魏主髦見威權日去、不勝其忿。曰、司馬昭之心、路人所知也。率殿中宿衞蒼頭・官僮、鼔譟出、欲誅昭。昭之黨賈充、入與魏主戰、成濟抽戈刺魏主髦。殞于車下。追廢爲庶人。僭位七年。改元者二、曰正元・甘露。司馬昭迎立常道郷公璜。是爲魏元皇帝。常道郷公元皇帝、初名璜、燕王宇之子、操之孫也。年十五即位。改名奐。
魏主髦(ぼう)威権日に去るを見て、其の忿(いかり)に勝(た)えず。曰く、「司馬昭の心は路人も知る所なり」と。殿中の宿衛・蒼頭(そうとう)・官僮(かんどう)を率いて、鼔譟(こそう)して出で、昭を誅せんと欲す。昭の党賈充(かじゅう)、入って魏主と戦い、成濟、戈を抽(ぬ)いて魏主髦を刺す。車下に殞(お)つ。追廃(ついはい)して庶人(しょじん)と為す。僭位(せんい)七年。改元する者(こと)二、正元・甘露と曰う。司馬昭、常道郷公璜(こう)を迎え立つ。是を魏の元皇帝と為す。常道公元皇帝、初めの名は璜、燕王宇の子、操の孫なり。年十五にして即位す。名を奐(かん)と改む。
宿衛 宿直護衛の兵。 蒼頭 雑兵士卒。 官僮 給仕、召使い。 鼔譟 鼔は鼓を打つこと。 殞つ 命を落とす。 追廃 死後帝位を廃すること。
魏主曹髦は朝廷の威信が日増しに失われてゆくのを見るにつけ、怒りに耐え切れず、「司馬昭の野心は旅人までも知っていることだ」と言って殿中の護衛兵、雑兵、召使いまで駆りだした。鼓を鳴らし、喚声をあげて昭を誅殺しようとしたが、昭の党の賈充が宮中に押し入って戦い、一味の成済が戈を抜いて刺し、曹髦は車から落ちて死んだ。
死後帝位を廃され庶民とされた。帝位を僭称すること七年、改元すること二、正元・甘露という。司馬昭は常道郷公の璜を迎え立てた。これが魏の元皇帝である。(260年) 常道公元皇帝は初めの名は璜といい、燕王宇の子、曹操の孫にあたる。十五歳で即位し、名を奐と改めた。
魏主髦(ぼう)威権日に去るを見て、其の忿(いかり)に勝(た)えず。曰く、「司馬昭の心は路人も知る所なり」と。殿中の宿衛・蒼頭(そうとう)・官僮(かんどう)を率いて、鼔譟(こそう)して出で、昭を誅せんと欲す。昭の党賈充(かじゅう)、入って魏主と戦い、成濟、戈を抽(ぬ)いて魏主髦を刺す。車下に殞(お)つ。追廃(ついはい)して庶人(しょじん)と為す。僭位(せんい)七年。改元する者(こと)二、正元・甘露と曰う。司馬昭、常道郷公璜(こう)を迎え立つ。是を魏の元皇帝と為す。常道公元皇帝、初めの名は璜、燕王宇の子、操の孫なり。年十五にして即位す。名を奐(かん)と改む。
宿衛 宿直護衛の兵。 蒼頭 雑兵士卒。 官僮 給仕、召使い。 鼔譟 鼔は鼓を打つこと。 殞つ 命を落とす。 追廃 死後帝位を廃すること。
魏主曹髦は朝廷の威信が日増しに失われてゆくのを見るにつけ、怒りに耐え切れず、「司馬昭の野心は旅人までも知っていることだ」と言って殿中の護衛兵、雑兵、召使いまで駆りだした。鼓を鳴らし、喚声をあげて昭を誅殺しようとしたが、昭の党の賈充が宮中に押し入って戦い、一味の成済が戈を抜いて刺し、曹髦は車から落ちて死んだ。
死後帝位を廃され庶民とされた。帝位を僭称すること七年、改元すること二、正元・甘露という。司馬昭は常道郷公の璜を迎え立てた。これが魏の元皇帝である。(260年) 常道公元皇帝は初めの名は璜といい、燕王宇の子、曹操の孫にあたる。十五歳で即位し、名を奐と改めた。