たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

神様の刻印

2015-08-16 10:22:04 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<お盆資料>

 

どんなに信仰心がないと思い込んでいる人でも、

お墓や仏壇の前では、自然と線香を手向け、

神社や神棚の前では、当たり前のように

拍手を打っているのが私たち日本人です。

「故人を思う」「神様を敬う」という心は、

日本に誕生することを決めた魂に、

神様が刻んだ印なのかもしれません。

 

お寺、神社、お墓、仏壇、神棚等を目にすると、

私たちは自然と見えない存在を「畏れ」ます。

その畏れる気持ちこそが、

アクシデントを避けるためのフィルターとなり、

私たちを諸々のトラブルから守ってくれるのですね。

誰に言われずとも、神仏の前で静かに

手を合わせることできる人というのは、

見えない存在の守護も厚いのでしょう。


家系の因果

2015-08-15 10:18:54 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう>

 

お盆の季節になりますと、

「自分の先祖」や「自分の家系」

について考えることが多くなります。

誰もがある家系の末端として生まれた以上、

先祖の影響を受けるのはそれこそ「宿命」。

血や遺伝子のつながり云々に限らず、

私たちは目には見えない様々な部分で、

先祖の思いと家系の課題を担っているのでしょう。

 

人間は「家系の因果を断ち切るために」、

あるひとつの家系を選んで生まれてきました。

多くの先祖がどうしても果たせなかった願いを、

今度こそ成し遂げるべく、

この世に送られたきたのが私たちです。

長年にわたって蓄積してきた

「負の因縁」や「負の課題」を

根本から断ち切ることができるのは、

今を生きている人間だけなのですね。


一心同体

2015-08-14 10:16:55 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう>

 

お墓参りというのは、

亡くなった方へのひとつの心配りの形です。

この世に生まれた人間は、自分の人生だけでなく、

すべての先祖の人生を背負って生きており、

私たちが困っているときには、

ご先祖も一緒になって思案しながら、

あれこれと手助けしてくれるのでしょう。

 

今私たちが望んでいる内容も悩んでいる内容も、

ご先祖には確実に伝わっています。

この世で生きる立場の人間に思いを託し、

陰から支えてくれているのですね。

「自分はひとりでいるわけではない」

という事実を思い出しながら、

力強く生きることが大切なのだと思います。


お墓巡り

2015-08-13 10:57:51 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう>

 

お墓というのは単なる象徴であり、

「ご先祖を思い出すための目印」です。

普段忘れがちな先祖を意識するための場がお墓で、

そこにご先祖が常駐しているわけではありません。

最近、歴史上の偉人の墓参が流行っているそうですが、

本来はお墓という場所を観光地のように巡ったり、

祈願のために訪れたりするべきではないのでしょう。

 

お墓参り自体は、たいへん尊い行いです。

ただ、「何ためのお参りか」を考えなければ、

結局は開運や自己満足の行為にしかならないはず。

興味本位で著名人の墓所を巡る前に、

まずは普段から縁ある家系のご先祖や

日本のために尽力した人たちに思いを馳せ、

真摯に故人を敬い弔って行きたいものですね。


日本人の良心

2015-08-12 10:00:46 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<鎌倉長谷寺 かまくらはせでら>

 

亡くなった身内や知り合いだけでなく、

顔も名前もよくわからない

遠い先祖の存在を意識できる人というのは、

生きている人間を思いやり、

大切に思うことができる人でもあると思います。

 

近代化が進む社会の中で、

なぜお盆休みが継続しているのかを考えれば、

そこには、先祖へという存在を無視できない、

多くの日本人の「良心」があるからなのでしょう。

 

亡くなった人を弔い、

ご先祖に思いを馳せるという行為は、

日本に生きる私たちに課せられた使命です。

ゆくゆくはその思いが大きなエネルギーとなって、

日本というすばらしい国を守るのかもしれません。


縁ある供養

2015-08-11 16:44:37 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<鎌倉長谷寺 かまくらはせでら>

 

「先祖供養は専門家がする仕事」

という刷り込みがされている日本では、

供養に関する行事を、お寺やお坊さんに

任せきりの人がほとんどだと思います。

ただ、現実の社会を見てもわかるように、

人と人(故人)との関係というのは、

「縁ある人ほど強力」なのは霊の世界も同じ。

いくら無関係の他人に、

「成仏してください」と祈られたところで、

ご先祖の心にはまるで響かないのですね。

 

本来の先祖供養の核となるのは、

「縁ある人たち」からの故人への思いです。

もし自分が逆の立場だったらと仮定すれば、

他人任せの法要で義務的に供養されるよりも、

日々縁ある子孫に語りかけてもらえるほうが、

何十倍もうれしい気持ちになるはず。

仮に仏壇がなくてもお線香が上げられなくても、

縁者が毎日先祖への感謝の気持ちを抱けるなら、

それに勝る供養はないのですね。


祖霊崇拝

2015-08-10 16:40:30 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<鎌倉長谷寺 かまくらはせでら>

 

古来より日本の古神道の原点は祖霊崇拝でした。

日本人の総氏神とされる伊勢内宮の由緒にも、

「皇室の祖先を祀る」と明記されているように、

私たちが行う神社や神棚への参拝は、

各地の神社を通じて内宮へと集結され、

皇室の祖先…つまりすべての日本人の

祖先への崇敬につながります。

 

現代人は、祖霊崇拝(先祖供養)と聞きますと、

どうしてもお寺の僧侶など、

専従者の仕事と考えがちですが、

日常的に八百万の神を拝む行為と同様、

個人個人が祖霊を供養するのが本来の形。

普段から祖霊崇拝の意識を持つことで、

神社参拝がさらに意義あるものになるのですね。


異端のもの

2015-08-09 16:38:38 | 歴史・神話・旅・風景

<榛名神社 はるなじんじゃ>

 

日本人という民族は、

古くから「異端のもの」を

柔軟に取り入れてきました。

6世紀半ばに日本に伝来した仏教は、

神社や日本土着の神々を取り込み、

神社境内に神宮寺を建立したり、

神仏を上手に融合したりしながら、

日本人の信仰心の中に根づいていきます。

 

全国各地の神社には、

楼門や仏像のご神体など、

「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」 の

名残があちこちに見られ、

また私たちの日常生活においても、

神道と仏教とが一緒くたになったような

行事やしきたりが数多く残っています。

 

こういった異なる宗教の混交は、

世界各地で見られる現象ではありますが、

日本人という民族の優れた点は、

それを独自の文化として、

予想外の方向へ発展させてきたことです。

私たちが普段何気なく行っている

先祖供養の習慣やお彼岸やお盆のお墓参りも、

実は仏教ではなく神道の神事が元になっています。


8と富士山

2015-08-08 11:33:33 | 自然災害・参拝マナー

<富士山 ふじさん>

 

中国語で「繁栄」や「発展」を意味し、

中華圏の人々が好んで使う「8」という数字は、

日本では「末広がりで縁起がよい」といわれ、

日本人の間でも人気がある数字のひとつです。

一節によりますと「8は富士山に通じる」そうで、

実際に富士の山頂には八つの峰があり、

火口を1周する「お鉢巡り」は、

「お八巡り」とも呼ばれています。

 

東洋の易の本によりますと「8」という数字は、

「事物が生成流転し、最後の飽和状態に至った数」で、

太陽が昇る前のような状態を意味するのだとか。

オカルトの世界では、「8」の力を持つ富士山により、

これまで日本経済が支えられてきたという話もあります。

現在、富士山の噴火が懸念されていますが、

火山噴火という現象は、飽和状態にある物質社会から、

新しい社会を生み出すための浄化なのかもしれません。


富士登山

2015-08-07 11:29:30 | 自然災害・参拝マナー

<北口本宮冨士浅間神社 きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ>

 

吉田の火祭りで知られる

山梨県・富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社は、

富士山麓に点在する富士信仰の拠点のひとつです。

日本のシンボルとして世界中に名高い富士山ですが、

北口本宮富士浅間神社の雰囲気は、

まさに「修験そのもの」でして、

鳥居をくぐり参道に入った瞬間、

富士山が修験道の聖地であることを強く意識させられます。

 

近年の登山ブーム、さらには世界遺産登録の影響で、

富士山にはたくさんの登山客が押し寄せています。

ただその昔は、修験道の祖と呼ばれる役行者が、

「修業のために」富士山へと登ったように、

本来は一般人が気軽に踏み込める山ではありません。

 

霊山と呼ばれる山の中には、ほんの数年前まで

「立ち入ることが禁じられていた場所」が数多く存在し、

絶対に犯してはいけない神域が、人間側の思惑により、

次々と一般解放されているのが実情です。

山(神様)は登るものでも、頂上を目指すものでもなく、

下から仰ぎ崇拝するのが正しい形なのでしょう。


太陽拝

2015-08-06 11:21:45 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<那智勝浦市 なちかつうらし>

 

神道では太陽に向かって礼拝することを、

「太陽拝」と申します。

太陽を拝むといいますと、

「太陽のパワーをいただく」とカン違いしがちですが、

本来は「太陽からいただいている恵みに感謝する」のが筋。

日本という国は、太陽神である天照太御神をお祀りし、

太陽信仰そのものを日常生活の一部としている民族です。

古来より日本人は太陽が「神そのもの」

であることに気づいていたのでしょう。

 

ちなみに「宴(うたげ)」という漢字には、

家の中に「日」の文字が入っていますが、

宴につきもののお酒も音楽も舞も、

元をたどればすべて神様に捧げるもの。

つまり日の神である天照太御神を家にお迎えし、

おもてなしすることが「宴」なのですね。

お盆を迎えるこの時期、家族と楽しく食事をしたり、

みんなと和気あいあいと過ごしたりすることは、

太陽信仰のひとつの形といえるのかもしれません。


神様の領域

2015-08-05 11:19:24 | 自然災害・参拝マナー

<天川村 てんかわむら>

 

私たちが自然の中に身を投じた時点で、

命の舵を握るのは人間でなく自然のほうです。

「自然を克服しよう」などと思い上がると、

すぐにそのエゴは叩きつぶされ、

それ相応の罰を受けることになります。

 

山や海などの自然というのは、

他ならぬ「神様の領域」です。

ここ数年、自然に関わる人災が目につくのは、

「自分のために」自然を利用しようとする人間が、

増えているのが最大の要因でしょう。

 

登山やキャンプなどの機会が増えるこの時期、

「アウトドア」という言葉の響きに惑われ、

安易に神様の領域に踏み込む人は後を絶ちません。

神様の畏れを持ちながら自然と向き合うことが、

私たちには求められているのだと思います。


龍体の国

2015-08-04 11:14:14 | 歴史・神話・旅・風景

<丹生川上神社上社 にゅうかわかみじんじゃかみしゃ>

 

日本という国は、神様の化身である「龍」であり、

日本人は常に龍体の上で呼吸し、

命をつないでいる民族です。

ただ、私たちの多くは普段の生活の中で、

「神様の上で生活をさせてもらっている」

という事実をすっかり忘れています。

 

土地はただの土ではなく、 水や食物を生み出したり、

命を正常に保ったりするための貴い宝。

日本人が大地や自然への感謝を忘れれば、

日本という龍体の怒りを呼ぶことになります。

 

日本で生活できる恩恵は、

私たちが想像している以上に貴重です。

 龍体の上で暮らす私たちは、

神様や自然とダイレクトに関われるという、

稀有な環境の中で暮らしています。

 

今、地球上で荒ぶる自然を制御できるのは、

日本という土地に縁ある人間だけ。

神様の上で生活している畏れ多さを感じながら、

毎日を謙虚な気持ちで過ごしたいものですね。


神様の歓喜

2015-08-03 11:00:57 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<都内のデパート>

 

私たちが普段接している多種多様の音楽やダンスは、

ご神事の際の歌や舞が起源といわれております。

日本では古くから「神様への奉納」の行事として、

日常的に歌や楽器演奏や舞踏が行われてきました。

各々の人間が神様とのつながりを保つため、

様々な工夫を重ね、表現法を模索してきた経緯が、

今の現代音楽の元となっているのですね。

 

どんなに不自由で抑圧された環境の中でも、

歌や踊りを楽しみたいという気持ちは、

神様とのつながりを持ち続けようとする、

人間の根本的な欲求に他なりません。

地域のお祭りを大切に守る大人たちや、

無邪気にはしゃぐ子どもたちの心の中に、

「神様の歓喜」が潜んでいるのでしょう。


鎮魂の花火

2015-08-02 15:44:33 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<花火資料>

 

以前、東北の海沿いで開催された花火大会の中継を観たとき、

夜空に打ち上がった花火と仏像の光背のイメージとが重なり、

祭りや花火という行事が、亡くなった方々の

「鎮魂」のためにあることを再認識しました。

もともと花火といいますのは、8月の送り盆の時期に、

死者の鎮魂のために打ち上げられたものだといわれており、

先日行われた、東京・隅田川の花火大会も、

1732年の大飢饉やコレラで亡くなった死者の霊を慰めるため、

「施餓鬼」を催し、大川端で花火を打ち上げたのが始まりだとか。

 

4年前に大きな津波被害が出た東北の被災地では、

「何とかお祭りだけは続けたい」という地元の人たちの努力で、

今年の夏も多くのお祭りやご神事が、

復活したり執り行われてたりしています。

東北の人たちが行う「真摯な」祭りの様子を観ておりますと、

改めて「祭りに対する意識」を入れ替えなければと思うもの。

今という時期ほど、祭りや花火の意義が問われ、

「本当のお祭り」が大切な時節もないのかもしれません。

 

【施餓鬼(せがき)とは】

生前の悪行により、餓鬼道に落とされた霊魂や無縁仏(餓鬼)に、

食べ物や飲み物などの供物を施す仏教の法要行事