天下大いに乱る
帝食麺中毒而崩。或曰、東海王越鴆之也。帝昏愚。天下大饑。帝曰、何不食肉糜。華林園聞蛙鳴。帝曰、彼鳴者糜、爲官乎、爲私乎。左右戲之曰、在官地者爲官、在私地者爲私。方賈氏專政、時人知將亂。索靖指洛陽宮門銅駝、歎曰、會見汝在荊棘中耳。趙王倫亂後、諸王迭相殘滅、天下大亂。
帝、麺を食らい、毒に中(あた)って崩ず。或ひと曰く、「東海王越、之を鴆(ちん)するなり」と。帝昏愚なり。天下大いに餞(う)う。帝曰く、「何ぞ肉糜(にくび)を食らわざる」と。
華林園に蛙鳴(あめい)を聞く。帝曰く、「彼(か)の鳴く者は、官の為にするか、私の為にするか」と。左右、之に戯れて曰く、「官地に在る者は官の為にし、私地に在る者は私の為にす」と。
賈氏の政を専らにするに方(あた)って、時人、将(まさ)に乱れんとするを知る。索靖(さくせい)洛陽宮門の銅駝(どうだ)を指さして歎じて曰く、「会(かなら)ず、汝が荊棘(けいきょく)の中に在るを見んのみ」と。
趙王倫の乱後、諸王、迭(たが)いに相残滅し、天下大いに乱る
鴆 鴆毒。 肉糜 肉入りの粥。 銅駝 銅製の駱駝像。
恵帝は麺を食べて中毒を起こして死んだ(307年)。東海王司馬越が鴆毒を盛って殺したという人もいた。
恵帝は暗愚の性質と思われていた。天下が飢饉にあえいでいた年、帝は「米が無いのならどうして肉粥を食べないのか」と言われた。また華林園に遊んだとき、蛙の声を聞き、左右の者にこう言った。「あの蛙は役目と心得て鳴いているのか、それとも勝手に鳴いているのか」と。側近の者はあきれて「官の土地にいる蛙は 官の為に鳴いています。私有地にいる蛙は自分の為に鳴いております」と半ばあなどって答えた。
賈后が朝政を左右するようになって、当時の人々は世が乱れはじめたことを知った。索靖という者が、洛陽宮の門前の駱駝の銅像を指さし、「きっと廃墟の草むらにお前だけが立っていることだろうよ」と歎息した。果たして趙王司馬倫の乱の後、諸王が互いに攻め合い滅ぼし合って、天下は大いに乱れた。
帝食麺中毒而崩。或曰、東海王越鴆之也。帝昏愚。天下大饑。帝曰、何不食肉糜。華林園聞蛙鳴。帝曰、彼鳴者糜、爲官乎、爲私乎。左右戲之曰、在官地者爲官、在私地者爲私。方賈氏專政、時人知將亂。索靖指洛陽宮門銅駝、歎曰、會見汝在荊棘中耳。趙王倫亂後、諸王迭相殘滅、天下大亂。
帝、麺を食らい、毒に中(あた)って崩ず。或ひと曰く、「東海王越、之を鴆(ちん)するなり」と。帝昏愚なり。天下大いに餞(う)う。帝曰く、「何ぞ肉糜(にくび)を食らわざる」と。
華林園に蛙鳴(あめい)を聞く。帝曰く、「彼(か)の鳴く者は、官の為にするか、私の為にするか」と。左右、之に戯れて曰く、「官地に在る者は官の為にし、私地に在る者は私の為にす」と。
賈氏の政を専らにするに方(あた)って、時人、将(まさ)に乱れんとするを知る。索靖(さくせい)洛陽宮門の銅駝(どうだ)を指さして歎じて曰く、「会(かなら)ず、汝が荊棘(けいきょく)の中に在るを見んのみ」と。
趙王倫の乱後、諸王、迭(たが)いに相残滅し、天下大いに乱る
鴆 鴆毒。 肉糜 肉入りの粥。 銅駝 銅製の駱駝像。
恵帝は麺を食べて中毒を起こして死んだ(307年)。東海王司馬越が鴆毒を盛って殺したという人もいた。
恵帝は暗愚の性質と思われていた。天下が飢饉にあえいでいた年、帝は「米が無いのならどうして肉粥を食べないのか」と言われた。また華林園に遊んだとき、蛙の声を聞き、左右の者にこう言った。「あの蛙は役目と心得て鳴いているのか、それとも勝手に鳴いているのか」と。側近の者はあきれて「官の土地にいる蛙は 官の為に鳴いています。私有地にいる蛙は自分の為に鳴いております」と半ばあなどって答えた。
賈后が朝政を左右するようになって、当時の人々は世が乱れはじめたことを知った。索靖という者が、洛陽宮の門前の駱駝の銅像を指さし、「きっと廃墟の草むらにお前だけが立っていることだろうよ」と歎息した。果たして趙王司馬倫の乱の後、諸王が互いに攻め合い滅ぼし合って、天下は大いに乱れた。
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