<国立歴史民俗博物館>
弥生時代の遺物(特に銅鐸)に、
最も多く描かれている動物は、
なんと「鹿」なのだそうです。
当時、人々の生活エリアには、
狩猟動物以外にも昆虫や水生生物などの生き物が、
たくさん生息していたと思われますが、
なぜ「祭儀」や「呪術」のシンボルである
「銅鐸」の絵柄として、「鹿」という動物が
好んで選ばれたのかを考えると、
そこにはやはり鹿の抱く多様性が
影響していたとも推測できます。
聞くところによりますと、鹿という動物は
豊穣を呼び込む聖獣として崇められただけでなく、
潤沢な水をもたらす「水の神」
としての側面も持っていたのだとか……。
また、古墳時代の「埴輪」や
副葬品の「須恵器」などに関しても、
鹿を象った形象や鹿を意味する線の模様、
あるいは「相撲を取る人」に添えられた
鹿の絵などが見られることから、
鹿が葬送儀礼と関わっていた
可能性も大いに考えられます。
いずれにせよ、先日ご紹介した
佐用都比売神社の伝承以外にも、
『播磨国風土記』の中には、
不可解なほど多くの「鹿の物語」が
伝えられており、播磨国と鹿との
親密な結びつきが見て取れるのです。
恐らくその事実が示すのは、
「播磨国」という国が
実際に「鹿の住処」であったこと、
そして鹿が暗示する「何か」が
存在したということなのかもしれません。