漢姜維屢伐魏。司馬昭患之、遣艾・鍾會、將兵入寇。會從斜谷・駱谷・子午谷、趨漢中、艾自狄道、趨甘松・沓中、以綴姜維。維聞會聞已入漢中、引兵從沓中還。艾追躡之大戰。維敗走、還守劍閣、以拒會。艾進至陰陰平、行無人之地七百里鑿山通道、造作橋閣。山高谷深。艾以氈自裹、推轉而下。將士皆攀木縁崖、魚貫而進。至江油。以書誘漢將諸葛瞻。瞻斬其使。列陣綿竹以待。敗績。漢將軍諸葛瞻死之。瞻子尚曰、父子荷國重恩。不早斬黄皓、使敗國殄民。用生何爲。策馬冒陳而死。
漢の姜維(きょうい) 屢しば魏を伐つ。司馬昭之を患(うれ)い、艾(とうがい)・鍾会をして、兵を将(ひき)いて入寇(にゅうこう)せしむ。会は斜谷(やこく)・駱谷(らくこく)・子午谷(しごこく)より、漢中に趨(おもむ)き、艾は狄道(てきどう)より、甘松・沓中(とうちゅう)に趨き、以って姜維を綴(てい)す。維、会已に漢中に入りしと聞き、兵を引いて沓中より還る。艾、之を追躡(ついしょう)して大いに戦う。維、敗走し、還って剣閣を守り、以って会を拒(ふせ)ぐ。艾、進んで陰平に至り、無人の地を行くこと七百里、山を鑿(うが)って道を通じ、橋閣を造作す。山高く谷深し。艾、氈(せん)を以って自ら裹(つつ)み、推転して下る。将士、皆木に攀(よ)じ崖に縁(よ)り、魚貫(ぎょかん)して進む。江油に至る。書を以って漢の将、諸葛瞻(しょかつせん)を誘う。瞻、其の使いを斬り、陣を綿竹に列して以って待つ。敗績す。漢の将諸葛瞻、之に死す。瞻の子尚曰く、「父子、国の重恩を荷う。早く黄皓を斬らず、国を敗(やぶ)り民を殄(てん)せしむ。用(も)って生くるも、何をかなさん」と。馬に策(むちう)ち陳(じん)を冒して死す。
遣 使役の助字。・・をして、・・せしむ。 入寇 寇はあだする。 綴 釘付けにする。 追躡 追いかける。 剣閣 蜀と魏の境界にある大剣山、小剣山、閣道(架け橋が多いことから。 氈 毛氈。 魚貫 魚の串刺し。 敗績 大敗する、功績をなくする意。 黄皓 蜀の宦官、蜀衰退の元凶といわれる。 殄 滅ぼす。 用 以と同じ。 策 鞭、むちうつ。 陳 陣に同じ。
漢の姜維が、度々魏を攻めた。司馬昭はこれを思い患い、艾と鍾会を将軍として、蜀に攻め入らせた。鍾会は斜谷・駱谷・子午谷(いずれも陜西省中部の谷の名)から、艾は狄道(甘粛省)より、甘松・沓中に侵攻して姜維の軍を釘付けにした。姜維は鍾会がすでに関中に入ったと聞くと兵を沓中からひきあげようとした。艾はこれを追撃して激しく攻め立てた。姜維の軍は敗走して剣閣にたどり着いて鍾会を防いだ。艾は進んで陰平(甘粛省と四川省の境)に達した。無人の地を行くこと七百里、山を掘って道をつけ、桟道を架け渡して進んだ。高い山と深い谷に阻まれたとき艾は自分の身に毛氈を巻きつけ、転がり下った。将兵たちも、木によじ登り、崖に取り付いて魚の串刺しのように一列になって進んだ。遂に難所を越え江油に至った。まず蜀の将諸葛瞻に書を送り、降服を迫った。諸葛瞻は使者を斬り、陣を綿竹に布いて、魏軍を待った。蜀軍は大敗して諸葛瞻は討ち死にした。瞻の子尚は「私ども父子は国の大恩を受けてきた。奸臣の黄皓を斬らなかったばかりに、国を滅亡させ、民を絶やすことになった。生き永らえて何の甲斐があろう」と、馬に鞭打って敵陣に斬り込んで討ち死にした。