大阪から京都へ行くにはたくさんの交通手段がある。
阪急京都線、JR京都線、京阪電車、マイカーなど。
このたびそこに「ラン」という手段が加わった!
これは京都まで初めて走って行った時のブログ記事の一文。
京都まで走った事を嬉々として綴った初々しい姿だが。
その後は、哀しいことに京都まで走るのは当たり前の身となってしまった。
しかしこのたびは京都までのルートに新しい選択肢が加わった事を嬉々として綴る。
これまで馬鹿の一つ覚えで京都までのルートは淀川河川敷しか知らなかった。
先週末ラン仲間Jさんの先導で京街道を辿っていく京都旅を初経験させてもらった。
ざっとこんなコースで。
京阪北浜駅スタート。
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8.5km地点 守口宿・文禄堤跡(京阪守口駅)※
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20km地点 枚方宿・枚方遊郭跡(京阪枚方駅)※
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30km地点 橋本遊郭跡<鬼龍院花子の生涯>(京阪橋本駅)※
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40km地点 中書島遊郭跡(京阪中書島駅)※
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45km地点 撞木町遊郭跡<大石内蔵助>
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46km地点 京阪黒染駅ゴール
豊臣秀吉が大坂城と伏見城を結ぶため、淀川沿いに文禄堤と呼ばれる堤を整備し築いたのが京街道。
その後、徳川家康が京街道をさらに発展させ、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の四カ所に宿駅を設けこの四次と東海道五十三次を合わせて東海道は五十七次と呼ばれているんだってさ。
江戸時代、洛中を通ることが許されなかった大名は参勤交代の際は大津方面から山科との境にある追分で東海道と分かれて伏見へと向かいこの街道を辿ったそうな。
また新たな知識を得たわ。いくつになっても勉強は楽しいな。
道中、こんな石碑やら碑文やらを読みながら往く。
実に風流なマラニックだ。
これが映画の撮影に使われた橋本遊郭に現存する建物。
歴史を感じるその佇まいから、その昔苦界にあった女性たちの哀しい言葉が聞こえてくるような気がした。
だってね。くしくも今夢中になって読んでいる本がこれだもの。
渾身のルポタージュに絶賛しつつ読み続けている。
有難い事に、貪るように読書していると忘れる事が出来るのだ。
両膝、両腕、手のひらに酷い打ち身、擦り傷の痛みを・・・。
実はこのマラニックで私はまたまた大転倒をやらかしている。
まだ癒えない肋骨の負傷をかばう為にすり足の走り方が災いして突起物に躓いてしまったのだ。
両膝と両肘、両手くんが総動員でヒビ残る肋骨君を守ってくれた。
その犠牲で彼らの負傷はかなり酷いが。
そして私が肋骨ヒビ持ちだと知っている同行のメンバーは皆慌てふためいた。
その節は流血騒ぎで心配掛けてほんまにすいませ~ん。
でも打ち上げでの飲みっぷりを見たら大丈夫だとわかっていただけたことでしょう。
この一カ月で3回も転倒アクシデントに見舞われている私。
老化現象が進行しているとも取れるが。
交通事故よりましやんっ!
擦り傷、切り傷は日にち薬で治るしっ!と、本人はいたってポジティブ。
この調子で行くと夏までには計7回くらい転ぶか。
でも8回起き上がってやるから・・・、万一その場に居合わせた皆さんどうぞご心配なくね。