待された歴史がある。
その意味では、沖縄戦のあとに上陸してきたアメリカ軍は沖縄にとって解放軍のはずだった。≫
(大田昌秀著「沖縄の決断」朝日新聞社刊)
太田元沖縄知事の著書「沖縄の決断」の紹介文に沖縄のマスコミの歴史観が凝縮されている。
沖縄戦といえば,「語り部」と称される人たちによって語れる定番の物語がある。
日本軍が住民を壕から追い出したとか、凄惨な集団自決に追いこんだとかと住民を守らない残虐な日本軍のイメージが強調されて来た。
他方では「アメリカ軍は人道的であり、沖縄住民を残酷な日本軍から救うためにやって来た平和と民主主義の守護者、“解放者”である」かのような情報がまかり通ってきた。
アメリカ軍は沖縄侵攻作戦を、「アイスバーグ作戦」と名付け、それまでの太平洋戦争ではみられなかったカメラマン部隊を投入し、沖縄戦の様子を克明に記録している。
それらの記録映像には老婆を壕から助け出したり、赤ん坊を抱いてミルクを飲ましたり或いは負傷者の住民に手当てをしているヒューマニズム溢れる米兵の姿を記録した。
それらの映像記録は、未編集のまま米国国立公文書館に保存されているが、「1フィート運動の会」によってその大部分は収集されている。
だが、スチール写真等は、沖縄の米軍統治時代に「琉米親善」のプロパガンダに有効に利用された。
米軍は沖縄を本土と分離し、半永久的に沖縄を軍政の元に置く計画だった。
アメリカの意識的な本土・沖縄分断策は成功し、施政権返還後も一部のグループに受け継がれている。
では、沖縄戦は沖縄を侵略者日本から解放する為には「仕方無かった」のか。沖縄の知識人はこの問いかけに未だにまともに答えていない。
久間「しょうがない発言」 困ったサヨクは時間差で激怒する