<伊和神社 いわじんじゃ>
昨日、播磨国一の宮・伊和神社のご祭神である伊和大神、
そして伊和大神と習合したと思われるオオナムチが、
どちらも播磨国由来の神ではなく、
「他所から来た国津神」であることを指摘しました。
さらにこの二神以外にも、宍粟市(および播磨国)周辺には
「アメノヒボコ」という超メジャー級の渡来神の足跡が残り、
アメノヒボコが登場する物語は、
『播磨国風土記』の代表的な逸話としても広く知られています。
そのひとつが、以前ご紹介した
「粒丘(いいぼのおか)」の話でして、
今回はその後の展開についてご紹介しましょう。
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伊和大神(アシハラシコヲ)が、
国占めをするために大急ぎで川を遡っていたその頃、
新羅から来たアメノヒボコも同じように川を遡り、
二神は宍粟市あたりでついに対面することになりました。
しかし、二神の争いはなかなか勝負がつかなかったため、
「高い山の上から三本ずつ黒葛(くろかずら)を投げて、
落ちた場所をそれぞれが治めることにしよう」
と取り決めをし、但馬国と播磨国の境にある
藤無山(ふじなしやま)という山に登ることにします。
そこでお互いに三本ずつ黒葛を取り、
それを足に乗せて飛ばすと、アメノヒボコの黒葛は、
三本とも出石(いずし)に落ち、伊和大神の黒葛は、
播磨国の宍禾郡に落ちたのです。
よって、アメノヒボコは但馬を、
伊和大神は播磨を治めることにして二人は別れました。
* 別の説では、本当は黒葛ではなく
「藤のつる」が欲しかったものの、
一本も見つからなかったので、
この山が藤無山と呼ばれるようになったという件もあり
~「ひょうご歴史ステーション」を参照~
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伊和大神とアメノヒボコが、
なぜ播磨国(および宍粟市)の領土争いをしたのか、
その理由がこの物語の中に暗示されていました。