「枠の外にあるもの」
世界は、いろんな枠に囲われています。細分化されたり、統合されたり。いがみあったり協調したり。それは、強固なようで、移ろいやすいものです。
私達は、様々な枠に所属しています。それに庇護されたり、束縛されたりしながら、日々を過ごしています。
人は、無秩序には生きてはいけません。(どんなに孤独でも、どんなにアウトローでも、「孤独」や「アウトロー」のカテゴリーに所属しているのです。その中でのルールや作法というものが、存在しているのです。)枠におさまることで、安心感を得られるのでしょう。もちろん、その中での拘束感も同時に感じるのでしょうが。
枠の中にいるということを、意識することは大切だと思います。枠があると感じなければ、自分がいる場所がすべてだと勘違いしてしまいます。自分のフィールド以外は、不正義だと糾弾してしまいます。
「枠」を知ってはじめて、「枠」の外があり、別の「枠」があると認識できるのでしょう。
そして、
枠の外があるということは、自分が想像できない考え方や、ルールも存在するということです。
それが、目からウロコのこともあるだろうし、受け入れられないこともあるでしょう。
ただ、世界はたくさんの枠が、存在すると考えることは大切だと思います。
自分が正義なのではないと考えること。枠の外にあるものに思いをはせること。
違う枠のいろんな人々が、それをすることができたなら、世界は、もっと自由でありながら、共存できるような気がします。
けれどそれは、
今の世界では、それこそ「ユートピア」のおとぎ話です。
私自身、自分の所属する枠に囚われて、そんな自由の翼を持てずにいます。