TABI天使日記

天使になったカナダのアジリティ犬と、ママ・パパの日常

死の瞬間 -立ち上がる癒しのメカニズムー

2014-05-14 07:55:50 | その他
前から読みたかった本が、やっと手に入り、一気に読んだ。

すでに故人となってしまった著者は、内科医として多くの臨終に立会い、自身も心筋梗塞や卒中で死ぬ手前を経験。死は苦しいもの、怖いものという常識とは逆に、「ふわふわして、ちっとも苦しくなかった」と語る。はたで見ていて苦しそうに見えても、本人は全く苦痛を感じないという。それは、脳内麻薬物質が関連しているのではないか、という仮定。また、死んで生き返った人々の証言によると、臨床的に死んだと宣言されたあとでも意識があって、家族の会話などをしっかり覚えていることがあるらしい。こりゃあ、臨終の席で周囲はうっかりしたことは言えない(苦笑)

確かに、そういうことはあると思う。
私自身、子供のころ病弱で何度も死にかけたので、その奇妙な幻覚の世界のような感覚というのはよくわかるし、今でも覚えている。そのせいか、私は死ぬことに対して、一般の人が感じているほどの恐怖感は感じない。

しかし経験していない人々にとっては、「ふん、そんなの幻覚だよ」とか「そんなこともあるのかねえ」で終わってしまう話だろうと思う。

死ぬときに脳内麻薬のおかげで苦しくないとしたら福音だ。が、それは昔々、医療が濃厚でなかった時代の話であり、さらに最近のように死んでからの臓器提供が一般的な世の中では、新たなホラーストーリーを生み出すだろう。

いつだったかカナダのテレビで、死から生還した人々のインタビュー特集をやっていた。彼らのほとんどが事故や病気で病院に運ばれ、臨床的に死が確認されたのち、奇跡的に息を吹き返した例ばかり。みな、医師が「ご臨終です」と家族に告げ、看護師たちが自分の体につけられていた機械をとりはずす様子、その際の会話などを正確に覚えている。脳死して心停止して、死んだ、と宣言されていても、本人の意識(とくに聴覚)はその後長時間にわたってハッキリしている。

その中の一人の若い女性は、「看護師さんが『彼女は臓器提供希望だから、別の部屋に遺体を移して』って言ってるのが聞こえた。えっ、ちょっと待ってよ、私は生きてるのに?!と思い、声を上げたかったけど体が全く動かなかった。あのまま私が生き返らなかったら、どうなってたんだろう、と考えると恐ろしい」と語っていた。

昔はよく、葬式の場で生き返り周囲が驚いた、という話がたまにあった。しかし、今ではアメリカやカナダの病院で臨終になると、専門の相談員が家族に近づいて臓器提供の話をもちかける。動揺している家族はたいてい同意してしまうし、臓器はフレッシュなほうがいいので、死んだと宣言されたらできるだけ早くパパッと収穫されるのがツネ。

実際に死んでからどのくらいで収穫が始まるのか?というと、これがまた国により州によりまた個々の病院により、法律がまちまち。早いところでは、30分もしないで切り刻まれる。死んだあとも本人の意識がまあだあるうちに、体が空っぽになる可能性もあるわけだ。ま、そうなってからでは生き返らないため、本人の証言は得られないが。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする