趙高は、丞相李斯と仲が悪かった。二世皇帝が酒宴をして婦人たちを前にしているとき、趙高は人を遣わして李斯に、今のうちに政務を奏上するのが良いでしょう、と言わせた。李斯が上謁すると二世は怒って、「わしが暇の時に来もしないで、こうして酒宴を楽しんでいるときに来る。不届きである」と。すかさず趙高が「丞相の長男李由は、三川の大守でありながら、盗賊と気脈を通じています。その上丞相は、朝廷のそとにあっては、陛下よりも強い権力を振るっております」と。二世皇帝はこれをもっともだとして、獄吏に引き渡し、入れ墨、鼻切り、などの刑を施し、最後に咸陽の市中に引き出し、腰切りの刑に処した。李斯は牢を出される時、次子に向かって、「そちと今一度猟犬を引きつれて、上蔡の東門を出て、兎狩りをしようと思っても、それが出来ようか、出来なくなってしまったなあ」と言った。そして父と子は声をあげて哭いた。その後三族ことごとく殺されてしまった。
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