「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

「ふじのくに静岡・協力隊を育てる会」設立総会・記念講演会&交流会に参加して

2015-01-24 22:29:54 | 国際防災協力
静岡市葵区にある静岡県勤労者総合会館で、
ふじのくに静岡・協力隊を育てる会の設立総会・記念講演会&交流会。

静岡の大学人で、JICA専門家としての派遣経験を持つ者、ということからか、
理事の末席に連なる機会をいただき、一連のイベントに参加させてもらう。

20代の半ば、青年海外協力隊員に憧れた。
四半世紀前、特別職の国家公務員には現職参加の制度がなく(一般職にはあった)、
協力隊に参加するとなると、防衛研究所を辞めての参加ということとなり、
さすがにそこまでは出来ないなぁ、と、断念せざるを得なかった。

それでも、無理をしてでも飛び出していたら、また別の展開があったのだろうなぁ、
そう思う時は、今でもたまにある。

それから約20年後、国際防災協力の専門家として長期派遣の機会をいただき、
中米で1年間を過ごした時には、協力隊員はしっかりサポートしたい、ということで、
自宅に招き、食事や風呂を提供したこともあった。
(サンサルバドルの拙宅には、幸いにもバスタブがあった。)

協力隊員の彼らにどれほどの支援ができたのか、
余計なお節介だったのか、不十分な支援にとどまっていたのか、そこはわからない。
ただ、隊員に比べて恵まれた条件で派遣されている身としては、
彼らの支援をすることは専門家としての職分の延長、との思いはあった。

派遣前の「どんな国・どんな生活になるのだろうか」との不安、
派遣中の「日本に帰って仕事があるのだろうか」との不安、
帰国後の「自分たちの思いを次の世代に伝えられるだろうか」との思いを具体化する場の少なさ、等々、
ちょっと考えただけでも、協力隊員を取り巻く問題点はまだまだ多い。

折しも今年は青年海外協力隊の制度が発足して50年という記念の年なのだそうな。
4万人近い協力隊員とそのOB・OGの中で、静岡からは1362人が参加、
現在も39ヵ国で68人が活躍中とのこと。

47の都道府県の中で、静岡は、協力隊を育てる会のない4つの府県の一つだったのだそうな。
震災前、ということは、「旅の坊主」の中米派遣前でもあるのだが、
静岡県ボランティア協会のOさんらが中心となり、育てる会を作ろうよ、ということで、
集まっての議論に参加したことを覚えている。

しかし、そこに東日本大震災。ボラ協としては、育てる会の優先順位よりも、
はるかに優先度の高い事案が続出した訳で、それどころではなくなったのも当然のこと。

ただ、震災から4年を前に、「ぼつぼつ」という声をかけて下さった方がいたようで、
Oさんを始めとするボランティア協会のスタッフの方々が、
昨年秋からいろいろと調整して下さったのだそうな。

記念講演の講師は、川勝平太静岡県知事が務めて下さった。
知事にお願いするには、Oさんは大変なご苦労をされたという。
頭の下がる思い。

知事が以前から温めていたJICAグローバル大学院大学構想を熱く語って下さった。
記念講演の配布資料は平成14年に書かれたものだが、古臭さがまったくない。
それだけ先進的だったと言うべきか、10年経っても進歩がないと言うべきか、
そこはともかく、静岡に、環境をキーワードとする大学院大学を設立し、
JICAの協力隊員には、フィールドワークをした者として、
MBAならぬMEA(Master of Environment Management、環境学修士)を出せるように、
その思いは、聞くべきものがあった。

他にも、県内のビッグネームが顔を揃えた中で、「旅の坊主」に何ができるのか、
そのことを考えさせられた次第。

まぁ、やるべきことが多いということは、ある意味では、歓迎すべきこと、なのだろう。

教育者の端くれとして、次の世代に託すべきメッセージを持つと共に、
次の世代のための環境整備をすることは、当然の義務と思っている。
立場的にまだまだの「旅の坊主」であるが、がんばらねば、である。

「がんばれ、は、自分への言葉」、とは、さだまさしさんも良いことを言ったものであるな。


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