<千種町・たたらの里学習館>
金屋子神の発祥地とされる宍粟市千種町に、
金屋子神信仰の形跡がほぼ見られないのは、
恐らく金屋子神が「異国の神」だったからだと想像されます。
出雲の金屋子神社に関する記事でも書いたように、
金屋子神の周辺には「渡来系」、特に「75」
の数字を整数と崇める一族の影が付きまとうなど、
日本の風土とは異なる背景が濃厚に匂ってくるのです。
もしかすると、金屋子神という存在は、
大陸の習俗を持ち込んだ一族の神であり、
この千種町でタタラ製鉄を広めた後、
さらに良質の砂鉄を手に入れるために、
出雲国の金屋子神社周辺へと向かったのかもしれません。
ちなみに、千種町では弥生時代の土器片と共に、
「野タタラ遺跡」が見つかっているそうですが、
「野タタラ」の形跡があるということはつまり、
本格的なタタラ製鉄が伝わる以前から、
「スズ鉄」による製鉄作業が行われていたということです。
もしかするとこの地でも、
出雲のヤマタノオロチの物語のように、
古参の鉄部族と新鋭の鉄部族との間で、
鉄を巡る争いが繰り広げられていたのでしょうか……。