<佐用都比賣神社 さよつひめじんじゃ>
昨日、「日本ではごく近年まで羊がいなかった」
という記事を書きましたが、「羊」が日本の風土に
合わなかったということは、つまり「羊」には
日本の地霊が宿れなかったという意味であり、
「仔羊の血」の習俗とともに来日した人々が、
羊を神に捧げることをあきらめた理由も、
「地霊の乗り物」として羊が適さなかったからだと考えられます。
恐らく、日本の地霊にとって、
日本の風土に馴染まない羊より、
銅鐸の絵柄として好まれた「鹿」や「猪」などの動物や、
各々の土地で捕獲された他の生き物のほうが
相性がよかったのでしょう。
恐らく、供物として神に捧げられる動物たちは、
その土地で育ち、その土地のものを食していることが
必須条件だったのかもしれません。
国占めの際に賛用都比売命が、
役目を終えた鹿を近くの山に放ったのも、
農耕儀礼に用いる供犠の動物を
「自らの土地に」戻すためだったとも想像できます。
だとすれば、「動物の描かれた銅鐸を土に埋める」
という行為は、ある種の「地霊鎮め」であり、
犠牲となった鹿や猪を地霊に返す所作だったのでしょうか……。