たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

黒葛の勝負

2019-06-20 09:46:34 | 鉄の神々2

<伊和神社 いわじんじゃ>

 

昨日、播磨国一の宮・伊和神社のご祭神である伊和大神、

そして伊和大神と習合したと思われるオオナムチが、

どちらも播磨国由来の神ではなく、

「他所から来た国津神」であることを指摘しました。

さらにこの二神以外にも、宍粟市(および播磨国)周辺には

「アメノヒボコ」という超メジャー級の渡来神の足跡が残り、

アメノヒボコが登場する物語は、

『播磨国風土記』の代表的な逸話としても広く知られています。

 

そのひとつが、以前ご紹介した

「粒丘(いいぼのおか)」の話でして、

今回はその後の展開についてご紹介しましょう。

 

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伊和大神(アシハラシコヲ)が、

国占めをするために大急ぎで川を遡っていたその頃、

新羅から来たアメノヒボコも同じように川を遡り、

二神は宍粟市あたりでついに対面することになりました。

 

しかし、二神の争いはなかなか勝負がつかなかったため、

「高い山の上から三本ずつ黒葛(くろかずら)を投げて、

落ちた場所をそれぞれが治めることにしよう」

と取り決めをし、但馬国と播磨国の境にある

藤無山(ふじなしやま)という山に登ることにします。

 

そこでお互いに三本ずつ黒葛を取り、

それを足に乗せて飛ばすと、アメノヒボコの黒葛は、

三本とも出石(いずし)に落ち、伊和大神の黒葛は、

播磨国の宍禾郡に落ちたのです。

よって、アメノヒボコは但馬を、

伊和大神は播磨を治めることにして二人は別れました。

 

* 別の説では、本当は黒葛ではなく

「藤のつる」が欲しかったものの、

一本も見つからなかったので、

この山が藤無山と呼ばれるようになったという件もあり

~「ひょうご歴史ステーション」を参照~

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伊和大神とアメノヒボコが、

なぜ播磨国(および宍粟市)の領土争いをしたのか、

その理由がこの物語の中に暗示されていました。