たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

砂鉄を巡る軋轢

2019-06-29 09:30:20 | 鉄の神々2

<千種町・たたらの里学習館>

 

古代、製鉄の工程は「男女の交合」にも例えられ、

炉から溶け出た鉄を「ユ」と呼び、

出産と同じような現象として捉えたと聞きます。

一説には、完成した鉄が良質なら「天津神の子」、

あまり出来がよくなければ「国津神の子」、

そして失敗して使い物にならなければ

「蛭子」と表現したという話もあり、

最新のタタラ技術により生み出された鉄が、

天津神(渡来系)のもの、そして不純物の多い

野タタラ製法で作られた鉄が、

国津神から生み出されたものであることは、

当時の人たちの共通認識だったのでしょう。

 

恐らく、伊和神社を祭祀していた伊和氏の手で、

青銅器の製造や野タタラ製鉄が行われていた時期、

金屋子神なる渡来のタタラ民たちが千種近辺に押し寄せ、

新たな製鉄技術と引き換えに、この地の砂鉄利権を

譲り受けた経緯があったのかもしれません。

だとすれば気になるのが、金屋子神と同様に

この地の「鉄資源」に目をつけていたと思われる、

アメノヒボコという新羅由来の神についてですが、

それに関してはまた後の機会に……。