白文
高陽人酈食其、謂沛公麾下騎士曰、吾聞沛公慢而易人、多大略。此眞吾所願從游。騎士曰、沛公不好儒。客冠儒冠来者、沛公輒解其冠、溲溺其中。未可以儒生説也。食其令騎士第入言之曰、人皆謂食其狂生。生自謂我非狂生。
訓読文
高陽の人酈食其(れいいき)沛公の麾下の騎士に謂って曰く、吾聞く、沛公慢(まん)にして人を易(あなど)り、大略多しと。此れ真に吾が従游を願う所なり、と。騎士曰く、沛公、儒を好まず。客の儒冠を冠して来る者は、沛公輒(すなわ)ち其の冠を解き、その中に溲溺(しゅうじょう)す。未だ儒生を以て説く可からざるなり、と。食其、騎士をして第(ただ)入って之に言わしめて曰く、人は皆、食其(いき)を狂生なりと謂う。生は自ら謂う、我は狂生に非ず、と。
高陽 河南省の地名 麾下 旗本 大略 遠大な計略 従游 付き従ってゆく 溲溺 小便 第 ともあれの意
高陽人酈食其、謂沛公麾下騎士曰、吾聞沛公慢而易人、多大略。此眞吾所願從游。騎士曰、沛公不好儒。客冠儒冠来者、沛公輒解其冠、溲溺其中。未可以儒生説也。食其令騎士第入言之曰、人皆謂食其狂生。生自謂我非狂生。
訓読文
高陽の人酈食其(れいいき)沛公の麾下の騎士に謂って曰く、吾聞く、沛公慢(まん)にして人を易(あなど)り、大略多しと。此れ真に吾が従游を願う所なり、と。騎士曰く、沛公、儒を好まず。客の儒冠を冠して来る者は、沛公輒(すなわ)ち其の冠を解き、その中に溲溺(しゅうじょう)す。未だ儒生を以て説く可からざるなり、と。食其、騎士をして第(ただ)入って之に言わしめて曰く、人は皆、食其(いき)を狂生なりと謂う。生は自ら謂う、我は狂生に非ず、と。
高陽 河南省の地名 麾下 旗本 大略 遠大な計略 従游 付き従ってゆく 溲溺 小便 第 ともあれの意
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