「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

富士常葉大学環境防災学部の「失敗」から何を学ぶべきか

2015-01-23 23:44:16 | 防災学
神戸にあるアジア防災研究所に勤める盟友Aさんが
小人数ながら密度の濃い研究会を企画して下さり、充実した4時間を過ごす。
テーマは、3月の国連世界防災会議を意識しつつの、マルチセクターの防災のあり方について、

国際防災協力のOさん、プラスアートのNさん、人と防災未来センターのMさん、
中越防災安全推進機構のKさんら、旧知の方が多く、突っ込んだ議論が出来た。

恥ずかしながら当方のプレゼンはぶっつけ本番のようなもので、
静岡から神戸までの往路の車中でようやく文章化できたようなものだったが、
Aさんのおかげで、幾つもの重要な点に気づくことが出来た。

日本で最初の、学部名に防災学の文字を持つ富士常葉大学環境防災学部。
2000年4月に産声をあげたものの、募集定員を下回る状況が続く。

「入口論」(定員確保)と「出口論」(どれだけ良い就職先に勤められたか)は、
地方私大では密接不可分の関係にあるが、
入口論の数字は言っても、出口論に向けた学生の指導方法を一切語らない(語れない)経営者。

こちら側にそれなりの方法論があれば、経営者の介入を避けることは出来たはず。
今であれば多少の方法論はある。

「天声人語書き取り」「目線の合わせ方を教える」「研究室にコーヒーや茶菓子を用意した上で雑談をさせる」等々。
偏差値的に底辺層にいる者であっても何人かは目覚める。

しかし、その方法論を体得するのに10年かかった。
そしてその間、反論を許さない理事長の業務命令により、日本最初の防災学部は改称を強いられてしまった。
2013年3月、日本最初の防災学部である富士常葉大学環境防災学部は幕を閉じた。

この恨みは、消えることはない。
東日本大震災の発生と、その後の全国各地の大学における防災研究の怒涛の増加に、
わざわざ「日本最初の防災学部」の看板を捨てた経営者は、そのセンスの無さを満天下に知らしめた。
多少は溜飲も下がろうというものではある。喜びはないが。

死んだ子の年を数えるのは虚しいこと。
しかし、過去問を解くことで、よりよい姿に近づくことは可能である。
大学人の三本柱が「教育」「研究」「社会貢献」であるとして、では、我々は何をすればよかったか。

教育の観点からすれば、大学における防災&防災学は、将来の防災を担う人材を育てられるかどうか。
地方私大の現実はなかなか厳しい。消防・警察・自衛隊・市町村職員に押し込めれば上出来という現実。
それでも、毎年2桁の学生を公務員に送り込めれば、
数字でしか判断しようとしない経営者であっても、介入を防ぐことができただろう。

研究の観点からすれば、日本最初の防災学部の人間に求められる防災&防災学とは、
一にも二にも防災学の体系化だろう。
特に「災害研究は自然科学だが防災研究は社会科学」という発想の重要性。
叢書を出すくらいの勢いがあればよかったのだろうが、それは未達成である。
だが、今からでも遅くはない。挑戦する価値はある。

社会貢献の観点からすれば、過去15年、出前講座の数はそれこそ山ほどある。
ただ、単に先方からの依頼に応えればよい、と考えるのではなく、
地域防災の底上げに資するような戦略的な実施が求められた。
これについても、まだまだ改善の余地はある。

本来は、国連世界防災会議でのポスト兵庫行動枠組みの議論に資してナンボ、の研究会だったのだが、
期せずして、本学の来し方を振り返る良き機会となった。
やれることはまだある。取り戻せるものもあるだろう。

やはり、静岡にこそ、防災学の拠点は相応しい!


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