12月26日。この日は2004年にインド洋大津波が発生した日。
スマトラ島の北西端バンダアチェに入ったのは翌2005年2月下旬のことだったが、
文字通り言葉を失ったことを覚えている。
それから6年3ヶ月後、東北地方の太平洋沿岸が同じような状況になるとは、
その時は思ってもいなかったが……。
それにしても、あれから10年も経ってしまったとは、まったく思えないような、
時間の流れの速さであった……。
たまたま見ていたNHKの21時のニュース。
今年の最後の放送だった、ということもあるのかもしれないが、
また、こちらが防災の目で見ていたからもしれないが、
本当に防災についてのプログラムが多かった。
広島での土砂災害、山梨の豪雪災害、三陸鉄道再開、
そしてインド洋大津波のバンダアチェやタイ・プーケットからの映像……。
現象としての災害は、東日本大震災以降の、受け取る側の感度向上もあろうが、
今日を生きる我々にとって、不幸なことだが、より身近なものになってきている。
そして被害の大半は、ちょっとした知識があれば避けられたもの。
私達防災学に携わっている者は、私達の中では常識だが、世の常識にはなっていないもの、
あるいは、世にはびこっている間違った常識を修正するため何ができるのか、
もっと効率的な方法に取り組まなくてはならないのだろう、と、改めて思う。
自然には勝てないし、勝てると思ってもいけない。
それは21世紀の日本においても、基本的なスタンスとして持ち続けなければならないだろう。
リスクをゼロにすることも出来ない。
原理的には、しかるべき額を投入できれば、実質的にはリスクをほぼゼロにすることは可能。
しかし、そのような財政投入が出来ないがゆえに、実質的なリスクゼロ生活は厳しい。
という訳で、先日の四日市での話ではないが「リスクとの共生を学ぶ」のが
防災学の基本的な目的となる。言葉をかえれば、自然との共生とも言える。
日本で防災学を考える際、幾つかの不幸があったと思っている。
その一つは、自然を理解することと、その自然と共生する方法を理解することは、違うということを、
しっかり使い分けられなかったこと。
地震や津波のメカニズムを理解しても、地震や津波のリスクと共生する方法を理解したことには、
実はならないのだ。少なくても、両者の間には、かなりのギャップがあり、
独力でそのギャップを理解し、かつ、それを乗り越えられる者は、かなりの少数派にならざるを得ない。
そして、前者については多くの教科書のページが割かれていても、
後者についてはほとんど知られておらず、また、教えられてもいない。
やられているのは、防災訓練という名の避難訓練。
こういうような、そもそも論まで立ち戻った上で、
防災学とは何か、リスクとの共生を学ぶとはどういうことか、
誰かが、説いていかなくてはいけなかったのだろう……。
これから先、「旅の坊主」は何をなすべきか。
これから先の10年なり20年なりを考える、そんな冬休みになりつつある。
スマトラ島の北西端バンダアチェに入ったのは翌2005年2月下旬のことだったが、
文字通り言葉を失ったことを覚えている。
それから6年3ヶ月後、東北地方の太平洋沿岸が同じような状況になるとは、
その時は思ってもいなかったが……。
それにしても、あれから10年も経ってしまったとは、まったく思えないような、
時間の流れの速さであった……。
たまたま見ていたNHKの21時のニュース。
今年の最後の放送だった、ということもあるのかもしれないが、
また、こちらが防災の目で見ていたからもしれないが、
本当に防災についてのプログラムが多かった。
広島での土砂災害、山梨の豪雪災害、三陸鉄道再開、
そしてインド洋大津波のバンダアチェやタイ・プーケットからの映像……。
現象としての災害は、東日本大震災以降の、受け取る側の感度向上もあろうが、
今日を生きる我々にとって、不幸なことだが、より身近なものになってきている。
そして被害の大半は、ちょっとした知識があれば避けられたもの。
私達防災学に携わっている者は、私達の中では常識だが、世の常識にはなっていないもの、
あるいは、世にはびこっている間違った常識を修正するため何ができるのか、
もっと効率的な方法に取り組まなくてはならないのだろう、と、改めて思う。
自然には勝てないし、勝てると思ってもいけない。
それは21世紀の日本においても、基本的なスタンスとして持ち続けなければならないだろう。
リスクをゼロにすることも出来ない。
原理的には、しかるべき額を投入できれば、実質的にはリスクをほぼゼロにすることは可能。
しかし、そのような財政投入が出来ないがゆえに、実質的なリスクゼロ生活は厳しい。
という訳で、先日の四日市での話ではないが「リスクとの共生を学ぶ」のが
防災学の基本的な目的となる。言葉をかえれば、自然との共生とも言える。
日本で防災学を考える際、幾つかの不幸があったと思っている。
その一つは、自然を理解することと、その自然と共生する方法を理解することは、違うということを、
しっかり使い分けられなかったこと。
地震や津波のメカニズムを理解しても、地震や津波のリスクと共生する方法を理解したことには、
実はならないのだ。少なくても、両者の間には、かなりのギャップがあり、
独力でそのギャップを理解し、かつ、それを乗り越えられる者は、かなりの少数派にならざるを得ない。
そして、前者については多くの教科書のページが割かれていても、
後者についてはほとんど知られておらず、また、教えられてもいない。
やられているのは、防災訓練という名の避難訓練。
こういうような、そもそも論まで立ち戻った上で、
防災学とは何か、リスクとの共生を学ぶとはどういうことか、
誰かが、説いていかなくてはいけなかったのだろう……。
これから先、「旅の坊主」は何をなすべきか。
これから先の10年なり20年なりを考える、そんな冬休みになりつつある。
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